★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇ハンス・ホッターのドイツ歌曲集(シューベルト/シューマン/R.シュトラウス)

2023-12-14 09:54:00 | 歌曲(男声)


シューベルト:楽に寄す
         夕映えに
         セレナード(歌曲集「白鳥の歌」より)
          別離(歌曲集「白鳥の歌」より)
          春に
         菩提樹(歌曲集「冬の旅」より)
          くちづけを贈ろう
          旅人の夜の歌
         ひめごと

シューマン:月の夜(「リーダークライス」より)
      誰がお前を悩ますのだ(「ケルナーの詩による12の歌曲集」より)
      古いリュート(「ケルナーの詩による12の歌曲集」より)
      新緑(「ケルナーの詩による12の歌曲集」より)
      二人のてき弾兵

R.シュトラウス:ああ悲し、不幸なるわれ
        私は愛を抱いている

バリトン:ハンス・ホッター

ピアノ:ジェラルド・ムーア

LP:東芝EMI(SERAPHIM) EAC‐30197

 ハンス・ホッター(1909年―2003年)は、ドイツ出身の名バリトン歌手。その歌声は、深い思慮に満ちたもので、音質で言うとバスに近いバス・バリトンが正確であろう。ハンス・ホッターは、ワーグナー歌手として特に名高く、「ニーベルングの指環」のヴォータン、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」のハンス・ザックス、また、「パルジファル」のグルネマンツなどにおいて高い評価を受けていた。同時にホッターは、シューベルト、シューマンやR.シュトラウスさらにヴォルフなどのドイツ歌曲についても定評があった。特にシューベルトの「冬の旅」「白鳥の歌」を歌わせれば右に出るものがないほどの歌唱を聴かせた。度々の来日で日本での人気も絶大であったが、特にシューベルトの「冬の旅」と言えばハンス・ホッターといったイメージが定着し、他の歌手を寄せ付けなかったほど。多分唯一対抗できた歌手は、フィッシャー・ディスカウ(1925年―2012年)ぐらいであったろう。そんな大歌手のハンス・ホッターが、お得意のドイツ・リートの選りすぐりの名曲を歌ったのが、このLPレコードである。どの曲を聴いても、ホッターの厚みのある歌声が実に気持ちいい。その存在感は、他に比較する者がないほどだが、さりとて、自分勝手な世界に埋没するするのはでなく、むしろ一曲一曲を実に丁寧に歌い込む姿勢がひしひしとリスナーに伝わる。この辺の真摯な歌う姿勢が、日本で人気が高かったことの原因の一つであろう。この“マイ・フェイバリット・ソング”とも言うべきハンス・ホッターのこのLPレコードは、常に手元に置き、聴きたい時に直ぐ聴けるのが一番の幸せというのが私の素直な感想。ハンス・ホッターとの息がぴたりと合ったジェラルド・ムーア(1899年-1987年)のピアノ伴奏がこれまた絶品。バリトンのハンス・ホッターは、 ドイツ、オッフェンバッハ・アム・マイン出身。ミュンヘン音楽大学で学ぶ。1930年「魔笛」でオペラデビュー。1950年メトロポリタン歌劇場にデビューし、ヴァーグナー作品をを演ずる。1952年バイロイト音楽祭に出演、以後15年にわたり主要なワーグナー作品に出演し、高い評価を受ける。1972年 「ワルキューレ」のヴォータンを最後にオペラの舞台を引退。ピアノのジェラルド・ムーアは、英国ハートフォード州ウォトフォード生まれで、カナダのトロントで育つ。ピアノ独奏者としてより、ピアノ伴奏者としてその名を知られた。1954年に大英勲章(OBE)を受賞。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ハンス・ホッターのシューベルト:歌曲集「白鳥の歌」

2022-12-12 10:05:29 | 歌曲(男声)


シューベルト:歌曲集「白鳥の歌」
          
         愛の便り
         兵士の予感
          春のあこがれ
         セレナード
         わが宿
         遠い国で
         別れ
         アトラス
         彼女の姿
         漁師の娘
         まち
         浜辺にて
         影法師
         鳩の使い

バリトン:ハンス・ホッター

ピアノ:ジェラルド・ムーア

発売:1967年

LP:東芝音楽工業 AB‐8009

 シューベルトの歌曲集「白鳥の歌」は、1828年、つまりシューベルトの死の年に作曲された個々のリート作品を集め、死の翌年に発刊されたもので、「美しき水車屋の娘」や「冬の旅」のように最初からまとまりを持った物語の連作詩に作曲されたものとは異なる。白鳥は死の前に美しい鳴き声で一声鳴くと言われていることから「白鳥の歌」と名付けられたもの。「白鳥の歌」は、「美しき水車屋の娘」と「冬の旅」と並び、シューベルトの三大歌曲集として昔から多くのリスナーから愛されているが、この有名な「白鳥の歌」を、このLPレコードでは、ドイツの名バリトンであったハンス・ホッター(1909年―2003年)が歌っている。ハンス・ホッターの歌声は、あくまで重厚で奥行きが深く、聴けば聴くほど味わいが出てくる。このため、その音質に合ったオペラ(例えばワーグナーの楽劇など)や内容の深いリートの曲に出会った場合は、どんな歌手もその足元にも及ばない優れた歌唱を聴かせてくれる。このためシューベルトの三部作「美しき水車屋の娘」「冬の旅」それに「白鳥の歌」の3つの歌曲集を考えた場合、ハンス・ホッターによる録音としては、どうしても「冬の旅」と「白鳥の歌」の2つに限られてしまうようだ。ここでのハンス・ホッターは、お得意の深く、重い感じの曲は言うに及ばず、抒情味を含んだ曲でも、その曲の情感を巧みに表現することに成功しており、「白鳥の歌」を論ずる時には欠かせない優れた録音となっている。これにはジェラルド・ムーア(1899年―1987年)の絶妙なピアノ伴奏があってこそ実現できたことを、付け加えておかねばならないであろう。ハンス・ホッターは、ドイツのオッフェンバッハ・アム・マインの生まれ。ミュンヘン音楽大学で学び、1930年オペラ・デビューを果たす。1937年バイエルン国立歌劇場の専属歌手となる。1952年にはバイロイト音楽祭に出演。以後15年にわたり主要なヴァーグナー作品に出演。とりわけ「ニーベルングの指環」のヴォータン、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」のハンス・ザックス、「パルジファル」のグルネマンツ、オランダ人などホッターは、偉大なヴァーグナー歌いとして広く認められた。同時にホッターは、ドイツ・リートの歌い手としても定評があった。シューベルト、R.シューマンやヴォルフなど、その洞察力に富んだ解釈で聴衆に深い感動を与えた。1962年以来、たびたび来日し、日本でもリサイタルを行い、多くの聴衆から愛いされた。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇フィッシャー=ディースカウのシューマン:リーダークライス(op.39/op.24)

2022-10-31 09:40:12 | 歌曲(男声)


シューマン:リーダークライスop.39(アイヘンドルフ詩)

   1.見知らぬ土地で 
   2.間奏曲 
   3.森の語らい 
   4.静けさ
   5.月夜 
   6.美しい見知らぬ土地 
   7.城の上で 
   8.見知らぬ土地で 
   9.憂い 
   10.たそがれ 
   11.森の中 
   12.春の夜

シューマン:リーダークライスop.24 (ハイネ詩)

   1.わたしが朝起きると 
   2.気もそぞろ 
   3.木陰をさまよい
   4.いとしい恋人 
   5.悲しみのゆりかごよ 
   6.待て、あらくれた船乗りよ 
   7.山と城が水に映って 
   8.初めは望みもなく 
   9.ミルテとバラの花で

バリトン:ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ

ピアノ:ジェラルド・ムーア/ヘルタ・クルスト

LP:東芝音楽工業 AB・7101

 シューマンの作品39の「リーダークライス」は、詩人ヨーゼフ・フォン・アイヘンドルフ(1788年―1857年)の詩に付けたリートである。ここでのアイヘンドルフの詩は、恐れを秘めた幻想的な情感であり、これこそがシューマンの求めて止まなかったロマンの香り濃厚な世界なのである。詩と一体化した、その細やかな陰影に満ちた歌曲として、音楽史にその名を残すことになる。また、作品24の「リーダークライス」は、詩人ハインリヒ・ハイネ(1797年―1856年)の詩による。シューマンは、ハイネの詩に付けたリートの傑作「詩人の恋」を作曲しているが、この「リーダークライス」では、ハイネの「歌の本」の「若い悩み」の中の「歌(Lieder)」と名付けられたものに作曲したリート。ハイネの若い頃の詩集だけに、若者特有の青春のほろ苦い感情が溢れ出している。これらの2曲の「リーダークライス」を歌っているのが往年の名バリトン歌手のディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウである。フィッシャー=ディースカウに悩み多き若者の心情を歌わせたら右に出る者はない。そのことをつくづく実感できるのがこのLPレコードである。ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(1925年―2012年)は、ドイツ出身のバリトン歌手。16歳からベルリンの音楽院で正式な声楽のレッスンを受け始める。しかし1943年、第二次世界大戦の兵役に召集され、歌手としての活動は一時中断される。そして終戦後の1947年、ドイツに戻り、プロ歌手としての活動が始まる。ベルリン・ドイツ・オペラのリリックバリトン歌手として採用され、オペラ・デビューを飾った。その後はイギリス、オランダ、スイス、フランス、イタリアなど各国で演奏旅行を行った。1951年にはザルツブルク音楽祭にフルトヴェングラーとの共演でマーラーのさすらう若者の歌を歌ってデビューを果たす。そして1951年、ロンドンのEMIスタジオにおいてジェラルド・ムーア(1899年―1987年)の伴奏で初めての歌曲のレコードを録音。以後ふたりは1967年のムーアの公演引退までしばしば演奏会や録音を行い、それらには高い評価が与えられた。フィッシャー=ディースカウのレパートリーは、ハイドンやベートーヴェン、シューベルト、シューマン、それにマーラー、ヴォルフ、やR.シュトラウスに至るまで他の追随を許さない広さを誇っていた。これらの作曲家の作品一つ一つが精緻を極めたフィッシャー=ディースカウの歌唱力によって新たな生命の息吹を吹き込まれたのであった。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ハンス・ホッターのシューベルト:歌曲集「冬の旅」

2022-03-03 10:10:56 | 歌曲(男声)


シューベルト:歌曲集「冬の旅」

バリトン:ハンス・ホッター

ピアノ:ジェラルド・ムーア

録音:1954年5月24日、27日

LP:東芝EMI EAC‐40096

 シューベルトの「冬の旅」は、ヴィルヘルム・ミューラーの詩に作曲した24からなる歌曲集である。同じシューベルトの歌曲集「美しき水車屋の娘」が青春賛歌のような趣があるのに対し、この歌曲集「冬の旅」は、死の前年に作曲されたこともあり、全体が陰鬱な雲に覆われた冬の不毛の大地を一人歩いて行く様子が描かれ、孤独と寂寥に包まれている歌曲集である。私がこの歌曲集を最初に聴いた時は、あまりの陰鬱さのため最後まで通して聴けなかったことを思い出す。いや、今だってこの歌曲集だけは、気楽な気分では聴けない。まず、季節である。「冬の旅」を聴くには冬、それも真冬の深夜に限る。私はそんな不文律を心に決めている。間違っても汗だくだくの真夏の昼間に聴くべき曲ではないのである。そんなわけで歌曲集「冬の旅」を聴くには1年を通して冬しかないのである。このLPレコードのライナーノートで西野茂雄氏も「ここには『水車屋』の“物語”も、牧歌的な背景もない。灰色の冬の野が私たちの視界をとざし、その中でただひとりの“私”の独白が続いてゆく。『冬の旅』の最大の特徴は、この均質な感情の異様な持続である」と表現している。しかも、この曲では歌手が決定的な要因となる。私にとって、今に至るまで「冬の旅」に最も相応しい歌手はというと・・・絶対にハンス・ホッターしかいないのである。バリトンといってもバス・バリトンの腹にこたえる重い響き、これを表現できる歌手は今に至るまでハンス・ホッター以外に絶対に存在しない、というのが私の信念になっている。「冬の旅」を歌うために生まれてきた歌手がハンス・ホッターだと言ったら言い過ぎであろうか。それにしても、第11曲「春の夢」の一時の安らぎは、とてもこの世のものとは思われないほどの心の安らぎを覚える。ハンス・ホッター(1909年ー2003年)は、ドイツ・オッフェンバッハ・アム・マイン出身。ミュンヘン音楽大学で学ぶ。1930年「魔笛」でオペラデビューを果す。1952年バイロイト音楽祭に出演し、以後15年にわたり主要なワーグナー作品に出演。これにより、ホッターはワーグナー歌いとして広く認められ、特に「ニーベルングの指環」のヴォータン、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」のハンス・ザックス、「パルジファル」のグルネマンツなどの役柄において高い評価を受けた。同時にリート歌手としても活躍。中でもシューベルトの歌曲集「冬の旅」のほか歌曲集「白鳥の歌」などが広く愛聴された。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ハンス・ホッターのシューマン:歌曲集「詩人の恋」/シューベルト:歌曲選集

2021-12-02 09:39:20 | 歌曲(男声)


シューマン:歌曲集「詩人の恋」

シューベルト:歌曲選集

        泉によせて
        漁夫の恋の喜び
        さすらい人
        ドナウ河にて
        さすらい人が月によせて
        老人の歌
        タルタスルの群れ

バリトン:ハンス・ホッター

ピアノ:ハンス・アルトマン

録音:バイエルン放送局制作の録音テープより

LP:日本コロムビア DXM-7-OP

 ハンス・ホッター(1909年―2003年)は、ドイツの著名なバス・バリトン歌手であった。バリトンには、ハイ・バリトンとバス・バリトンがあり、バス・バリトンは、バリトンとバスの中間に位置する。ハンス・ホッターは、ミュンヘン音楽大学で哲学と音楽学を専攻する一方、音楽アカデミーで、指揮者を目指して、ピアノ、オルガン、対位法など音楽学全般を学んだ。最終的には歌手の道をを目指すこととなり、1930年トロッパウで「魔笛」でオペラデビューを果たすことになった。その後、プラハ国立歌劇場、ハンブルク国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場などで活躍する。1947年ロンドンのコヴェントガーデン王立歌劇場、1950年メトロポリタン歌劇場においてもデビュー。1952年バイロイト音楽祭に出演し、以後15年にわたって主要なワーグナー作品に出演し、当時、偉大なワーグナー歌手として認められていた。その低音を生かした力強い男性的な歌声は、ワーグナーの楽劇には打って付けの歌手として高い評価を受けていたのである。一方では、シューベルトやシューマン、ヴォルフなどのリート歌手として、日本においもリサイタルを開いていた。今回のLPレコードは、そんなホッターがシューマンの「詩人の恋」を録音した珍しい盤。自身のバス・バリトンという声域から、シューベルトの「冬の旅」や「白鳥の歌」ならともかく、シューベルトの「美しき水車小屋の娘」やシューマンの「詩人の恋」は、リサイタルでは絶対歌わなかったようで、このLPレコードで「詩人の恋」を聴けることは、ある意味では奇跡的な出来事といってもオーバーでないかもしれない。聴いてみると「詩人の恋」は、テノールが歌う“青春歌”とは大分趣が異なり、年老いた男性が、若い頃を回想して歌っているような感じがするのは致し方ないといったところか。しかし、その歌唱力はさすが大歌手という以外になく、その重厚さには圧倒される。一方、シューベルトの方は、「シューベルトの歌曲はこう歌うのが正統」とでも言っているようで、静寂さと奥深さがひしひしとリスナーに伝わり、シューベルトの歌の世界の素晴らしさを堪能することができる。この録音が行われたのは1950年代であり、ハンス・ホッターが40歳台と、肉体的にも精神的にも最も充実した時代であった。一方、ピアノのハンス・アルトマンは、当時リート歌手の名伴奏者として絶大な信頼を得ており、第二次世界大戦後は主としてミュンヘンで活躍した。ここでも、名伴奏者ぶりを如何なく発揮している。(LPC)

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