★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇ヘンリック・シェリングのブラームス:ヴァイオリン協奏曲

2024-09-12 10:12:48 | 協奏曲(ヴァイオリン)


ブラームス:ヴァイオリン協奏曲

ヴァイオリン:ヘンリック・シェリング

指揮:アンタル・ドラティ

管弦楽:ロンドン交響楽団

録音:1962年、ロンドン

発売:1980年

LP:日本フォノグラム(フィリップスレコード) 13PC‐267(6570 304)

 幾多の名盤がひしめくブラームス:ヴァイオリン協奏曲の中でも、このLPレコードは、今でも一際、その大きな存在感を示している名盤中の名盤と言っていいだろう。ヴァイオリンのヘンリック・シェリング(1918年―1988年)と指揮のアンタル・ドラティ(1906年―1988年)のコンビによる演奏は、ドイツ音楽の正統派の頂点に立つ存在と言って過言でない。このLPレコード聴いていると、最近の演奏が如何にこじんまりと纏まり過ぎているかを痛感せずにはいられない。このLPレコードでの悠揚迫らざる態度で演奏する様を聴いていると、このヴァイオリン協奏曲の奥に潜んだ、原石の持つ魅力を最大限に表現しようとする情熱を痛切に感じないわけには行かない。小手先の技巧には決して走らず、曲の持つ奥深さやスケールの大きさを最大限に表現して余り無い。第1楽章の全体にわたる実にゆったりとした表現は、ヘンリック・シェリングのヴァイオリンの美しい音色を聴かせるには丁度よいテンポだ。アンタル・ドラティ指揮ロンドン交響楽団の伴奏は、決して表面に立つことはせずに、ヘンリック・シェリングのヴァイオリンの演奏のサポート役に徹しているわけであるが、さりとて単なる裏方ではなく、引き締めるところはきちっと引き締め、ヴァイオリン演奏を巧みに盛り上げて、見事の一言に尽きる。ヘンリック・シェリングのヴァイオリン演奏は、シゲティの後継者とも言われていたように、表面的な表現より、曲の核心をぐいっと掴み取る表現力の凄みのようなものが感じられ、印象に強く焼き付く。第2楽章に入ると、この傾向がさらに深まる。そして何より考え抜かれた叙情的表現の美しさは例えようもない。知的な叙情味とでも言ったらいいのであろうか。テンポも第1楽章よりさらにゆっくりと運んでいるようにも感じられる。時折点滅するような、陰影感をたっぷりと含んだ表現力がリスナーに対して堪らない魅力を発散する。第3楽章は、一転して心地良いテンポに一挙に様変わりする。そして、ブラームスの曲特有の分厚く、しかも重々しい響きが辺り一面を覆い尽くす。しかもヘンリック・シェリングのヴァイオリン演奏は、最後まで恣意的な解釈を排して、曲の核心から離れることは一切ない。正統的であるのに加えて、温かみのあるその演奏内容は、多くのファンの心を掴んで離さない。(LPC)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◇クラシック音楽LP◇オイストラフ&オボーリンの名コンビによるベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ第8番/第2番/第4番

2024-09-09 09:47:53 | 室内楽曲(ヴァイオリン)


ベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ第8番/第2番/第4番

ヴァイオリン:ダヴィド・オイストラフ

ピアノ:レフ・オボーリン

録音:1957年、パリ

発売:1977年

LP:日本フォノグラム(フィリップスレコード) X‐5690

 ヴァイオリンのダヴィド・オイストラフ(1908年―1974年)は、ロシアのオデッサ生まれ。オデッサ音楽院で学び、同音楽院を1926年に卒業後、直ぐに演奏活動を開始。1935年「ヴィエニアスキ国際コンクール」第2位、そして1937年には、「イザイ国際コンクール(現エリーザベト王妃国際音楽コンクール)」に優勝して、世界的にその名を知られることになる。1938年にはモスクワ音楽院の教授に就任。1949年までは旧ソ連内での活動に留まっていたが、1950年以降になると西欧各国での演奏活動を積極的に展開するようになる。その優れた技巧と音色、そしてスケールの大きな演奏により、西欧でも名声を不同なものとして行く。1974年10月に客演先のアムステルダムのホテルで逝去した。享年66歳。一方、ピアノのレフ・オボーリン(1907年―1974年)は、モスクワ生まれ。モスクワ音楽院で学び、1927年に同音楽院を卒業した翌年の1928年、第1回「ショパン国際ピアノコンクール」に優勝。以後西欧各国から招かれ、その第一級の腕を高く評価された。1935年にモスクワ音楽院教授に就任。ピアニストで今は指揮者として活躍しているアシュケナージも教え子の一人という。1938年からはオイストラフとコンビを組み二重奏の演奏を開始。さらにチェロのクヌシェヴィッキーを加えたトリオの演奏でも高い評価を得た。1974年1月にモスクワで死去。この2人のコンビでベートーヴェンのヴァイオリン全集が録音されたが、その中から3曲を収めたのが今回のLPレコードである。ベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ第8番は、中期を前にした曲で、明るくまとまりの良いヴァイオリンソナタとして知られる。第2番は、初期の作品であり、モーツァルトの影響も見られ、内容の充実度というよりは、新鮮な内容が特徴。第4番は、ベートーヴェン独自の個性が発揮され始めた頃の作品。2人によるこれら3曲の演奏内容は、いずれも緻密な計算の上に立ち、高い技巧で表現されているのが特徴。一部の隙のない演奏ではあるが、人間味のある暖かみがベースとなっているので、聴いていて自然に心が和んでくる。完成度の高さは極限まで追究している一方で、音楽の心は決して忘れてはいない。やはり、2人は不世出の名コンビだったということを、改めて思い知らされたLPレコードであった。(LPC)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◇クラシック音楽LP◇ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団のプロコフィエフ:交響曲第5番

2024-09-05 09:36:50 | 交響曲

プロコフィエフ:交響曲第5番

指揮:ジョージ・セル

管弦楽:クリーヴランド管弦楽団

録音:1959年10月24日、31日

LP:CBS/SONY 13AC 797

 セルゲイ・プロコフィエフ(1891年―1953年)は、現在のウクライナ生まれのロシア人作曲家。サンクトペテルブルク音楽院で学ぶ。ロシアが革命の嵐に包まれる中、1918年、プロコフィエフはアメリカへの移住を決意。シベリア・日本を経由してアメリカへ5回渡り、さらにパリに居を移す。20年近い海外生活の後、1936年に社会主義のソヴィエトへ帰国。このように何回も海外移住をを繰り返し、最期には祖国に帰還できたということは、当時のソ連政府がプロコフィエフの行動を黙認するしかなかった、ということであろう。つまり、それほどプロコフィエフの世界的な名声が高かったことの証だ。1948年、プロコフィエフは、ジダーノフ批判の対象となるかとおもえば、1950年度のスターリン賞第2席を得るなど、当時のソ連政府のプロコフィエフへの評価は大きく揺らいでいたようだ。偶然ではあるがプロコフィエフの死は、スターリンの死と同年同月同日であった。「スターリンの死が国家的大事件であったのに比べ、プロコフィエフの死は誰も知らなかった」と、同じロシア出身で、亡命の経験を持つウラディーミル・アシュケナージは、プロコフィエフの晩年の淋しい死について語っていた。そんなプロコフィエフが作曲した交響曲の中で、第1番「古典交響曲」と並び人気の高い交響曲第5番を収めたのがこのLPレコードだ。1941年にヒトラーの率いるドイツ軍が独ソ不可侵条約を一方的に破棄してソ連に攻め入る現実を見て、かつてない祖国愛に目覚めて作曲したのが、この交響曲第5番と言われている。初演は1945年、モスクワのモスクワ音楽院大ホールにて、プロコフィエフ自身の指揮それにモスクワ国立交響楽団の演奏で行われ、ソヴィエト全域にラジオ放送で中継されたという。このLPレコードは、ハンガリー出身の名指揮者ジョージ・セル(1897年―1970年)がクリーヴランド管弦楽団を指揮した録音。ジョージ・セルとクリーヴランド管弦楽団のコンビは、1946年から1970年の24年間にも及んだが、この録音は1959年なので、その中間期の録音に当る。実際聴いてみると、重厚で威厳のある第1楽章、軽快でスケルツォ風の第2楽章、美しい旋律が次々と現れる叙情的な第3楽章、そして勇猛で力強い雰囲気に満ちた第4楽章からなる全4楽章を、実に流麗に、しかも内容がぎっしりと詰まった演奏を展開しており、聴くものの心を掴んで決して離さない魅力に富んだものとなっている。(LPC)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◇クラシック音楽LP◇フランス・ブリュッヘンのブロックフレーテ(リコーダー)によるバロック音楽名演集

2024-09-02 09:37:30 | 古楽


①ヴィヴァルディ:ブロックフレーテ、オーボエ、ヴァイオリン、ファゴットと通奏低音のための協奏曲
②バード:5声部のブラウニング“青葉”―5本のブロックフレーテのための―
③シンプソン:4声部のリチェルカーレ“愛しいロビン”―ガンバ、ブロックフレーテ、ガンバ/ヴァージナルのための―
④モーリー:哀しみのファンタジア(2声部)―ブロックフレーテ、ガンバのための―
⑤モーリー:狩りのファンタジア(2声部)―ブロックフレーテ、ガンバのための―
⑥パーチャム:ブロックフレーテと通奏低音のためのソロ
⑦ヴァン・エイク:“ダフネ”による変奏曲
⑧ラヴィーニュ:ブロックフレーテと通奏低音のためのソナタ「ラ・バルサン」
⑨ダニカン=フィリドール:ブロックフレーテと通奏低音のためのソナタ
⑩テレマン:ファンタジア―無伴奏フルートまたはヴァイオリンのための“12のファンタジア”より

ブロックフレーテ(リコーダー):フランス・ブリュッヘン


オーボエ:ユルク・シェフトライン
ヴァイオリン:アリス・アーノンクール
ファゴット:オットー・フライシュマン
チェロ:ニコラウス・アーノンクール
チェンバロ:グスタフ・レオンハルト

②~⑤
ブリュッヘン合奏団(オリジナル楽器使用)
指揮:フランス・ブリュッヘン


ガンバ:ニコラウス・アーノンクール
チェンバロ:グスタフ・レオンハルト

⑧~⑨
チェロ:アンナー・バイルスマ
チェンバロ:グスタフ・レオンハルト

発売:1980年

LP:キングレコード K15C-9036

 ブロックフレーテは、ドイツ語での呼び方で、英語ではリコーダーとして知られる、古楽で使われる木管楽器。同じエアーリード(リードを持たない木管楽器)である現代のフルートが横笛であるのに対し、ブロックフレーテは縦笛。吹奏が比較的に容易であり、構造もシンプルで、安価に量産できるため、日本では教育楽器として多用されている。西ヨーロッパでは中世からその存在が知られ、ルネサンス期には盛んに用いられ、バロック期前半の17世紀には現在用いられるものとほぼ同じ形のものが完成された。テレマンが自ら演奏したことでも知られる。しかし、続く古典派音楽に至って、ブロックフレーテは全く顧みられなくなってしまった。ところが、20世紀初頭になり、復元され、過去の奏法が研究され、現在では古楽演奏では欠かせない楽器の一つとなっている。フランス・ブリュッヘン(1934年―2014年)は、オランダのアムステルダム出身。アムステルダム音楽院、アムステルダム大学で学ぶ。卒業後に古楽演奏に取り組み、1950年代よりブロックフレーテ奏者として活動を開始し、古楽の草分け的な存在となった。1981年には、オリジナル楽器のオーケストラである「18世紀オーケストラ」を結成して指揮者に転じた。フランス・ブリュッヘンは、この18世紀オーケストラを指揮し、多数の録音を遺した。1973年にはブロックフレーテ奏者として初来日を果たしている。このLPレコードには、フランス・ブリュッヘンのブロックフレーテ演奏を中心に、ブロックフレーテが使われた古楽の室内楽の名品が収めらている。フランス・ブリュッヘンが演奏するブロックフレーテの音色は、あたかも幻想のベールに包まれたようでもあり、素朴であるが詩的な雰囲気を醸し出し、他の楽器では到底表現不可能なような、しみじみとした情緒が辺りを覆う。昨今は古楽ブームと言ってもいいような状況にあるが、この古楽の開拓者の一人がフランス・ブリュッヘンその人である。この意味で、フランス・ブリュッヘンは、単なるブロックフレーテの一奏者というより、現代に古楽を蘇らせた偉大な演奏家として、後世にその名を留めることになるであろう。それにしても、このLPレコードでのフランス・ブリュッヘンのブロックフレーテ演奏は、何と純粋な美しさに満ち溢れていることか。久しぶりに古楽の楽しさを存分に味わうことができた。(LPC)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする