2006年3月29日。
ブラジルの端をかすめ、大西洋を渡りチャドに上陸、リビア~エジプトを駆け抜けてトルコ、そしてモンゴルで地球を離れる月の影。
◆アストロアーツ
2006年3月29日 皆既日食
~アフリカから中央アジアにかけて、最長4分~
1サロス前…1988年3月18日。
私は小笠原沖『にっぽん丸』船上に居ました。
東京に帰るよりもグアム、サイパンの方が近かった洋上。
『にっぽん丸』航跡図@黒い太陽にロマンを求めてby 佐山敬悦さん
観測はインマルサットや気象FAX、経験と知識を駆使して晴天域を求めて移動。途中で遭遇した他の観測船(『ゆうとぴあ』だったかと…)が本船の後を追いかけてきたり、雲を避けてクルリンと回ったりしましたが、無事黒い太陽に逢うことが叶いましたっ。♪
W船長さん他クルーやスタッフの皆様、どうもありがとうございました!!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/49/fd1cfa27bd6cdaa8cca37cfba822f0cc.jpg)
撮影機材が少なかったなぁ…。
洋上だからと諦めていたのもあるけれど、アルミのカメラ・バック1つと三脚だけ。
同行の『日蝕貧乏5人組』の仲間達の準備風景ですが、1人は学会出席のためお休み。
一番右に写っている彼は、現在エジプト・サルームに居ます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/5b/11f5968ce52cfd542c6a8f951707882f.jpg)
『日蝕貧乏5人組』のTシャツ。(背面)
日蝕前に船室内で撮影。
胸にも大きく日蝕ドラゴンが描かれていますが、本サイトのいくつかのページの背景画像に使っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/fa/ca379d72e22fc009bdadbcaa4c825d05.jpg)
後日『皆既日蝕観測@にっぽん丸・思い出会』なるものが開催されたのですが、それに合わせて『日蝕ドラゴン』と『航跡図』とをあしらった記念Tシャツを作成。好評を頂き、多くの方にご購入頂きました。(^^)/
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/70/f7ee18feafb08dfe754dbca286d15250.jpg)
日蝕観測後の甲板の様子。写っているのは国立天文台(当時)の観測隊や、読売新聞、五島プラネタリウムのツアー参加者の方々など…。
あれから18年10日と8時間…。
あの黒い太陽に再会です。
◆今回の皆既日蝕中継サイト
一覧にしてみました。
リプレイ映像の配信をするサイトもあるので、日蝕後もチェックしてみて下さい。
◆サロス周期 by wikipedia
◆日食とサロスの周期
by 日食図・日食計算オンライン・データベース
◆サロス周期 by LIVE!ECLIPSE日食講座
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/ee/6493c6100740e29456480c9eb85892a0.jpg)
『にっぽん丸』での船旅は、時化がひどかったにも関わらず、船のスタビライザが故障したために随分と揺れ、乗客の多くは船酔いで大変な思いをされていました。
ローリングとピッチが容赦なく襲ってきて、船室で寝ていると波に乗り上げた船が海面に叩き付けられるド~ン!ド~ン!という鈍い音が響いてきて、同室の友人達も次々と船酔いでダウンしてしまいました。
日が経つにつれて、ダイニングに現れる人が徐々に減っていくという状況で、寂しい雰囲気の中で食事をしたり、船室で臥せっている友人のために食べられそうなものを見繕って持ち帰ったりしましたが、友人はスープやアイスクリームを口にするのがやっとという有様。
揺れがひどい時には誰も居ないダイニングの椅子とテーブルが片舷にザザザ~ッと滑って、まるで映画タイタニック号の1シーンのような光景を目の当たりにしたこともありましたし、船内を歩いていても、度々よろけてしまいました。
分度器と糸を通した5円玉で作った簡易揺れ測定器(?)では、30°くらいの揺れだったようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/df/5dbc7ccd71479ea077b00f764718c06c.jpg)
今にもスープがこぼれそうな揺れ。
最大時はもっと酷かった…。(*_*;)
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=soranokiroku-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4769809042&fc1=000000&IS2=1<1=_blank&lc1=0000ff&bc1=acccf5&bg1=acccf5&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0" align="right"></iframe> みんなには申し訳ないと思いつつ、私は船酔い知らずで快適に船旅を楽しむことが出来、毎日セミナーに出たり、甲板でのんびり手紙を書いたり写真を撮ったり、夜な夜なあちこちで行われる酒盛りをハシゴして、沢山のお友達を作ることも出来ました。
そんな状況ではありましたが、日蝕当日は、友人達も朝から元気百倍。
観測成功の高揚した気分で、夜には部屋で祝杯を揚げたり、船内のディスコで踊ったり…でも、元気だったのは日蝕当日と翌日の小笠原上陸の時だけでした。
船酔いした友人達は、未だに「二度と船旅はしない!」と言うくらいでこりごりの様子ですが、私は船旅ほど楽なものはないと思った次第。
船酔いは、それほど辛かったのでしょうね。
日蝕観測が成功に終わった日の午後には、船長さんにプールに海水を張って頂くというおねだりをしました。
「言い出しっぺがまず最初に泳ぐべし!」と言われたまでは良かったのですが、水を張った時間が遅かったので海水が温まる暇がなく、震え上がって一泳ぎするのがやっと。それでもいくらかの方が泳がれたようです。
今にして思えば、プールを満たすのにも手間や費用はかかった筈で、わがまま言って申し訳ありませんでした。m(__)m
さよならパーティの際だったか、船長さんに「今回、船の中で一番元気だったのはアナタでしたね」と言われ、私の船旅は楽しい思い出を目一杯詰め込んで終わりました。
W船長さんは既に退職され、現在は名誉船長として広報普及活動などをされています。(未だに年賀状などの行き来があるほど、私にはとても素晴らしい旅でした。)
私にとって、むしろ辛かったのは船酔いではなく、下船して2日ほど続いた丘酔いだったかも知れません。(^^ゞ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/f0/58a99428df44bfa4afb514dd4e79b9c9.jpg)
小笠原・父島にて
今は昔…元気だった私。
ブラジルの端をかすめ、大西洋を渡りチャドに上陸、リビア~エジプトを駆け抜けてトルコ、そしてモンゴルで地球を離れる月の影。
◆アストロアーツ
2006年3月29日 皆既日食
~アフリカから中央アジアにかけて、最長4分~
1サロス前…1988年3月18日。
私は小笠原沖『にっぽん丸』船上に居ました。
東京に帰るよりもグアム、サイパンの方が近かった洋上。
『にっぽん丸』航跡図@黒い太陽にロマンを求めてby 佐山敬悦さん
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/89/5829199bab7ba3643cf657b66b890bdc.jpg)
観測はインマルサットや気象FAX、経験と知識を駆使して晴天域を求めて移動。途中で遭遇した他の観測船(『ゆうとぴあ』だったかと…)が本船の後を追いかけてきたり、雲を避けてクルリンと回ったりしましたが、無事黒い太陽に逢うことが叶いましたっ。♪
W船長さん他クルーやスタッフの皆様、どうもありがとうございました!!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/49/fd1cfa27bd6cdaa8cca37cfba822f0cc.jpg)
撮影機材が少なかったなぁ…。
洋上だからと諦めていたのもあるけれど、アルミのカメラ・バック1つと三脚だけ。
同行の『日蝕貧乏5人組』の仲間達の準備風景ですが、1人は学会出席のためお休み。
一番右に写っている彼は、現在エジプト・サルームに居ます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/5b/11f5968ce52cfd542c6a8f951707882f.jpg)
『日蝕貧乏5人組』のTシャツ。(背面)
日蝕前に船室内で撮影。
胸にも大きく日蝕ドラゴンが描かれていますが、本サイトのいくつかのページの背景画像に使っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/fa/ca379d72e22fc009bdadbcaa4c825d05.jpg)
後日『皆既日蝕観測@にっぽん丸・思い出会』なるものが開催されたのですが、それに合わせて『日蝕ドラゴン』と『航跡図』とをあしらった記念Tシャツを作成。好評を頂き、多くの方にご購入頂きました。(^^)/
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/70/f7ee18feafb08dfe754dbca286d15250.jpg)
日蝕観測後の甲板の様子。写っているのは国立天文台(当時)の観測隊や、読売新聞、五島プラネタリウムのツアー参加者の方々など…。
あれから18年10日と8時間…。
あの黒い太陽に再会です。
◆今回の皆既日蝕中継サイト
一覧にしてみました。
リプレイ映像の配信をするサイトもあるので、日蝕後もチェックしてみて下さい。
◆サロス周期 by wikipedia
◆日食とサロスの周期
by 日食図・日食計算オンライン・データベース
◆サロス周期 by LIVE!ECLIPSE日食講座
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/ee/6493c6100740e29456480c9eb85892a0.jpg)
『にっぽん丸』での船旅は、時化がひどかったにも関わらず、船のスタビライザが故障したために随分と揺れ、乗客の多くは船酔いで大変な思いをされていました。
ローリングとピッチが容赦なく襲ってきて、船室で寝ていると波に乗り上げた船が海面に叩き付けられるド~ン!ド~ン!という鈍い音が響いてきて、同室の友人達も次々と船酔いでダウンしてしまいました。
日が経つにつれて、ダイニングに現れる人が徐々に減っていくという状況で、寂しい雰囲気の中で食事をしたり、船室で臥せっている友人のために食べられそうなものを見繕って持ち帰ったりしましたが、友人はスープやアイスクリームを口にするのがやっとという有様。
揺れがひどい時には誰も居ないダイニングの椅子とテーブルが片舷にザザザ~ッと滑って、まるで映画タイタニック号の1シーンのような光景を目の当たりにしたこともありましたし、船内を歩いていても、度々よろけてしまいました。
分度器と糸を通した5円玉で作った簡易揺れ測定器(?)では、30°くらいの揺れだったようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/df/5dbc7ccd71479ea077b00f764718c06c.jpg)
今にもスープがこぼれそうな揺れ。
最大時はもっと酷かった…。(*_*;)
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=soranokiroku-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4769809042&fc1=000000&IS2=1<1=_blank&lc1=0000ff&bc1=acccf5&bg1=acccf5&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0" align="right"></iframe> みんなには申し訳ないと思いつつ、私は船酔い知らずで快適に船旅を楽しむことが出来、毎日セミナーに出たり、甲板でのんびり手紙を書いたり写真を撮ったり、夜な夜なあちこちで行われる酒盛りをハシゴして、沢山のお友達を作ることも出来ました。
そんな状況ではありましたが、日蝕当日は、友人達も朝から元気百倍。
観測成功の高揚した気分で、夜には部屋で祝杯を揚げたり、船内のディスコで踊ったり…でも、元気だったのは日蝕当日と翌日の小笠原上陸の時だけでした。
船酔いした友人達は、未だに「二度と船旅はしない!」と言うくらいでこりごりの様子ですが、私は船旅ほど楽なものはないと思った次第。
船酔いは、それほど辛かったのでしょうね。
日蝕観測が成功に終わった日の午後には、船長さんにプールに海水を張って頂くというおねだりをしました。
「言い出しっぺがまず最初に泳ぐべし!」と言われたまでは良かったのですが、水を張った時間が遅かったので海水が温まる暇がなく、震え上がって一泳ぎするのがやっと。それでもいくらかの方が泳がれたようです。
今にして思えば、プールを満たすのにも手間や費用はかかった筈で、わがまま言って申し訳ありませんでした。m(__)m
さよならパーティの際だったか、船長さんに「今回、船の中で一番元気だったのはアナタでしたね」と言われ、私の船旅は楽しい思い出を目一杯詰め込んで終わりました。
W船長さんは既に退職され、現在は名誉船長として広報普及活動などをされています。(未だに年賀状などの行き来があるほど、私にはとても素晴らしい旅でした。)
私にとって、むしろ辛かったのは船酔いではなく、下船して2日ほど続いた丘酔いだったかも知れません。(^^ゞ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/f0/58a99428df44bfa4afb514dd4e79b9c9.jpg)
小笠原・父島にて
今は昔…元気だった私。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます