今日は母の命日。
30年余り前の今日、朝方危篤状態になり、夕方帰らぬ人となりました。
遺体とともに病院から実家へ向かう時、雪が降ってたことはよく覚えてます。
悲しくて悲しくたくさん泣いたけど、母はもう苦しむことは無いんだと思うと、
ホッとした気持ちもありました。
あれから、あまり好きではなかった父とは普通に仲良くなれました。
頑固おやじだった父がすごく変わったからです。
その後、孫が出来たのも理由の一つだと思います。
27日にお通夜、28日に葬儀。
年の瀬が迫る時期、葬儀からどんな大晦日やお正月を過ごしたか、
部分的に覚えてることはあるけど、ほとんど忘れてしまいました。
当時は、家で葬儀をするのが当たり前だったけど、あの頃から遺影はカラーの時代に
入ってきてたようで、カラーにするかモノクロにするか家族で悩みました。
結局我が家はカラーにしました。
子どもたちに知ってほしくて、26日は、当日のことや母のことなど、
文章にしてLINEで送ることにしてます。
まだまだ親は元気で死ぬわけない、そう思ってる子どもたちには、
モーリーの母が亡くなった時のことを読んでもピンとこないだろうけど。
30年余り前の今日、朝方危篤状態になり、夕方帰らぬ人となりました。
遺体とともに病院から実家へ向かう時、雪が降ってたことはよく覚えてます。
悲しくて悲しくたくさん泣いたけど、母はもう苦しむことは無いんだと思うと、
ホッとした気持ちもありました。
あれから、あまり好きではなかった父とは普通に仲良くなれました。
頑固おやじだった父がすごく変わったからです。
その後、孫が出来たのも理由の一つだと思います。
27日にお通夜、28日に葬儀。
年の瀬が迫る時期、葬儀からどんな大晦日やお正月を過ごしたか、
部分的に覚えてることはあるけど、ほとんど忘れてしまいました。
当時は、家で葬儀をするのが当たり前だったけど、あの頃から遺影はカラーの時代に
入ってきてたようで、カラーにするかモノクロにするか家族で悩みました。
結局我が家はカラーにしました。
子どもたちに知ってほしくて、26日は、当日のことや母のことなど、
文章にしてLINEで送ることにしてます。
まだまだ親は元気で死ぬわけない、そう思ってる子どもたちには、
モーリーの母が亡くなった時のことを読んでもピンとこないだろうけど。
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