SHAンパンでもいかが?

「最終楽章 気分はAdagio」
77歳の一人暮らし。

親心

2022-08-30 22:44:00 | 日記
朝は雨になり草刈りは
お休み。
ゆっくり朝食を
頂きました。

ネクタリン、
とても美味しいでした。






   ✨✨✨✨✨

ルードヴィヒ・ヴァン・べ―ト―ヴェンは
1770年12月16日に
現ドイツのボンに生まれました。
生まれた子供が皆成長した
のであれば、7人兄弟の次男
ということになるのですが
成人した兄弟は三男と
四男の二人の弟だけでした。


父のヨ―ハンは12歳頃から
宮廷楽団で歌手を務めたり
ヴァイオリンを弾く
音楽家でした。

27歳の時に19歳で
寡婦になっていた
マリア・マグダレーナ・
ケフェリヒと
結婚しましたが
マリアは情の深い
心優しい女性であり
教養こそ欠けていたものの
物静かなとても品の良い
女性だったようです。

このような家庭に生まれた
ベ―ト―ヴェンが幼児期から
音楽の教育を受けたのは
自然のなりゆきでした。
最初の教育は父から
受けるのです。
息子に授けたのは
クラヴィーコ―ド
(ピアノの前身の楽器)
奏法でした。

   🥀🥀🥀🥀🥀

父は頑固で欲深い
テノ―ル歌手だったようで
息子の才能を利用し
第2のモ―ツアルトに
仕立てあげたいと
夢みたようです。
息子の演奏のことになると
極めて粗暴な性格になり
しかもアルコール依存症
でした。
下手な演奏をすると
一家の恥だと罵ったのです。

べ―ト―ヴェンの父親は
まるで鬼のように
言われていましたが
彼も親でした。
日曜日になると家主の
部屋を訪れて
「私のル―ドヴィッヒは
今のところ私のたった
一つの喜びです。
彼は音楽で大変に進歩して
いるのです。
彼は皆から驚嘆の眼を
持って見守られています。
私のルードヴィヒ、
私のルードヴィヒ、
彼が時の経つにつれて
世界中での偉大な男に
なるであろうことは
私にはわかっているのです」
としばしば語っていたと
いうのです。

べ―ト―ヴェンが6歳頃の
話です。

  ✨✨✨✨✨✨


とても美しいピアノ・ソナタ
Op101の1楽章。
内田光子氏