SHAンパンでもいかが?

「最終楽章 気分はAdagio」
77歳の一人暮らし。

北欧のセンス

2023-12-13 09:28:00 | 日記


グリーグは1843年に
ノルウェーのベルゲンで
生まれました。
家は海産物商で
父親はイギリス領事も
兼ねていました。
母親は地元で知られた
プロのピアニストでした。

15歳でドイツの
ライプツィヒ音楽院に
留学します。
そこで出会った
ピアノの師は
シューマンの親友の
ヴェンツェルでした。
この師を通して
グリーグはシューマンに
傾倒していきます。
シューマンの
ピアノ協奏曲を
聴いたのはこの街で
独奏は作曲者の妻の
クララ・シューマンでした。

このシューマンの
協奏曲との
出会いは
グリーグの
ピアノ協奏曲に
大きな意味を
持たらしました。

2つの協奏曲は
共通点が
沢山あるのです。
いずれもイ短調で
冒頭はピアノの
下降音型で
始まります。
すぐにオーボエが
メロディを吹くところや
2楽章から終楽章まで
立て続けに演奏するのも
同じです。


グリーグが
ピアノ協奏曲を
書いたのは1868年
結婚の翌年で
新婚の甘い気分の中で
作曲され
北欧的な
叙情溢れる作品の初演は
大喝采を浴びました。

翌年、グリーグは
ローマに
リストを訪問して
巨匠の批評を
仰いだところ
59歳のリストは
初見で演奏して
絶賛したのです。

グリーク
ピアノ協奏曲の冒頭です。
キーシンとベルリン・フィル

(2‘25‘‘)