夜には息子達が
帰省します。
日頃、私物を
部屋中に
広げていますので
片付けに
追われています。
間に合うかな。💦💦
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ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ
(1710-1784)
大バッハの
長男として生まれ
20人の子供のうちで
最も溺愛されます。
はじめての音楽教育は
父がおこないましたが
教科書として
≪ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのための小曲集≫
で楽典の基礎を
学んだあとに
≪インベンションとシンフォニア≫で
鍵盤の技術を学び
≪平均律クラヴィーア曲集≫でフ―ガを習います。
大バッハによる
完璧な英才教育を
受けます。
10歳になると
作曲のレッスンも
始まりました。
当時のドイツは
大変な学歴社会で
そのことを
思い知っていたバッハは
ライプツィヒに
転勤になった時
息子が
まだ13歳であるにも
関わらず
入学の手続きを
していました。
フリーデマンは
ライプツィヒ大学
法学部に入学。
音楽でも父の期待を
一身に背負い
ドレスデンで
オルガニストに
就任します。
このときの
履歴書や書類
試験曲の作曲まで
父親が書いた
ようです。
↓
ドレスデン
父親の過保護は
のちに
フリーデマンを
風変わりな人間へと
変貌させて
いきました。
大バッハの死後
フリーデマンの生活から
父の威光が失われると
フリーデマンは
不安定な生活と
だらしない性格から
相続分の
父親の自筆譜を
多く散逸させたばかりか
父の作品を
自作だと
偽っていました。
就職先も失い
その後は
放浪生活の日々を続け
貧窮の末に
世を去りました。