SHAンパンでもいかが?

「最終楽章 気分はAdagio」
77歳の一人暮らし。

過保護の果て。

2023-12-28 09:35:00 | 日記

夜には息子達が
帰省します。
日頃、私物を
部屋中に
広げていますので
片付けに
追われています。
間に合うかな。💦💦

   🥀🥀🥀🥀🥀


ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ
(1710-1784)

大バッハの
長男として生まれ
20人の子供のうちで
最も溺愛されます。

はじめての音楽教育は
父がおこないましたが
教科書として
≪ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのための小曲集≫
で楽典の基礎を
学んだあとに
≪インベンションとシンフォニア≫で
鍵盤の技術を学び
≪平均律クラヴィーア曲集≫でフ―ガを習います。
大バッハによる
完璧な英才教育を
受けます。

10歳になると
作曲のレッスンも
始まりました。


当時のドイツは
大変な学歴社会で
そのことを
思い知っていたバッハは
ライプツィヒに
転勤になった時
息子が
まだ13歳であるにも
関わらず
入学の手続きを
していました。

フリーデマンは
ライプツィヒ大学
法学部に入学。

音楽でも父の期待を
一身に背負い
ドレスデンで
オルガニストに
就任します。
このときの
履歴書や書類
試験曲の作曲まで
父親が書いた
ようです。

ドレスデン


父親の過保護は
のちに
フリーデマンを
風変わりな人間へと
変貌させて
いきました。

大バッハの死後
フリーデマンの生活から
父の威光が失われると
フリーデマンは
不安定な生活と
だらしない性格から
相続分の
父親の自筆譜を
多く散逸させたばかりか
父の作品を
自作だと
偽っていました。



就職先も失い
その後は
放浪生活の日々を続け
貧窮の末に
世を去りました。