SHAンパンでもいかが?

「最終楽章 気分はAdagio」
77歳の一人暮らし。

リッチな気分

2023-05-16 08:08:00 | 日記


パリ郊外にラヴェルが
晩年を過ごした家が
あります。








機械類や細かい飾り物を
こよなく愛したラヴェル。
自室には時計や
機械仕掛けの人形や
小さくてメカニカルなものが
沢山置かれていました。

彼は酒豪では
ありませんが
20世紀に
フランスに入ってきて
流行った
カクテル・パーティが
お気に入りで
自宅でも夕方5時から
1時間はカクテル・タイム
だったようです。

   ✨✨✨✨✨

今日の近畿は
6月・7月上旬の暑さに
なるようですね。

そんな夏日に
簡単で美味しいカクテルは
オレンジジュースに
シャンパンを注ぐ
「ミモザ」でしょうか。






そして桃の季節には
「ベリーニ」
生の桃ジュースに
飲み残しの
シャンパンを注ぐと
なんとも
贅沢なカクテルに
変身です。





  ✨✨✨✨✨


モダンな感覚で
オシャレな
ラヴェルの「ソナチネ」

マルタ・アルゲリッチ















Eat Beau Tea

2023-05-15 08:11:00 | 日記

台湾発の食べるお茶を
母の日のプレゼントに
届けてくれました。
ありがとう!


氷砂糖入りの甘酸っぱい
ルビー色のお茶。

小豆やナツメ、ハトムギは
眠る前のお茶に最適。

山査子のスティックは
食後の口直しにもなる
デザートで
早速、頂きました。



  ✨✨✨✨✨


兄弟のような付き合いの
盟友ブラームスが
「あいつがゴミ箱に捨てた
メロディだけで
私は1曲作れる」という位
ドヴォルザークの作品には
次々と美しいメロディが
登場します。

そんな彼の作品
「母の教えたまいし歌」は
ジプシー歌曲集 Op.55の
第4曲目で
フリッツ・クライスラーが
ヴァイオリンとピアノに
編曲したことで
有名になりました。



  ✨✨✨✨✨


毎年、母の日に
コンサートを開いていた
佐藤しのぶさん。
2019年に61歳で
世を去られました。



   ✨✨✨✨✨✨

アントニン・ドヴォルザーク
「母の教えたまいし歌」

うた 佐藤しのぶ
指揮 外山雄三

NHK交響楽団





母の日に

2023-05-14 07:27:00 | 日記


1816年に作曲された
世界的に有名な
シューベルトの
「子守歌」
15歳の時に母を亡くした
母親への思いが込められて
います。

日本語の歌詞は
「眠れ 眠れ 母の胸に」
で始まります。

歌   エリー・アメリンク
ピア丿 ダルトン・
    ボールドウィン



「シューベルティアーデ」

シューベルトが
就職したのは
教員だった父の学校で
補助教員を3年間
務めただけで
年俸は
わずかに20万円ほど
だったようです。

それからは
シューベルトの音楽に
魅了された友人たちが
自宅に滞在させ
私的なコンサートを
開催していました。

18歳の時に「野薔薇」や
「魔王」を発表。
生涯に作曲した
633の歌曲が
後世に評価され
「歌曲の王」と
呼ばれますが
死後50年後に
明らかになったところ
31年という
短い年月の間に
1000曲以上の
美しい作品を
書き残していました。
(生前に発表されたのは
200曲ほどだったのです)




他の大作曲家と
違うところは
多くの友人達が
彼を支えたことで
ウィーンの神学校や
個人の邸宅で
シューベルトの作品を
中心とする集まりが
定期的に行われ
ワインを片手に
彼の作品を楽しむ
「シューベルティアーデ」
呼ばれる音楽会が
開かれていました。

この名称は現代でも
持ちいられているのです。



最も大切な儀式

2023-05-13 07:34:00 | 日記






アン王女




戴冠式から間もなく
1週間。
ウエストミンスター寺院の
聖別式の儀式が
youtubeにありました。

  ✨✨✨✨✨

戴冠式中の
一番重用な部分の
塗油の儀式ですが
秘儀とされていて
映像は放送されずに
覆いの中で
行われたのです。


キリスト教国である
イギリスでは
カンタベリー大主教が
新君主の手と腕と頭と胸に
聖油を注ぎ
神への忠誠を誓わせる
儀式が行われます。
新国王は儀式用の
ローブを脱ぎ
白シャツの御姿です。

鷲の形をした
聖香油の容器と
スプーン




起源は旧約聖書の
「列王記下」に
記されていて
ソロモン王が
王冠を受けた時に
塗油され
聖別式を行ったことが
記されています。

   ✨✨✨✨✨

儀式に先立って
歌われるのが
グレゴリアン・チャントの
Veni Creator Spiritus
(聖霊来たりたまえ)


本来はラテン語ですが
ウエストミンスター寺院
聖歌隊により
英語で歌われたので
少しとまどいましたが
とても美しいでした。



そして聖別式に
ヘンデル作曲
「Zadok the Priest」
(司祭ザドク)

1727年
ジョージ2世の戴冠式に
ヘンデルによって作曲され
戴冠式讃歌と
呼ばれています。
塗油の儀式の折に
オーケストラと
合唱で演奏され
華やかです。

(9‘46‘‘)


初めての英国の戴冠式を
興味深く拝見させて
頂きました。

悪魔と天使

2023-05-12 06:40:00 | 日記





歴代のヴァイオリストの中で
群を抜いているのが
ニコロ・パガニーニです。 

ジェノバ(現イタリア)
出身のパガニーニは
「悪魔と契約した」と
言われるくらい
人間離れした
演奏テクニック
観客を魅了しました。

11歳で演奏活動を始め
18歳で家を飛び出して
自分でプロデュースをして
演奏会を開き
名声を得ますが
演奏技術の高さは
「悪魔的」と畏怖されて
いました。

一方でその生活は破天荒。
演奏会の前に博打で
出演料を失うのは
日常茶飯事。
奔放な恋愛遍歴も有名で
トラブルの絶えない人生
でした。
世を去った時には
教会が埋葬を拒否する
事態になったのです。

  ✨✨✨✨✨✨

そのパガニーニが書いた
ヴァイオリン協奏曲は
6曲ありますが
いずれも至難の技術を
散りばめた難曲揃いです。

特に協奏曲第一番は
激烈な彼の生き方
そのままの作品ですが
それを11歳の
天使のような
吉村妃鞠ちゃんが
演奏していますので
よろしければどうぞ。

5月9日 NHK交響楽団
ヴァイオリン HIMARI
指揮 ケリ・リン・ウィルソン
(40‘16‘‘)

アンコール
バッハ
無伴奏ヴァイオリンソナタ
第1番アダージオ



眠りの森の?

2023-05-11 09:25:00 | 日記
↑トロイメライ(夢)

火曜日の夜半に
体調を崩し
まんじりともせず
朝を迎えました。
予定をキャンセル
させて頂き
9時過ぎから眠りましたが
それから今朝の7時まで
死んだように。(笑)

おかげさまで今朝は
すっきりです。

  ✨✨✨✨✨✨

そこで細密画のように
美しいラヴェルの
音楽にさせて頂きました。

「マ・メール・ロア」
以前にアルゲリッチと
ランランの連弾で
ご紹介しましたが
オ―ケストラ版は
色とりどりの情感を
美しく高雅な書法で
描いています。

第1曲
眠れる森の美女のパヴァ―ヌ

第2曲
親指小僧

第3曲
パゴダの女王レドロネット

第4曲
美女と野獣の対話

第5曲
妖精の園

眠りの森の美女が王子の
口づけで目を覚ます
シーンです。

ラヴェル作曲
「マ・メール・ロア



今でも人気作品の一つ

2023-05-10 09:29:00 | 日記




べートーヴェンの
初期のソナタの最高峰である
「悲愴ソナタ」

2楽章はドラマの中で
使われているそうで
特に好きだと
弾いてくれます。

  ✨✨✨✨✨✨


このソナタは
リヒノフスキー侯爵に
献呈されました。





カール・アイロス・フォン・リヒノフスキー侯爵は
モーツァルトや
べートーヴェンを
支えた人物です。
プロイセンの地方貴族の
息子でしたが、
ウィーンに生まれ育ち
ウィーンの宮廷に仕えます。

1792年にドイツのボンから
ウィーンに出てきた
べート―ヴェンのために
リヒノフスキーは
自邸の一室を提供しました。
又、彼は1800年から
べ―ト―ヴェンに対して
年に300万円の年金を
払うようになります。

又、べートーヴェンに
アマティ、グァルネリと
いう高価な弦楽器を提供し
(弦楽四重奏のため?
さらにパリのエラール社に
ピアノをオーダーして
います。

リヒノフスキーなどの支援で
ウィーンでの生活は
順調でゆとりが
あったようで
1799年に出版された
「悲愴ソナタ」は
大好評でした。
楽譜の売れ行きは
とても良かったようですが
この頃から
べート―ヴェンの耳は
ゆっくりと変調を
きたしていきます。

べートーヴェンと
リヒノフスキ―の関係は
ある日、唐突に終わります。

現在のチェコ共和国にも
リヒノフスキーは
邸宅を持っていて
べートーヴェンと共に
滞在していましたが、
ある晩、邸宅に招待した
フランス人将校たちに
「夕食後に有名な
べートーヴェンが
ピアノを弾く」と
本人に無断で約束しますが
それを知った
べートーヴェンは
演奏を拒否。
執拗にリヒノフスキーが
迫ったために
べートーヴェンは
激怒して
邸宅を飛び出して
しまったのです。

ベ―ト―ヴェン
ピアノソナタ「悲愴」

ダそニエル・バレンボイム






ロン・ティボー国際コンクール。

2023-05-09 06:43:00 | 日記



昨年、亀井聖矢さんが
ピアノ部門で優勝した
ロン・ティボー国際
コンクール。

先日、ご紹介した
フランス生まれの
名ピアニストの
マルグリット・ロンが
ヴァイオリニストの
ジャック・ティボーと
意気投合して
マルグリットが
長年、あたためてきた
フランスの国際的な
コンクールの
実現に向けて
手を握りあうことに
なりました。

1947年に
第1回ロン・ティボー・
コンクールが開催され
ピアノ部門の第1位は
サンソン・フランソワ。
ヴァイオリン部門は
ミッシェル・オークレール
が優勝しました。

一躍有名な
コンクールとなり、
その後、1953年には
フィリップ・アントルモンが
1位なしの2位。
日本の田中希代子は
4位に入賞しています。

順調に軌道に乗っていた
9月初めの朝、
衝撃的なニュースが
マルグリットのもとに
飛びこんできます。

3度目の来日のために
ティボーの乗った
エール・フランス機の
ロッキード・コンステレーションが二ースへの
アプローチの最中に
アルプス山脈に激突。
彼の愛用の1720年製の
ストラディヴァリウスは
この事故で失われて
しまいました。


元気でお洒落だった
ジャック・ティボー。
彼女は彼の形見でもある
コンクールを
永続的なものにするために
財団設立に向けて
動きはじめ
1962年に
ロン・ティボーコンクール
財団化されたのです。

  ✨✨✨✨✨

1966年2月に91歳で
世を去った
マルグリット。
生まれ故郷に
運ばれた彼女は
愛してやまなかった曲、
親友ラヴェルの
「ダフニスとクロエ」で
送られました。

「ダフニスとクロエ」より
ベルリン・フィル




このコンクールで
松浦豊明・清水和音の
お二人がピアノ部門で
優勝されました。

108歳?

2023-05-08 10:24:00 | 日記

名古屋で仕事ですが
大雨の予報ですので
しっかり対策をして
出かけましたが
練習場は
ホールのリハーサル室。
全く濡れずに到着です。

3年ぶりの
男声合唱団との再会。
FFの迫力。
おかげで
汗びっしょり。
あっという間の
時間でした。

帰りの新幹線で   
カッチン・カッチンの
アイスクリ―厶を
アフォガードに。(笑)


アイスクリー厶に
熱いコーヒーをかけて
ホッと一息。(笑)

  ✨✨✨✨✨✨


帰宅して
「クラシック音楽館」を
少し聴きました。

尾高尚忠氏作曲の
チェロ協奏曲。
40分の大曲ですが
日本の手法を取り入れた
美しい音楽に惹き込まれ
疲れが吹っ飛ぶようでした。

アンコールの
「荒城の月」

宮田大さんが
毎日の練習の
最後に弾いていると
何かで読んだ記憶が
ありましたが涙が、、。
チェロ協奏曲に
最高のアンコールでした。

   ✨✨✨✨✨

今朝は雨は
上がりましたが
曇天で寒く
身体もどんより。
そんな朝に
送信して頂いた
動画を拝見しました

コレット・マズさん。
現在108歳。
すでに100年以上は
ピアノを弾いていて
今でも毎日、4・5時間の
演奏を欠かさないそうです。

「ピアノは生涯の友」と。
左右のバランスの
取れた姿勢で演奏するので
健康にとても良いそうです。

ドビュッシー作曲
オンディーヌ。




思わず背筋が伸びました。










雨のロンドンで戴冠式

2023-05-07 07:59:00 | 日記







チャールズ国王(74歳)

私より1歳下とはいえ(笑)
戴冠式を迎えられるには
厳しすぎる御年齢かもと
LIVEで拝見しています。




ジョ―ジ王子が侍者として
仕えています。



ウエストミンスター寺院の
聖歌隊が歌う聖歌、
オルガン、オーケストラが
美しい。

首相の聖書第1朗読
第2朗読は女性。





「アレルヤ」はまるで
「天使にラブソング」の
ウービーゴールドバーグ並?
国王の笑みがこぼれました。

そのあとに
グレゴリアンチャントで
「Veni Creator」
(聖霊来たりたまえ)

『戴冠式』

覆いの陰で
聖香油の塗油のために
シャツのような
コロビウム・シドニスという
リネン姿になられた王が
金色のローブを
纏われました。
剣を持ちストラが掛けられ
更に黃金のマント
グローブをはめた手に
王笏そして王冠。








『聖餐式』

参列者全員で
主の祈りが唱えられ
国王夫妻が聖体拝領を
されました。

『退堂』




国歌が歌われる中
ゆっくりと退堂され
黃金の馬車へ。





簡略化されたとはいえ
2時間にわたる式典。
大聖堂に響く
新旧の音楽と
ゴージャスな時間を
満喫させて頂きました。





  ✨✨✨✨✨

70年前の
エリザベス女王。








名ピアニスト

2023-05-06 09:47:00 | 日記
(↑ラヴェルの散歩道)

フランスの名ピアニスト
マルグリット・ロン。

ハンサムな青年将校
マルリアーブ大尉と
結婚しましたが
軍人ながら玄人はだしの
音楽鑑賞眼の持ち主で
フォーレや
ドビュッシーとも親しく
彼女のピアノを中心に
音楽談義に花を咲かせて
いたようです。

2人の仲睦まじい生活は
第1次世界大戦により
暗雲が立ち込めます。
戦場に向かった 
マルリアーブ大尉は
命を落として
しまいました。
 
   ✨✨✨✨✨

夫の戦死から5年後
45歳のマルグリットは
ラヴェルのピアノ組曲
「クープランの墓」を
初演します。

この作品は
フランス・バロック
最大の作曲家
フランソワ・クープランの
記念碑というかたちを
取りながら
戦没した6人の友人たちに
捧げる6つの小曲から
構成されています。
第6曲目の
「トッカータ」が
マルグリットの夫
マルリアーブ大尉の
霊に捧げられて
いたのです。

最愛の夫の死に
演奏活動から
遠ざかっていましたが
夫と親しかった
ラヴェルが
書いてくれたこの曲に
集中することで
苦しみがふっきれた
ようです。

マルグリットは
フランス近代の
大作曲家
フォーレ・ドビュッシー・
ラヴェルと親しく交友を
結びますが
最も気があったのは
ラヴェルでした。



ラヴェルは彼女のために
ピアノ協奏曲を
作曲中だと話します。
「最後はピアニッシモの
トリルで終わるのですか
構いませんか」と
聞いておきながら
ピアニッシモのトリルは
フォルテッシモの
衝撃的な和音に姿を
変えていました。(@_@;)

しかも楽譜を
持ってきたのは
なんと初演日の
2ヶ月前。(@_@;)

限られた時間の中で
マルグリットは
みごとな演奏で
初演を成功させました。
その後、
ピアニストと指揮者として
演奏旅行にまわりますが
行く先々で
マルグリットは
4ヶ月ばかり歳下の
ラヴェルから
さんざんな迷惑を
こうむります。
彼はダンディな
いでたちとは裏腹に
落としものの名人
だったからです。(笑)

それでも彼女は
憎めないラヴェルを
姉のような懐の深さで
彼の面倒を見続けました。





ラヴェル
ピアノ協奏曲ト長調3楽章

マルタ・アルゲリッチ





  





にぎやかな一日

2023-05-05 08:59:00 | 日記



昨日は近くの神社の
だんじり祭り。
鉦や太鼓で
にぎやかな一日でした。

写真を撮りましたが
目の調子が悪くて
ピンぼけで
昨年の写真です。💦


  ✨✨✨✨✨

高校生になった
断崖君達。

最初の音楽の試験は
イタリア歌曲
「Caro mlo ben」
「O Sole mio」

ドイツ・リート
「野薔薇」
(シューベルト)
から選択で
いずれも原語で
歌います。

お嬢さんは
さっさと決めて
「Caro mio ben」の
歌と伴奏の
練習しています。

断崖君は
「O Sole mio」が
「まだましかな?」
とか言いながら
カッコつけています。
(*^^*)

歌が苦手な人は
先生とマンツーマンでも
大丈夫だそうですが
さてどうするでしょうか。

  ✨✨✨✨✨

パバロッティ
「Caro mio ben」




シューベルト
「野薔薇」
フィッシャー・ディスカウ


marriage Ceremony

2023-05-04 09:44:00 | 日記
見出し画像は頂いた
ドラジェです。❣️




先日は婚約の
嬉しい報告を受けた
ばかりですが
昨日は同じ時期に
レッスンしていた
お嬢さんの結婚式が
行われました。
仲の良かった
二人が揃って
新しい門出です。


  

帰宅してゆったりと
幸せな余韻に浸って
いました。

   ✨✨✨✨✨

何年経っても
忘れられない
結婚式のシ―ンが
あります。





映画「サウンド・オブ・ミュ―ジック」

マリアが修道院の院長から
祝福を受けて
大司教と大佐の待つ
祭壇に向かうシ―ンです。
半世紀以上も前の
高校生の時に観た
古い映画ですが。

ザルツブルクにある
撮影が行われた教会は
とても綺麗でしたが
こじんまりした教会で
まるで大聖堂のごとくに
撮影されていて
技術の高さに
驚かされた思い出が
あります。

颯爽と大聖堂を歩いていく
マリアのカッコ良さに
憧れていました。

(3‘50‘‘)






前菜?

2023-05-03 12:00:00 | 日記



前奏曲って?
美味しい前菜のような
ものでしょうか。
古くから礼拝などの儀式の
式典に先立って演奏する
オルガン曲として
存在していました。


前奏曲(Prelude)は
ラテン語のpre=「前に」
ludere=「弾く」という
言葉からきています。

他の曲の前に弾いたり
組曲の最初に弾くという
序奏の役割をはたして
いました。


   🥀🥀🥀🥀🥀

バッハが作曲した
「平均律クラヴィーア曲集」
24曲の前奏曲にフ―ガが
ついています。
しかし
19世紀から20世紀にかけて
前奏曲は他の曲を伴わない
独立したかたちに
なりました。

ショパン、ドビュッシ―、
スクリャービン、
ショスタコーヴィチなどが
単独の形の「前奏曲」を
書いています



ラフマニノフも
24の調すべてを用いて
前奏曲を作曲しています。

前奏曲 嬰ハ短調を
書いたのは19歳のときで
彼の作品の中で
一番よく知られていますが
クレムリン宮殿の
鐘の音から
着想したようです。
熱狂的な人気となり
ラフマニノフが
この曲を弾くまでは
聴衆はステージから
降りることを
許しませんでした。
あまりにも
度重なる演奏に
飽きてしまった
ラフマニノフは
コンサートのたびに
即興的に変化を
つけていたようです。(笑)


浅田真央さんの「鐘」
(4‘16‘‘)



ピアノ キ―シン
(4‘54‘‘)



魅力的なプリンス

2023-05-02 09:19:00 | 日記
久しぶりの
ヨ―ロッパの香り。❣️
素敵なお土産を
頂きました。





私のGWは
家の片付けと
伸びに伸びてきた
荒庭のお掃除です。💦

   ✨✨✨✨✨

フェリックス・メンデルスゾーンについては
以前に少し書きましたので
今日は簡単に。





彼はショパン、シュ―マン、リストと並ぶロマン派の
中心人物の一人です。

教養のある家庭環境で
育ったメンデルスゾーン。
祖父のモーゼスは
18世紀の最も有名な
ユダヤ教の哲学者で
ラテン語に
精通していました。
ヘブライ語の「旧約聖書」を
ドイツに住む
ユダヤ人のために
ドイツ語に訳す仕事を
始めました。
彼の著作物は合計7巻あり
「ドイツのソクラテス」と
呼ばれています。

モーゼス一家は
メンデルス銀行を創設し
フェリックスの父である
アブラハムに
引き継がれました。
母は資産家の出身で
才能ある音樂家でした。

メンデルスゾーン邸では
日曜音楽会が開かれ
科学者、画家、作家など
数百人のお客さまが
集まられたようです。

そして4人の兄弟は
音楽会でバロックや古典や
自分達の作品を
演奏しましたが
子供達の作品を演奏する
オ―ケストラを丸ごと
雇える家庭はどこにも
ありません。
この演奏会には
リストやクララ・ヴィーク、
シュ―マンなどが参加して
いました。





メンデルスゾーンは
背丈は167センチ
髪の毛は濃い黒、
大きな茶色の目で
魅力ある話し手でした。
彼は28歳の時に
優れた画家で歌手である
美しい女性、
セシル・ジャンルノ―と
恋に落ち結婚しました。
その後、5人の子供に恵まれ
幸せな家庭生活を
送りました。

「歌の翼に」
歌 ペータ―・シュライヤー
(3‘26‘‘)