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※当該記事の記載事項は、あくまでも筆者の個人的見解であり、
あらゆる宗教や宗派を非難したり推奨するものではありません。
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引き続き宗教談義。
日本の浄土真宗ってどうなのよ、ということらしい。
「南無阿弥陀仏」と唱えれば救われる、という中世キリスト教の免罪符の
ような切り札的ご真言を持つ信仰。
やっぱり、これはズルいよね、というのがおいらの本音。しかしながら、
ウチの家系は浄土真宗なんです。。。
ということで、阿弥陀仏ってば、そんなに心の広い仏様なの? となった
訳だけども、ここで早くも話は脱線した。
『阿弥陀仏』という仏様がいる訳ではなくて、仏の一つの形態が阿弥陀仏
なんだと思っているおいら。ところがその人は、阿弥陀仏様という有難い
仏様がおられるとお考えの様子。その人の理解が正なら、西方宗教的に
仏教は「多神教」なんだろうね。
おいら的理解が正なら、違う。そもそも仏とは、『真理』を理解し、且つ、
伝えられる存在のことであって、その状態になることが「涅槃に入る」と
表現されることで、要は仏の境地に至るということだと思う。従って、仏
とは神ではなく、仏の境地という神の領域があるということで、こう考え
るなら、神は一つであるとも解釈できまいか。この論理が通るなら、仏教
は一神教に仲間入りする。
あるいは、仏教にとって絶対視されるのもは『真理』だけなのであって、
ブッタはそれを理解し伝えることができる存在としての仏である、という
解釈も成り立つ。この考えに立つと、『真理』を神と位置付けるなら、仏教
は一神教であり、ブッタを始めとする仏の境地に至った人は、預言者に近い
存在と考えられる。
または、『真理』とは人格も神格も感情もない冷徹な法則でしかないのだ
から、それは神ではない、という解釈も有り得る。こう考えれば、仏教は
無神教ということになる。
ここで再び、 へー、 という反応。
・・・・・。
続く。
クリックの真実。
↓
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