変化を受け入れることと経緯を大切にすること。バランスとアンバランスの境界線。仕事と趣味と社会と個人。
あいつとおいらはジョージとレニー




何でもかんでもが、極端な方向に流れていると感じる昨今。
おいら自身、どこに向かっているのやら、見失いがちな状況にあります。

そもそも文化とは、非生産階級が担ってきたという歴史があります。
文明と文化の違いってのを定義しないといけないとしたら、
前者は実利を伴うもので、生産階級が醸し出すものでしょう。
そうなると後者は、社会の余力が紡ぐ文明に利するもの全て、という
ことになるでしょうか。
間違った定義かもしれませんが、この議論はどこかに譲るとして。。。

現代社会において、非生産階級とは概ね子供達を指すのだと思います。
だから、音楽も絵も文章も彫刻も、子供っぽいものがもてはやされます。
担い手に見合ったものがウケる訳です。ゲームの世界と云うのは、
これらの集大成的なものですよね。
そして、そういったものを受け入れる生産階級も、自ずと幼児化して
しまうんです。その結果が凝結したのが、おいらという人間なんでしょう。

自分自身の子供っぽさに辟易とする事柄が連発したんで、その理由を
探ってみました。そして、その原因を社会に帰結させるという、これまた
稚拙な結論を導き出した訳ですが。

はい、何ら解決しません。

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