まこちゃん日記2

まこちゃんのピンポン日記です。

11月22日 兵庫県知事が再選されたって?

2024-11-22 10:11:17 | 日記

  「路地裏に咲くバラの花」

 

まさかと思った斎藤元知事が圧倒的に勝利したのには驚いた。兵庫県民の常識度を疑ったり、

何か不正があったのか、などとまずは思った位である。

冗談なのかまるでドラマの世界の様に感じられた。

思えばトランプ氏に続いて石破内閣にしろ常識外のことが続いて、それが正統な常識や当たり前に

なりついにはそれが正義だとなってしまうかも知れない。

 

兵庫県知事の場合は、SNSとかXとやらの効果が大きかったという。

SNSでは例え一方的な意見でも、その公平性,信憑性も云々されずたちまち広がってしまうという。

 

今回も若い人を中心に、知事はまるで善人で中傷の被害者である。既存のマスコミが虚偽の報道を流し

知事をすっかり悪人に仕立てたのだという。

私などはSNSとかXとかの情報は無縁だから、どっちが真実なのか迷うというより、マスコミ報道通り

元知事は天下の悪人、常識に欠け、血も涙もなく、狂的に地位へ拘泥している異常な人間と捉えていた。

 

加えてあの売名屋の立花と言う御仁が応援に回って選挙妨害まがいの応援を街頭でXで繰り広げたのも

利いたという。

しかし私は今でも、親戚でも何でもないが、自殺に追いやられた局長さんの件は事実だと思うし、常軌を

逸するパワハラ行動も否定は決してできないと思う。

 

あまり根拠はないがあの知事のものに憑かれた様な目付き、頑として己を譲らぬ頑固さ、私は人相見では

ないが癇癪持ち特有の態度や慇懃さは、これは尋常ではないものだと思っていたものだ。

SNSとかXとやらが世論を操ってしまう、世論を作ってしまう、それも迅速で強力で爆発的な攪拌力をもって

しまうのが恐ろしい。これから百条委員会とか県議会はさぞやり難かろうが、虚構的な世論造りの潮流を

少しでも遅らせる為にも頑張ってもらいたいものだ。

 

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11月19日 ピンポン11-3  「野党が手を繋げなかったのは残念!」

2024-11-19 15:30:32 | 日記

 

   

「 会場の貼り絵―2」

     トンボとコスモスか明るい秋だ! 会場の壁の貼り絵

 

今日は13人だった。みんな元気で打ち合う。

まず番号札を引いて、その番号によって組み合わせ表によって相手を変えたり休んだりして

進んでいく。昔、鉛筆なめなめこの組み合わせを作ったのだが、コンピューターのソフトで

作れば簡単と後で聞いたが、かなり大変だった。

 

十分注意したつもりだが、どうも時としては2回続けて休みだ、出番が3連チャンだなんて

声を聞くことがある。それと個人を例にとると3台のうちでその都度台が変わること、その上

窓側ドア側と変わるように苦心して作ったつもりだ。まぁまぁ傑作の部類だと自分では納得

していた。

 

最近思ったのだが、番号によるのだから当然だろうが、相手になる人が毎週当たり、当たらぬ人

となると1ヶ月も当たらないことがある。私の組み合わせ表の手落ちかも知れないが面白いものだ。

 

休憩時に、故簗瀬氏の娘さんから青鳩へ届いた美味しい菓子を皆で頂いた。

いつまでも青鳩を忘れず、お心遣いに感謝するばかりだ。

 

さて、特別国会の首相選では過半数に届かず決選投票になったから、いよいよ政治の代わる時の到来か

と期待したが残念だった。なぜ野党は選挙だけでも手を組めなかったのか。不正や悪徳政治の温床になった

自民の一党独裁を改革する何十年ぶりかのチャンスだったではないのか。

 

何故そのために政治的な妥協や戦略を取れないのか。いささか失望した。

こんな野党は何時までも少数で無力で負け犬の様にキャンキャン吠えるだけを続けて居ろ!と言いたくなる。

 

まあそれでも拮抗した勢力になって今までとは大分変った国会の運営になるのだろうと期待はする。

考えようによってはあの野党群が政権を獲ったら、理想論や己の党の主張ばかりで纏まらず、政治の停滞が

起こったのではないか、ましてや外交面では果たしてどうだったろうかと、一寸ホッともしてこれで今は

良かったのかと思ったりもしている。

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11月17日 ラーメン三昧―(2)時間と共にラーメンも変わってしまった!

2024-11-17 10:07:06 | 日記

 

    「 サッポロ軒の跡地 」

 

また更に時は過ぎた。私も年取ったがサッポロ軒もやや若い三代目に替わった。

覗き込んだカウンターの内側にはあの初代の百万円のレシピが貼ってあった。

今度の三代目の味は日が経つにつれてだんだん初代の味に近づいてきた。

同じ様な材料で同じレシピを使っても、味や香りが微妙に違うのだから、ラーメンと

言っても奥が深いものだ。

やがて徐々に客が戻って来て昼時などは座れないことが多くなった。

 

ところで私はサッポロ軒の真向かいにある糖尿病外来の医院に何十年と通っている。

先生からラーメンはカロリーと塩分の塊であり、麺は血糖値が急に上昇するもので、

糖尿病の大敵だからとラーメン禁止令が出ていた。

それでも完全には守れず回数は減ったが食べていた。極力スープは残しながら。

 

それが1年前位から、月に一度、当医院に見えた時だけは帰りに食べてもいい、

但しスープは残すことという条件でお許しが出た。聞けば先生も好きで時々行っているそうだ。

 

しかしそれから間もなくして、建物の老朽化だろうか隣の花屋とパーマ屋を一緒に解体に

なってしまった。寂しいことである。これも時の移ろいであろうか。

 

初代の店主は今では寝たきりで駅傍のマンションに住んでいるそうだ。三代目はどうするのか、

店の再開はどうなるのか残念ながら情報がない。

 

そんなにラーメン好きの私が、今では時々町のラーメン屋さんに入っても、「すいません、麺は

半分にしてください!」なんて言っているんだから情けない。

 

サッポロ軒の跡地は両隣を含めて更地になってしまった。再建は何時だろうか。

もしラーメン店が出来たなら、早速行ってみたいものだ。

そして「スープはそのままで、麺は半分!」なんて注文するつもりだ。

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11月15日 ラーメン三昧―1 ラーメン日和到来!

2024-11-15 10:32:43 | 日記

 

   『 或るお店の味噌ラーメン 』

   こんな日が来るとは思わず、サッポロ軒の味噌ラーメン 

   の写真がないのが残念。駅前のラーメン店のもの。

 

肌寒くなってラーメンが美味そうになって来た。

私は昔から麺類大好きで、田舎で子供の頃は何かあると出前の支那そばが大のご馳走だった。

長じて学生時代は高田馬場のスクールバス乗り場の裏にあったホームラン軒、帰りには渋谷

の恋文横丁のタンメン。厚木にあった流しそうめんも印象的だった。

会社員になってからは出張の度に食べて来た。

札幌のすすき野で味噌ラーメンに出会ってからは、以来ラーメンは味噌に限って来た。

各地の麺類で美味いと思ったのは、名古屋出張の時の新幹線地下街の山本屋本店の

「味噌煮込みうどん」、四国の讃岐うどん、などが印象深い。

 

さてところで、もう50年以上も前になるが東京から茅ヶ崎に越してきて間もなくだったろうか、

或る日、町で岡持ちを持って出前に行く可愛い女性を見掛けた。はて、どこのお店だろうと思った

のがきっかけで「元祖サッポロ軒」を発見した。うちの近所だったのだが、そこの味噌ラーメンは

美味かった。

 

朝、駅へ向かう(7時頃か)時間に店の前を通ると、もう店では店主が一人で仕込みを始めている。

昼からの開店というのにもう始めているのだと驚いたものだ。そして道路にまで秘伝のスープの香り

が漂っていたものだ。

 

仲良くなって知ったのだが、ススキノの料亭の息子さんで、教会の若い娘さんと駆け落ちして上京。

二人して杉並のそば屋に住み込みで何年間か修行して,やがてここ茅ヶ崎に二人で店を開いたという

なかなかの苦労人だったようだ。

親父さんは一徹者で、海水パンツ姿や喫煙者や幼児連れは断られたり、行儀の悪い騒がしい客などは

叱られたりしていたのを思い出す。

 

麺も味噌も当初は札幌から直送していた。ある時私が「あれ!麵が変わったね!」と言ったら「そうです。

分かりましたか。これは地元で作らせてみたのです」なんて会話があって、以来私はラーメン好きの

ラーメン通として認められたようだった。以来親交は続いた。

 

やがて時が過ぎ、親父さんは引退して他人に譲った。その二代目は、麺は同じなのにスープが違う。

店の前を通った時の匂いが違う。二日酔いの朝などには前を通ると気持ちが悪くなる感じだった。

その頃の噂話で聞いたのだが、初代のそのレシピは百万円だったそうだ。

初代はサザンオールスターズ公演の時は桑田さんに頼まれて楽屋に出前もしたし、何人かと連れ立って

お店にも来たもんだと自慢していた。いつも行列ができていたものだ。

 

しかし二代目になったらそんなことも無くなった。何かスープの香りと味が微妙に違うのである。

近所に評判のつけ麺の店が出来てそちらには人が並ぶのが見られたが、サッポロ軒の行列がそちらに

移ったかのようだった。それでも私は懐かしくて時々サッポロ軒へ通っていた。

 

 

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11月12日 ピンポン11-2 中高年の悩み

2024-11-12 17:08:57 | 日記

     『 秋の貼り絵―1 』

              ピンポンの会場の壁にこんな絵が飾って

              あった。子供達の作品であろうか可愛らしい。

 

早くも今月の2回目のピンポンだった。いつの間にかすっかり寒くなったものだ。

今日は12人の参加だった。いつも思うのだが素晴らしい出席率である。

ほとんどの方々が昔で言えば(皆勤賞)ものだ。続けるという事は何事であっても

大変なことだが、皆さんは偉いものだといつも思っている。

 

数年前までは私も皆勤賞並みを誇っていたのだが、この1~2年はもういけない。

時々調子が悪くて休むことが出て来たし、プレーでも皆についてはいけないことが

多くなった。

 

それにしても中高年になるとどうしていろいろ困ることが出てくるのだろう。

ウツ的気分、引き籠り、運動激減、無口、不愛想、ぼんやり、思慮に欠ける、

体中に病気が多発してくる、何をするのも億劫に、見た目の老化現象など

(なんだが私そのものの事のようだが)いろいろと障害が出てくるようだ。

忘れていたが一寸呆けもあるだろう(これは自分では一寸反応が遅くなっただけと

思っているのだが)。

 

こうした現象は個人差や程度の差はあれども、中高年を悩ませるものだ。

  •  昔から体は丈夫で強く体力のあった偉丈夫な人ほど己の力の衰えにひどく悲観する。
  •  頭が良いと言われた人ほど、己の頭の動かないこと、霧がかかった感じに苛立つ。
  •  人一倍美形だった人は、その顔のたるみやシワやカサつきに深く悲しむ。
  •  昔から普通だった人は、あまり変わらないので、精神的に落ち込まず長生きするという。

 

現在の自分の気持ちの落ち込みを、この四つのうちのどれの所為にしたら良いのだろう。

しかし普通だった様な気がするから、落ち込まずもっと長い生き出来るのかなぁ。

でもそれじゃ何故こんなに気持ちが落ち込んでいるのかなぁ!

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