『 会津藩御薬園 』
ここは藩主の別荘を兼ねた、薬の栽培をしたところである。
東山温泉から若松に向かって下ってくると直ぐに右手に「会津武家屋敷」というのがある。
ここは筆頭家老の屋敷跡を保存したものである。
観光客にも人気と見えて、遠くからのバスや車が沢山来ていた。ここも昔来た時より整備
され充実しているようだ。その豪壮な屋敷に今更ながら会津藩の大きさ豊かさを感じた。
土産物コーナーを通らないと出られない設計にも今どきらしいとニヤリとする。
さらに市内に向かうと、道は広くて整備されモダンできれいな大きな店舗や量販店とか大手の
チェーン店のレストランが目につく。とても若松とは思えない。
横道に入ると一転して静寂になる。そんなところに「御薬園」がある。
ここも私にとっては何とも懐かしい所だ。あの頃、殿様ご一家はここに疎開のまま住んで居られて、
私はよく遊びに来たものだ。友達も連れて行き池でボートに乗った。
池の真ん中にある島の東屋での昼寝は気持ちよかった。又殿様の弟君で地元高校に編入していた方に
よく宿題を教えて貰った。思い出はキリがないがここは若松での大きな思い出の場所の一つである。
市の中心街に入って神明神社を訪ねた。親戚であり母の実家ともいえるのだが、もう従兄妹の子供が
宮司をしているという時代で、年賀状くらいしかやり取りはない。
大柄で若くて元気そうな宮司と奥さんと会うことが出来た。
野口英世青春通りと名付けられたメインの通りに面したホテルにチェックイン。
何とそこは私が東京へ引き上げる5年生まで一番長く住んでいた家と、道路を隔てた真向かいだった。
これにも嬉しかった。まるで昔にタイムスリップした感覚だ。
しかし当時の家は見る影もなく今では大きな駐車場になっていた。両隣の家も斜め向かいや近所のお店
も全くなくて新しく大きなきれいな店とか、駐車場になっていた。
あまりの変わりように思わず笑ってしまった程だった。
あの駐車している車列の三台目辺りの場所に自分はいつも寝ていたんだと家人に説明する。あの当時の
近所の人達はどこへ行ってしまったのだろうか、どうしているのだろうか。
数軒隣りだったお医者さんの石造りの建物だけがそのままだった。隣に新しい医院建屋が増築されていた。
ここの先生には、私が肺炎になった時に徹夜で進駐軍からのペニシリンを何本も打ってもらって命を救わ
れたことがある。お嬢さん先生もいてよくきれいな薬の空箱を貰いに行ったものだ。その先生も今は亡く
代替わりしているという。大先生は野口英世博士にそっくりな立派な髭とお顔の方で、見て貰っただけで
治るような気がしたものだ。
ひと休み後、10分位駅寄りの大町四つ角という一番の繁華街に、小学時代の同級生を訪ねた。
昔は歩いて行くともっと遠い印象だったが、昔の家の場所から歩いてもあまりに近いのに驚いた。
突然だったのにちょうど居られて奥さんと二人して歓迎して呉れたのがとても嬉しかった。
彼は今「自由空間」という催し物の会場を経営して、充実した生活をしているようだ。
何よりのことだ。何十年ぶりの再会だった。すぐ昔に戻って話が弾むところが何んとも良いものだ。