まこちゃん日記2

まこちゃんのピンポン日記です。

4月21日 キリスト教会のチラシ。

2024-04-21 10:59:18 | 日記

 

  『我が家生まれの(ひよ)ちゃんが庭の木にすっくと立つ』

            どうかヒヨちゃん、先輩のミーちゃんを探してきておくれ!

 

先月だったか、新聞の折り込み広告の中にキリスト教の教会の復活祭(31日)に

いらして下さいというチラシが目についた。協会のチラシは一寸珍しいが、これを

見てふと小学校の時を思い出した。

お互い腕白小僧だった近所の同級生に、ワインとパンが食べられるよと誘われて

近所の小さな教会に初めて足を踏み入れたものだ。やはり近所にあった大きくて

きれいなサレジオ教会には行ったことがあるが、それは遊びの場としてだった。

 

初めて入った儀式の最中のそこは小さく薄暗く、しかし荘厳な感じだった。

何か圧倒される感じがして小さくなっていた。やがて我々にも回って来た。

ワインはイエス様の血です、パンは肉なのです。味は忘れてしまったが、神父さんに

何やらやさしく話しかけられて、ほうほうの体で帰って来た記憶がある。

 

先日のチラシの文言にはこんなことがあった。キリスト教の死生観を何となく表して

いるのだろう。

「私たちはいつかは死ぬのです。しかしそれをいつも意識している人は少ない。

しかし死にたくない、考えたくないそれは先のこととになってほしいと思っているので

しょう。それでも我々のすぐ隣には危険が待ち受けているのです。この一日を無事に

過ごせたのは奇跡なのです。人は誰でも本能的に生きたいと思うものです。

ではなぜ人間は死ぬのでしょうか。

それは人が神に背いたからとあり、神とつながることによって人は生きていけるのです。

しかし死んだら終わりではありません。からだが死んだ後にも続く命があります。

神はキリストを蘇らせて、我々もそのキリストのように蘇り、死に勝利し、永遠の命が

得られるのですと教えています」と大体こんな趣旨のことが書いてありました。

何となくキリスト教の生への感覚が分かるような分からないような、不可思議な気持ちが

しました。しかし今になれば一種独特な温かみややさしさを感じました。

又、血と肉を求めて教会へ行ってみようかしら。

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4月19日 ミーちゃん、今日も家に戻らない!

2024-04-19 11:12:10 | 日記

 

 今日は暖かくて明るい良いお天気だ。しかし私の心は何とも寂しくやりきれない。

今もミーちゃんの鳥かごは空のままだ。

庭に鳥の声がしたり、飛んでいる影が動いたりすると慌てて呼びかけるが、虚しく

座り込むばかりだ。

夜は夜で、庭の木にチョコンととまっていたり、いつの間にか篭の中で「どうしたの、

何かあったの」という顔で、元気に動き回っている光景を夢に見ている。

いつの間にかこんなにも深く私の心にミーちゃんが入り込んでいたのかと驚く。

 

庭に来る雀たちを見ると、皆体格も良く動きも力強い。ミーちゃんが彼等と一緒になって

生きていけるとはとても思えない。

ポスターの効果も、交番や警察、迷いペット保護センターにも届けたが何の情報も得られていない

今日にもなれば、どこかのお家に保護されているということ以外に、もう生存の可能性はないだろう。

可哀想だが残念ながらそう思わざるを得ないだろう。

 

それでも私は今日も、これが最後のつもりで、近所を1時間歩きまわってみるつもりである。

待ってろ ミーちゃん! 今行くぞ!

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4月17日 ミーちゃ~ん、帰って来いよ!

2024-04-17 13:43:18 | 日記

 

   こんなポスターを電柱やローソンにも貼って貰った。

 

私は子供頃からかなりの動物好きだった。兎も飼ったしもちろん猫や犬も、

熱帯魚,山椒魚、アヒルなども可愛がってきた。

どの動物もやさしくするほど面倒みるほど、気持ちが通じて楽しかった。

猫は何匹もいて、それぞれ性格気質が違っていて私に対する接し方もいろいろで、

動物と共生する良い経験にもなった。

 

今はもう面倒みられないからと犬も猫も飼えないが、現在は金魚、熱帯魚、メダカ、

池にはカメが2匹とフナが数匹、そして三代目のインコのミーちゃんと過ごしている。

 

4日前、そのインコのミーちゃんが庭から部屋に入るその瞬間に、いつもは椅子の背に

留まってじっと待っているのだが、その日に限ってガラス戸のカーテンに留まっていて、

戸を開けた瞬間に飛び出してしまった。

これはよくあることだと聞いていたし、戻った例はまずないとも聞いていたので十分気を

付けてはいたのだが。庭を横切り向こうの電柱の二本目迄飛んで見えなくなったという。

 

家族の一員でいつも肩に留まり、話しかけてきたり、かじったり突いたり、頭をスリスリ

してきたり、あんなに懐いて可愛がっていたのにと信じられない。

 

昔の猫や犬との別れの時とも又ちょっと違う感覚だった。かなりのペットロスの状態だ。

これも私が年のせいで、孤独だったり涙もろくなったり感傷的になのかもしれない。

 

今頃どうしているだろうと、エサはあるのか、水は飲んでいるか、寒くはないのか、カラスや猫に

襲われてはいないかと考えると夜も良く眠れない感じで、朝起きてはまず鳥かごを見て「おはよう!」、

庭の木を見ては奇跡を期待しているのだが…。

 

普段は歩けと言われているのに、私は全く歩かない、歩けないのだが、どうにも居たたまれず、以来4日

も続けて1時間位近所を探し回っているのだ。休み休みではあって、ヨロヨロ歩きで他家の庭の茂みを覗き

見したりして、人から見たらまさに不審者か徘徊老人そのものだろう。

足腰痛くヘトヘトに疲れて帰っては、しばしぼうっとしている連日の有様だった。

歩かなきゃいけない私を、ミーちゃんが誘い出して歩かせているんじゃなかとからかわれたりしているが

そうかもしれないと思った。

 

今日は夕方から雨がという予報だからその前にもう一遍探してやろうと思っている。

4日も5日も毎日歩けたのもミーちゃんのお陰だと感謝しながら、そして早くペットロスから立ち直らなきゃと

思っている。ミーちゃんよ、ありがとう! 元気でね!

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4月16日 なにィ!年寄りは集団自決しろだと…?

2024-04-16 10:48:17 | 日記

 

    『 茅ヶ崎の英雄の像が建つ 』

          森川 由美子さん 撮影

    11日に除幕式のあった加山雄三氏(名誉市民)の

    銅像である。市役所の広場に建った。黄色なのが一寸

    違和感あるが、数年もすれば良い落ち着いた色になるだろう。

 

今日は何人の参加だったろう。私は3回続けて休むことになってしまった。

熱はもうなくなったのだが、咳と痰、喉の痛みが一向に治らず、いまだ溶連菌とやらが

消滅してないのかも。抗生剤を飲んで3週目になるからもうそろそろ退治出来るのではと

思っているのだが、私の抵抗力、体力がそんなに弱っているのかと情けなくなる。

その間は家の中以外では全く動かず歩かずで、唯一病院へ車で行ったこと位だった。

家の中で初めてのことだが、何かの拍子によろけて、踏ん張りが利かず危うく転倒しそう

になりうまく壁に支えられて助かった。これが何回もあった。

狭い家というのもこういう利点もあるものだ。

やっと治ったら動けなくなっていたなんて事だけは防ぎたいものだ。

 

さて2~3週間寝てばかりだったので、新聞や本を読む時間が多かった。

そんな中にこんな話があった。

某高名な経済学者が、日本の経済を立て直すための将来への展望の中で、ついつい本音を

洩らして問題になってしまったのだ。それが表題の趣旨のことだ。

謹厳で優秀な学者の中にも、こうした失言をする人が居ると思うと笑える。

体調でも悪くてイライラしていたのかも知れないけれど。それとも老いた親とかお舅さんと

問題がある人かもしれない。

少子化高齢化での日本経済を立て直すには、確かに理論上ではその通りなのかもしれない。

しかしよくもまぁ「高齢者は集団自決して呉れ!」とは言えたものである。

何と短絡的で冷酷で安易で無味乾燥で人間味に欠けた言葉なのだろう。

最近の世相から言えばどんなことでもあり得るかもしれぬが、残念なことである。

もちろんこれは優秀な学者のブラックジョークだろうとは思うが、なんだか身につまされる話でもある。

学者先生!貴方ももうすぐ自決しなければならない時が来ますよ。

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4月14日 最近の我が身の変化に悩むことなかれ!

2024-04-14 18:29:10 | 日記

 

     『 鎌倉長谷の大仏と桜 』 

       須田 孝雄さん 撮影

 

体力が無くなったの、やれ病気だらけになったの、容貌が衰えたとか、体中がシワシワになったとか、

そして何もかも面倒くさくなった、一日中だるいなど、昔は出来ることが出来なくなった、物忘れが

多くなって認知症ではないだろうか等々の不安や嘆きが多くなった。

 

それに対して、医学者の書いた「老人の生き方」なんて本には気にすることはない。

こんな事で悩むなんてナンセンスなことであると教えている。

何でも上手に出来ていた人や、美男美女だった人ほどその落ち込みは大きいという(なるほどそれで

私の最近の落ち込みはこれほどひどいのか?)。

 

これは生物である限り当たり前という割り切り方をした方が、明るい老後生活を過ごせると教えている。

私も極力そうしようと努めている。出来ないことは出来ないのだと割り切れという教えを守って、

脚や膝が痛い腰が痛いから歩けないし、だるくて歩く気力も出ないから散歩などに出掛けないのだと

忠実にそれを守っている。

 

この間、病院の呼吸器内科で定例の診察があったのだが、やさしい感じのいい先生で結果も変わりなし

だったし気分良くして帰ろうとしたら、「気を付けてお帰り下さいね。転ばないようにね!」と言われた。

帰り道にふと考えたら、腰や膝が痛い等とは一切話していないのに、そんなにヨロヨロ,ヨタヨタの

いかにもよぼよぼの老人に私は見えるのかと、却って落ち込んでトボトボやっとの思いで帰って来た。

 

 

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