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笑うべからず

2009-07-26 00:55:41 | もの思い

 笑いがことのほか疲れることに気づいた。人は何故、こんなに疲労してまで笑うのか。
 笑いとは、心身を疲労させて、他に何もできなくさせる機能・反応なのではないか?
 笑い顔は、音声をカットすると、苦しみや悲痛な表情にも見える。
 笑い=機能停止説は、人が何に対して笑うのかということとも合致する。意味不明のことを言われて、笑って考えるのをやめる。人が失敗するのを見て、何もできない状態で失敗パターンを頭から追い払う。(笑いの基本である緊張と緩和は、笑いそのものの再現)
 また、人前で笑うことは、何もできない心身をさらす意思表示になる。笑いにつられて笑うのも同様で、こちらには共感も働く。共に笑っていられることで、悪い気はしないものだ。
 逆に、人を笑わせるということは、相手を何もできなくさせるということにもなる。笑いのための手段では、支配力の行使ということにはなりにくいが、ある種の強制力が働いた状態にはなる。
 犬が腹を見せるのは服従のしるしと言われるし、似たような行動は多くの動物にも見られる。笑うのは人間だけという言われ方をすることもあるが、人が他の動物と比べて、精神構造的に特別であるという証拠はどこにもない。(服従ではなく笑いと解釈すべきか)
 もっと単純に考えてみてはどうだろうか、人間はただ高度に共感する生態を得たにすぎない、のだと。

 長らく体調悪が続くと、いろんな民間療法を編み出しては挫折を繰り返す。気も弱くなる。今やっているのは「なにもしない」こと。リラックスしようとすると余計にできないけれど、1年くらい何もしないと思うと頭がすっと軽くなる。
 笑いも「なにもしない」につながるが、笑うだけでも消耗するし、これが「お笑い」になると考えることが山ほど出てくる。
 実のところ、何もしないでいると何もできなくなってしまいそうで、怖かったりもする。そういいながらも、こういうことを思いついたりする。また気が弱くなっての迷信にすぎないかもしれないが。


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