家族はつながっているので、この私を母に持つふたりの娘たちにも、何かと苦労をかけてきた。
出来た親ではなく、不自由も沢山させて。
親の鑑からは程遠いところにある不足だらけの親としていつも済まなく思ってきた。
そんな私だけれど、娘たちはいつも気遣ってくれる。
今どうにか平常心を保っていられるのも、娘たちのおかげだと感謝している。
そして、また自分の母のことを想う。
ろくな教えを授けてくれなかったと母を恨みながらも、今少し違う考えが胸に広がっている。
それはいつか訪れる別れの瞬間だ。
反面教師として私の前に立つ母は、遺された私が悲しまず、その死を安堵で迎えられるように今を生きてみせているのではないか、という想いだ。
それも親が子に与えるひとつの教育なのかもしれない。
私ももはや老老介護に近づいている。
私自身がその日を迎えるのもそう遠くはないだろう。
その時私はどんな親の姿を娘たちに見せるのだろうか。