ぼちぼち日記

シニアの暮らし方や思い、猫たちのことなどをマイペースで記録しています。

7月24日に生まれて。

2021-07-24 21:21:31 | 家族
と、いうタイトルの本があったような。
そう、今日は私の63回目の誕生日。
次女からは、久しぶりに食べる豪華なパフェとバッグのプレゼント。




長女からは、とてもきれいな花かごと、

高齢者施設でよく見かける・・・励ましのこのお言葉。
四十、五十は鼻たれ小僧。人生の本番は六十から。
七十にして・・・
・・・・・・・・
九十にしてお迎えのあるときは、「そう急がずともよい」と言え。
百にしてお迎えのあるときは、「時期を見てこちらから行く」と言え。

娘よ、
これじゃいつまでたっても、超高齢化社会から脱出できないではないか。
60は本番というよりもう終盤に近いぞ(笑)。
ま、今年も無事に迎えられたのは、家族のおかげということで。
ありがとうね。
(;´Д`)


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「同調圧力」 :対談集:鴻上尚史 佐藤直樹 

2021-07-24 20:57:20 | 
キリスト教などでは、言葉というのは基本的に神様との関係から生まれる。自分が言ったことに対して責任をとるかとらないかというのは、神様に対して罪になるかならないかという問題で判断するわけです。ところが日本の場合、どことの関係で判断するかというと「世間」の空気です。空気が変われば、自分が変わってもいいわけですよ。自分が変えたわけじゃないから、自分は責任をとらなくてもいいと思っているわけです。周りが変わったんだから、自分も変わる。そうすると、いくらでも失言が出てくるし、発言に対して責任を持たない。(佐藤)

会社でつらいことがあった時に、知り合いにグチを言うんじゃなくて、例えば帰宅の途中で「社会」に属する人と会話する。
初めて入った食堂が美味しかったら「美味しかったです」と言う。
知らない誰かと楽しく会話できるスキルが身につくと、ずいぶん生活は楽になると思います。(鴻上)

日本人は「世間」のルールに従って生きている。「世間」というのは、日本人が集団になった時に発生する力学。それに対して、「社会」は、個人から成り立ちその結びつきが法律で定められているような人間関係。
「世間」という共同体の中で生きるためには同調圧力に従い、個人の権利もあってないようなものということだ。
かくいう私も、昨日コロナワクチンの2回目を接種。
個人の意思というよりは同調圧力に屈したという方が近く。
つまり私もどっぷりと「世間」の中で生きているということ。
「社会」を意識して生きる努力をしよう。
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「猫のお告げは樹の下で」   著者:青山美智子

2021-07-24 20:38:18 | 
「タラヨウの葉で手紙を書くなんて、風流でいいね」
姫野先生が言った。
「ミクジっていう猫が教えてくれたんだ」
「猫?」
ぼくは苔の図鑑からミクジが最初にくれた葉を取りだし、姫野先生に見せた。
・・・・「これね、ぼくへのお告げなんだって。だからずっと、真ん中に行くにはどうしたらいいんだろうって思ってたけど、やっぱり無理だった。ぼくは端っこがちょうどいいみたいだ。苔だってそうだもの。道路の縁とか、コンクリートの隙間とか、花壇の隅とかね。真ん中って、ぼくにはひどく疲れる」
姫野先生は「うん」と顎を引いた。それは肯定の「うん」ではなくて、ちょっと立ち止まるような疑問のうなりだった。

「道路の縁を端っこって感じるのは、人間だけじゃないか?苔は自分が地球の中心だって思って生きてるのかも」

すとん、と何かが心の奥に着地した。ミクジがベンチから降りるときみたいに。そうだ。苔はいつも、真ん中にいるんだ。

自分のいるところが真ん中。自分が本当に思うことが真ん中。自分の中の真ん中。それがこの世界の、真ん中だ。

不思議な猫ミクジからタラヨウの葉に書かれたお告げを受けた7人の物語。読み終わった時に温かい気持ちになる一冊。



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