ぼちぼち日記

シニアの暮らし方や思い、猫たちのことなどをマイペースで記録しています。

生きること死ぬこと―動物たちが教えてくれたこと― ③

2023-07-17 15:57:21 | 少しまじめな話
「死」は誰のものか。
「死」は、家族や恋人や友人など他者のものだと、解剖学者の養老孟司さんが言っていた。
なぜなら人は死ぬまで生きているのだから。
死んだ後のことはわからない。
「人は死なない」という本を書いている臨床医の先生もいるけれど、肉体そのものが消滅することは事実。
死は生の延長線上にあるということではなく、生は最後まで生で、自分がひきうけられるのはそこまで。
死は自分の関知できない領域だから、もはやそこまで考えなくていいということになる。
その死の過程を見守り意味をつけるのは、本人以外の者だ。

だから、死んでしまったみーちゃんも今は何もない。
苦しかったことも何も。

生きている間は、よりよく生きること、楽しみ生きることを考えたい。
私たちは、生きるために生きている。

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生きること死ぬこと―動物たちが教えてくれたこと― ②

2023-07-17 15:27:56 | 少しまじめな話
仕事柄沢山の人の臨終に接してきた。
死に方も色々だ。
人間の家族や知人友人も見送ったが、動物も沢山見送ってきた。

口から食べられなくなると、家族は最後まで点滴を受けたがる。でも、点滴は溺れ死にさせるようなもので、むしろ死に向かっている者には却って辛い思いしかさせないことを、理屈ではなく実際にこの目で見て感じている。

とはいえ、大切な人が一滴の水も口にせず日に日に弱っていく姿を見守るのは、辛くいたたまれない時間だ。
身体に水を入れたらもう一度元気になるのではないかと希望をもちたくなる。

今回のみーちゃんのこと。
あんな脱水の状態にもかかわらず吐血し、更に最後の時に沢山の尿が流れ出たことに驚いた。
枯れているように見えても、まだ体にあれだけの水分をとどめていることが出来るということに、不思議と安堵の気持ちがあった。

点滴漬けの人が亡くなると、体中水ぶくれの状態なので、火葬にも時間がかかる。
みーちゃんは、心臓が強くて死ぬまでの苦しみが大きかったけれど、大抵飲まず食わずだった生き物は、最後意識が薄れ、眠るように亡くなることが多い。

亡くなろうとしている高齢者をはじめ、治療がかえってストレスとなる動物たちに過剰な延命治療を行うことは、本人のQOLを下げて苦しませるだけだと、沢山の事例が教えてくれているように思う。


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生きること死ぬこと―動物たちが教えてくれたこと― ①

2023-07-17 14:52:52 | 少しまじめな話
猫を保護して去勢や避妊手術を受けさせたり里親に出したりと、これまで実に実に沢山の猫とかかわってきた。
そういう私の暮らしは、家族はもちろん、友人、職場の人なども見知っている。
私が猫を保護することを生き甲斐にしていると考えている人や、動物愛護精神に富み保護活動に取り組んでいると考えている人もいる。
でも、断じて違う。
私は愛護精神の持ち主でもなければ、猫を保護することを生き甲斐にしている人間でもない。
そもそも一片でも肉を口にしている人間が愛護精神の持ち主と言えるはずがない。

小さな頃から犬や猫や虫たちがいて、私を慰め、友として支えてくれたと感じている。だから大人になった今も、この世界で同じ生き物同士できる限り共生したいと願っている。
でも自然をこわして共存できないようにした人間世界の中に、動物たちが命をつないで自由に生きられる環境は殆どなくなってしまった。


人間をはじめとするすべての困っている生き物に手を差し伸べる財力も時間も体力もないけれど、目の前に現れたら見ないふりをすることはできない。
そんなふうに、自分でできる範囲のことをしてきた。

私も考える。
もしこんなふうに困った動物たちに出会わなければ、老後はもっと楽に優雅な時間を持てるかもしれない・・・。
犬猫の世話をしている限り、お金はたまらないだろう。
死ぬときは殆ど身一つかもしれないな。

でも、そんな未来を嫌だと思っていない自分がいるのだから仕方ない。
しんどいこともあるけれど、それ以上に教えてもらうことが沢山ある。
私は、私の生き方をこのまま変えられないだろう。
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みーちゃん、その後。

2023-07-17 13:06:38 | 家族
9日の日曜から数日間は、寝たり起きたり。
相変わらず食事も水分も摂らなかったけれど、まだ歩いて部屋の中を移動出来ていた。
痩せて骨ばかりで、よろつく姿が見ていてかわいそうだったけれど、本人はそれほど辛くもない様子で。

火曜の夕方点滴に連れていき、その後しばらくは良かったけれど、水曜から寝たきりになった。
寝たきりだけれど、苦しそうな様子はなく。
保護した最初の頃は呼びかけても私の顏を見ようともしなかったのに、この頃から目で探すようになった。
すやすや寝入っていても突然頭を起こして、私の顏を見ると安心したようにまた眠りだすという具合に。
呼びかけると声は出ないけれど、ニャーと返事をしてくれていた。


翌日も点滴に連れて行く予定だったけれど、とても連れていける状態ではなくなって。
骨でごつごつしている体はすぐに痛くなるので、寝返りを打とうと立ちあがるのだけど力なくばたっと倒れそうになる。
こまめに体の向きを交換しながら見守っていた。

突然痙攣。心臓の動きが乱れる。
ずっと擦ってあげているうちに心臓はまたもとのように動きだして、何事もなかったようにすやすやと眠りにつく。
でも夜になって多量の吐血。
わたあめが亡くなった時と同じだったから、いよいよ明日は逝ってしまうだろうと思った。

金曜日。
休みをとってずっとそばにいた。あんなに吐血したのに、心臓はしっかりと動いていて、声をかけると目を合わせる。
窓辺に連れて行く。
風に吹かれ、少し頭をあげて外の景色を眺めていた。でも力がないので首が小刻みに揺れている。


部屋を別にしていたラムちゃんのもとに連れて行くと、労わるように、ずっと舐めてやっていた。

土曜日。その時はきた。
それまであんなに穏やかだったのに。
これまで看取った猫と同じように、苦しみは一瞬のはずだったのに。
呼吸が苦しくて体の中の痛みもひどいのに、この子は心臓が強かったのだ。
のたうちまわって、痙攣して、死ぬまで2時間その状態が続いた。
こんな苦しみかたを見るのは初めてだった。
辛いけれど、じっと見守る。

最後は失禁した。
失禁して数度大きく体をのけぞらせてようやく自分で決着をつけた。
終わってしまった体を撫ぜながら、毛の模様のかわいらしさに今更気づく。

ほんとうによく頑張ったね。
肉球から血のけが引いていた。


去年数回庭で見かけていたのに、もし今の未来を知っていたなら何が何でも保護していたはずなのに。
そのときはそうしなかった。
いつしか姿も見えなくなって、それきり忘れていたのだけれど、おとなしくて穏やかな猫だからそれまでの暮らしはとても過酷だったのだろう。
今年再会したときにはもうボロボロだったから。


家で一晩過ごし、昨日。
霊園に連れていき、ついにみーちゃんは苦しかった体を離れ虹の橋を無事に渡っていった。



骨壺代わりの簡易の箱だけ買い求め、自宅できれいな布とリボンで包んだ。
今は他の猫たちと同じ場所に安置している。



あまりにも短い家猫生活だったけれど、最後は雨風や食べ物の心配もない穏やかな時間を過ごせた。
もしあのまま再会せずに野良のままでいたら、死までの苦しみの時間は想像を絶するものになっていたはずだ。
今も外で生きるほかないたくさんの生き物たちの日々を考えると胸が痛む。


私の先生は、人間だけではなくすべての生き物。
生き物、とくに一緒に暮らしている猫たちからは色々なことを教えてもらっているような気がする。
次回のブログでは、少し真面目な話になるけれど、それを書きたいと思う。
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