9日の日曜から数日間は、寝たり起きたり。
相変わらず食事も水分も摂らなかったけれど、まだ歩いて部屋の中を移動出来ていた。
痩せて骨ばかりで、よろつく姿が見ていてかわいそうだったけれど、本人はそれほど辛くもない様子で。
火曜の夕方点滴に連れていき、その後しばらくは良かったけれど、水曜から寝たきりになった。
寝たきりだけれど、苦しそうな様子はなく。
保護した最初の頃は呼びかけても私の顏を見ようともしなかったのに、この頃から目で探すようになった。
すやすや寝入っていても突然頭を起こして、私の顏を見ると安心したようにまた眠りだすという具合に。
呼びかけると声は出ないけれど、ニャーと返事をしてくれていた。
翌日も点滴に連れて行く予定だったけれど、とても連れていける状態ではなくなって。
骨でごつごつしている体はすぐに痛くなるので、寝返りを打とうと立ちあがるのだけど力なくばたっと倒れそうになる。
こまめに体の向きを交換しながら見守っていた。
突然痙攣。心臓の動きが乱れる。
ずっと擦ってあげているうちに心臓はまたもとのように動きだして、何事もなかったようにすやすやと眠りにつく。
でも夜になって多量の吐血。
わたあめが亡くなった時と同じだったから、いよいよ明日は逝ってしまうだろうと思った。
金曜日。
休みをとってずっとそばにいた。あんなに吐血したのに、心臓はしっかりと動いていて、声をかけると目を合わせる。
窓辺に連れて行く。
風に吹かれ、少し頭をあげて外の景色を眺めていた。でも力がないので首が小刻みに揺れている。
部屋を別にしていたラムちゃんのもとに連れて行くと、労わるように、ずっと舐めてやっていた。
土曜日。その時はきた。
それまであんなに穏やかだったのに。
これまで看取った猫と同じように、苦しみは一瞬のはずだったのに。
呼吸が苦しくて体の中の痛みもひどいのに、この子は心臓が強かったのだ。
のたうちまわって、痙攣して、死ぬまで2時間その状態が続いた。
こんな苦しみかたを見るのは初めてだった。
辛いけれど、じっと見守る。
最後は失禁した。
失禁して数度大きく体をのけぞらせてようやく自分で決着をつけた。
終わってしまった体を撫ぜながら、毛の模様のかわいらしさに今更気づく。
ほんとうによく頑張ったね。
肉球から血のけが引いていた。
去年数回庭で見かけていたのに、もし今の未来を知っていたなら何が何でも保護していたはずなのに。
そのときはそうしなかった。
いつしか姿も見えなくなって、それきり忘れていたのだけれど、おとなしくて穏やかな猫だからそれまでの暮らしはとても過酷だったのだろう。
今年再会したときにはもうボロボロだったから。
家で一晩過ごし、昨日。
霊園に連れていき、ついにみーちゃんは苦しかった体を離れ虹の橋を無事に渡っていった。
骨壺代わりの簡易の箱だけ買い求め、自宅できれいな布とリボンで包んだ。
今は他の猫たちと同じ場所に安置している。
あまりにも短い家猫生活だったけれど、最後は雨風や食べ物の心配もない穏やかな時間を過ごせた。
もしあのまま再会せずに野良のままでいたら、死までの苦しみの時間は想像を絶するものになっていたはずだ。
今も外で生きるほかないたくさんの生き物たちの日々を考えると胸が痛む。
私の先生は、人間だけではなくすべての生き物。
生き物、とくに一緒に暮らしている猫たちからは色々なことを教えてもらっているような気がする。
次回のブログでは、少し真面目な話になるけれど、それを書きたいと思う。