キリスト教などでは、言葉というのは基本的に神様との関係から生まれる。自分が言ったことに対して責任をとるかとらないかというのは、神様に対して罪になるかならないかという問題で判断するわけです。ところが日本の場合、どことの関係で判断するかというと「世間」の空気です。空気が変われば、自分が変わってもいいわけですよ。自分が変えたわけじゃないから、自分は責任をとらなくてもいいと思っているわけです。周りが変わったんだから、自分も変わる。そうすると、いくらでも失言が出てくるし、発言に対して責任を持たない。(佐藤)
会社でつらいことがあった時に、知り合いにグチを言うんじゃなくて、例えば帰宅の途中で「社会」に属する人と会話する。
初めて入った食堂が美味しかったら「美味しかったです」と言う。
知らない誰かと楽しく会話できるスキルが身につくと、ずいぶん生活は楽になると思います。(鴻上)
日本人は「世間」のルールに従って生きている。「世間」というのは、日本人が集団になった時に発生する力学。それに対して、「社会」は、個人から成り立ちその結びつきが法律で定められているような人間関係。
「世間」という共同体の中で生きるためには同調圧力に従い、個人の権利もあってないようなものということだ。
かくいう私も、昨日コロナワクチンの2回目を接種。
個人の意思というよりは同調圧力に屈したという方が近く。
つまり私もどっぷりと「世間」の中で生きているということ。
「社会」を意識して生きる努力をしよう。