おはようございます!
今日は9時まで寝てしまい、千鶴さんに早く起きるよう言われて起きた。
ロールパンにウインナーと豚肉を挟んだ朝食をいただきます。
あとは、昨日母親が持ってきてくれていたミスタードーナッツを食べる。
一応、風邪薬もまだ飲みます。
それから千鶴さんが善哉に膜が張っていると言うので、ネットで調べてみた。
はっきりしたことは書いてないけど水分があると腐るようなので食べられなさそうです。
この辺りの知識ないなあ……。
それから昨日の火事のニュースが出てないか調べてみたが、特にありませんでした。
昨日『四諦八正道』を見てから、意識して正しいことをしようと思っています。
なんと、これが効果てきめん!
意識するだけで超良心の呵責を捉えやすくなります。
しかも、最初は何が正しいかなんて分からないと思っていましたが、正しいことをしようと意識しているだけで、心が敏感になって、間違ったことをしそうになると警鈴が鳴ります。
僕は正思惟で、考えた時点で苦の原因になると捉えて、できるだけ、このことを意識します。
欲張らない、怒らない、傷つけない、思考の時点で!
これは抜群!
自分の行為に間違いなく影響を与えます。
もちろん甘えてしまうこともあるわけですが、それでも甘えてしまうときに『正しいこと』という意識が作用すると良心が稼働して心が痛くなってしまうし、これが苦の原因になると考えるとやめてしまいます。
正思惟は、出離、無瞋、無害を思うということらしいが、出離のことを欲ばらないと解説するところと解脱すると解説のあるところがあったのではっきりしない。
一応Wikipediaで見てみると以下のような解説があります。
正思惟(しょうしゆい、samyak-saMkalpa, sammaa-saGkalpa)とは、正しく考え判断することであり、出離を思惟し無瞋を思惟し、無害を思惟することである。
このうち「出離を思惟する」とはパーリの原文では「ネッカンマ・サンカッパ」(nekkhamma saMkappa)であって、「nekkhamma」とは世俗的なものから離れることを意味する。
財産、名誉、など俗世間で重要視されるものや、感覚器官による快楽を求める「五欲」など、人間の俗世間において渇望するものの否定であり、それを思惟することが正思惟である。
この世俗の心の否定は、具体的には無瞋の思惟、無害の思惟である。
いわば瞋恚の心や害心のすがたを、ありのままの姿で思惟し、これを捨てることを思惟するのである。
自己本位にふるまう人間の行動や、独善的な人間の行為を、思惟によって明らかにして、これを否定するのである。
このように正思惟とは、自己本位的な立場を否定してゆき、最終的に自我観念が成り立たないことを見きわめることである。
(Wikipedia『八正道』より引用)
まあ簡単にすると欲張らないことになるってことだろうね。
欲張らない、怒らない、傷つけない、これが抜群の効果を発揮するので是非お試し下さい。
もちろん正思惟なので、外に出す以前に心の中から排除しようと努力します。
そして『正しい思い』をもとうと考える。
即効性あるよ。
では、今日も用事へ行ってきます。
外は雨です。
千鶴さん、びしょ濡れになって傘を持ってきてくれた。
ありがとう! 感謝!
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今日は9時まで寝てしまい、千鶴さんに早く起きるよう言われて起きた。
ロールパンにウインナーと豚肉を挟んだ朝食をいただきます。
あとは、昨日母親が持ってきてくれていたミスタードーナッツを食べる。
一応、風邪薬もまだ飲みます。
それから千鶴さんが善哉に膜が張っていると言うので、ネットで調べてみた。
はっきりしたことは書いてないけど水分があると腐るようなので食べられなさそうです。
この辺りの知識ないなあ……。
それから昨日の火事のニュースが出てないか調べてみたが、特にありませんでした。
昨日『四諦八正道』を見てから、意識して正しいことをしようと思っています。
なんと、これが効果てきめん!
意識するだけで超良心の呵責を捉えやすくなります。
しかも、最初は何が正しいかなんて分からないと思っていましたが、正しいことをしようと意識しているだけで、心が敏感になって、間違ったことをしそうになると警鈴が鳴ります。
僕は正思惟で、考えた時点で苦の原因になると捉えて、できるだけ、このことを意識します。
欲張らない、怒らない、傷つけない、思考の時点で!
これは抜群!
自分の行為に間違いなく影響を与えます。
もちろん甘えてしまうこともあるわけですが、それでも甘えてしまうときに『正しいこと』という意識が作用すると良心が稼働して心が痛くなってしまうし、これが苦の原因になると考えるとやめてしまいます。
正思惟は、出離、無瞋、無害を思うということらしいが、出離のことを欲ばらないと解説するところと解脱すると解説のあるところがあったのではっきりしない。
一応Wikipediaで見てみると以下のような解説があります。
正思惟(しょうしゆい、samyak-saMkalpa, sammaa-saGkalpa)とは、正しく考え判断することであり、出離を思惟し無瞋を思惟し、無害を思惟することである。
このうち「出離を思惟する」とはパーリの原文では「ネッカンマ・サンカッパ」(nekkhamma saMkappa)であって、「nekkhamma」とは世俗的なものから離れることを意味する。
財産、名誉、など俗世間で重要視されるものや、感覚器官による快楽を求める「五欲」など、人間の俗世間において渇望するものの否定であり、それを思惟することが正思惟である。
この世俗の心の否定は、具体的には無瞋の思惟、無害の思惟である。
いわば瞋恚の心や害心のすがたを、ありのままの姿で思惟し、これを捨てることを思惟するのである。
自己本位にふるまう人間の行動や、独善的な人間の行為を、思惟によって明らかにして、これを否定するのである。
このように正思惟とは、自己本位的な立場を否定してゆき、最終的に自我観念が成り立たないことを見きわめることである。
(Wikipedia『八正道』より引用)
まあ簡単にすると欲張らないことになるってことだろうね。
欲張らない、怒らない、傷つけない、これが抜群の効果を発揮するので是非お試し下さい。
もちろん正思惟なので、外に出す以前に心の中から排除しようと努力します。
そして『正しい思い』をもとうと考える。
即効性あるよ。
では、今日も用事へ行ってきます。
外は雨です。
千鶴さん、びしょ濡れになって傘を持ってきてくれた。
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