豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

正体を突き止めました

2013-01-25 22:51:06 | 日記
今朝は7時半に千鶴さんに起こしてもらう。

が、昨日深夜2時まで起きていたので、中々布団から出ることができない。

もぞもぞ20分ぐらいしてから起きていく。

お茶漬けを出してくれたので、そそくさと食べて準備をします。

アルジェリアテロの犠牲者の遺体が日本へ帰ってきたニュースをやっている。

暴力での戦いは依然として終わる様子がない。


鈴鹿の用事へ向かいます。

千鶴さん、今日も道路まで出て見送ってくれました。


今日はゴミ出しの日なので行く途中に持っていく。

通学時間と重なっていたので中学生がたくさん自転車で走る。

前を中学生男子とオッサンが走っていたが、なんとオッサン中学生に自転車で幅寄せして、更に無理矢理前に切り込む。

なんという気遣いのなさ。

僕が後ろから来たので慌てさせてしまったのかもしれないが、危ないよ。


ゴミを出してから、車内で煙草吸おうとして持ってきていない事に気付く。

慌てていて家へ置き忘れてきたようだ。

仕方がないのでファミリーマートで煙草、ライター、缶コーヒーを購入する。

どこかで缶コーヒーを買う男はダメだとかいう本を見かけた気がするが内容が気になるな。


用事先に到着してからは、坂口恭平さんのツイッターをチェキン。

伊豆の0円経済圏のお話。

10年かけて準備していく予定のようです。

凄い事になっている。


用事が終わるとYくんから連絡があり、亀山のマクドナルドで少し話さないかと言う。

14時10分に約束をした。

千鶴さんに聞くと一緒に行きたいようなので、一度家へ帰ってから向かいます。


マクドナルドでバックで駐車したら、後ろに民家があり排気の関係で前進駐車しなければいけなかった。

Yくんと会ったときに言われ思い出す。

まあ、でも今日はそのまま店内へ。

僕と千鶴さんは、てりやきマックバーガーセット2つ頼みます。

僕はポテトとかLで。

Yくんはチョコソースのかかったソフトクリームかな?

商品名を忘れてしまった。


北朝鮮がアメリカに向けて核実験をすると表明してるけどあれなんなん?

というテーマでしばらく話します。

尖閣諸島を筆頭にして、物騒なお話しばかり続いていますが、ここまで続きますと9条改正へ世論を導く策が世界連携でやられてるんちゃうやろなと思ってしまいますね。

まあ、さすがに、それは、考えすぎ、なのでしょうが。


引き続き、昨日からの流れで『物語の終焉』について。

そういえば『それでも作家になりたい人のブックガイド』で三島由起夫以降、物語が終われなくなったと書かれていた。

まあ、そんなことは今回のお話しとは関係ないか。


物語が終演しても空間の共有は求められている。

ので、環境を良くしようという意志が『普通の人々』には昔も今もある。

人と出会う空間をプロデュースしたいと恭平くんがよくツィートしているし、また青山ゼロセンターにも人が集まっている。

そこでは『土地は所有できない』はずだという主張から、展開していった彼の独立国家に賛同する人たちが同じ空間を共有する。

この共産主義的物語は『陳腐だ』『再生可能品だ』と削除できるかもしれない。

が、空間の共有は、様々な問題がありながらも、物語ほどには徹底的に排除されていない。

ここで提供されるのは0円生活圏であるが、人によって様々なアイデアがあっても良いだろう。

空間としての心身解放圏が形成されても良いわけだ。

陳腐なリセット可能な物語でも人々が空間共有することで良いものが伝わる可能性がある。

この空間では、テーマが語られずとも、そこにある環境的な印象が人々に物語りを生きさせる。


時間が経過したので、Yくんがコーヒーの注文をしに席を立つ。

昔はお代わりできたよねという話をする。

ちなみに僕は話の途中に、何度も煙草を吸いに外へ出ています。


さて。ノイズの問題を話していると、少し前からあるKYという略語から始まっているとYくんが言う。

僕は、最近のノイズ許容度の傾向とインザイダー(内在系)の信じる普遍性が気になると話す。


インターネットの登場で、ネットでの居場所を確保できる、共有空間を作り出せることが原因だろうと言う。

なるほど、誰かが意図していたわけでなく、自然にそうなってきたのだ。

他者の内面に深入りできない、薄いコミュニケーションはネット世界と似ているかもしれない。

個人名の消去も同じである。

これも小さな物語、リトルピープル批判に繋がっていった。


しかし批判がでるには内在系のもつ普遍的真理が意識されなくとも存在しているはずである。

Yくんは例として『お金』もあるだろうと言う。

あの家族団らん、友達とする女の話とか、普通とされているものは何を基盤にしているのか。


Yくんが「お母さんとか妹とか身近にいるんじゃない」


確かに、全く気にならなかったが昔から内在系に囲まれて僕は生活が成り立っているわけだ。

『お金』『生活』『習慣』『ルール』『礼義』とか様々なイメージが浮かぶ。

そう『礼義』だ。

彼らの信奉する哲学は『時代に即した礼義』ではないだろうか。

時代の空気というものが、それを形成していくのだろうか。

たぶん孔子のように明確なものがあるわけではないだろうが、でも、孔子の影響、仏陀の影響、神道の影響、自然環境の影響など様々な影響が時代の空気に照らされて変遷してきた内在世界があるのかもしれない。

でも世界的に見るとどうなるのだろう。

内在系は日本に限るわけじゃなかろうし、日本だけで判断するわけにはいかない。

うーん……、僕の書いていること、これぞ再生可能な物語ではないか(笑い)


今まで気付いていなかったが、これは根本的な僕自身の問題だった。

きっと小学校の頃からずっとだ。


人は物語を生きないが、僕は物語を生きたいと思っていた。

昨日までは自覚がなかった。

完全なる中二病であるが、この対立項が明確になったことはチャンスだ。


もしかしたら、これを解決するために今の期間が設けられていたのかもしれない。

内在系の鉄のような確信の正体を突き止めることができたら、心にアプローチすることが可能である。

物語は生きている可能性がある。

猿化、動物化という括りだけでなく、もっと巨大な魔物がここには潜んでいるに違いない。


当分頭を悩ませてしまいそうだが、答えがないのにだらだら書くのもこの辺りでやめます。


僕は熱くなって話していたが、千鶴さんが、あまりに退屈そうなので申し訳なくなってお別れすることになる。


帰りに高村書店へ行きたいと言うので寄ります。

昨日からのテーマで面白い本がないか探してみるが、特に気になるものはない。

千鶴さんは前から欲しがっていた『CanCam』を購入。


家へ帰ってからは、その雑誌の服や香水の感想を求められながらゲームをする。

『サカつくヨーロッパ』で情報収集してチームを作っていく。

画面があまりに進まないので千鶴さんが「ずっとこのままやん」と突っ込むw

このゲームは考えることがメインの楽しみなので試合に進むまでの過程が長い。


千鶴さんが昨日の八宝菜をかけたうどんを作ってくれたので食べる。

美味しい!

けど量が足りなかったので、ひじきとマメでご飯もいただきます。


サカつくをデビジョン2で1勝するまで進めてから、お風呂に入ります。

このゲームをやっていると昔の思い出が脳裏を駆け巡るなあ。


お風呂を出てきてから食器を洗います。

なんか今日は気分が良く、洗いながら色んな歌を歌っていた。

しかも小学校時代に聴いたような歌ばっかりw


そのあとでブログの更新であります。

今日は倖田來未の『Black Cherry』を聴いていました。

大きめの音量で聴いていたので、呼びかけても返事しない僕に千鶴さんが怒っていた。

ごめんね!



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物語の終焉

2013-01-25 00:26:40 | 日記
夕方17時半から、南くんと亀山のガストで会う。

さいきんあった事やら頼まれ事のことを話していた。

ドリンクバー単品で頼んでも高いので199円の枝豆とほうれん草のソテーを注文する。

会計は南くんが済ませてくれました。

また2月に会う約束をして別れます。


家へ帰ると千鶴さんが八宝菜を作っている。

聞かれるので味見をしたり、とろみの具合を確かめたりした。

大体完成したところで、青椒牛肉絲も作ってくれるという。

しばらく待ってから二人でいただきました。

美味しかったです!


そのあとでバラエティ番組を一緒に見る。


20時半過ぎにYくんが遊びに来たので色々と話します。

なんか今日の彼は元気でした。

『ゲーム的リアリズムの誕生』について、構造的なアプローチで読者を巻き込むことができるという方法を話す。

環境と構造の2層的な読み方をする。

大きな物語が終演して、リトルピープルの時代と動物化する普遍性の対峙が同時に起きている。

と、思っていたが時代は、ここ数年で飛躍的に変わっている。

もはや、物語の大小問わずに成立しない時代だ。

実際には何年も前から、そうだったと思われるが認識が追いついていなかったようだ。


千鶴さんがYくんのリクエストのホット麦茶とお菓子、オレンジなどを出してくれる。


『地球兄弟』という煙草の会社が送ってきていたDVDを見ようという話になった。

が、DVDではなくCD-Rだったようで見ることができない。

どうも写真とかのデータのようだ。


Yくんがもってきてくれた『2012の真実』というDVDもあったが、あまり興味がなさそうで見ないことなる。

なんでも2012年はネアンデルタール人から現代人に進化した時と同じような変化が起こるそうだ。


Yくんは『中二病でも恋がしたい』と『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』というアニメのDVDも持ってきてくれていた。

中二病のほうを一緒に見る。


ストーリーは現実離れした妄想癖(中二病)のあった主人公が、高校入学時にそれを卒業しようとするところに、中二病の女の子が出てきて色々な出来事が展開していく。


これを、それまで話していた大きな物語の終焉と繋げて見ると、リトルピープルの時代がむしろ許容されていない。

で、普遍性を持った物語はないので、猿化することを望む。

望むのだが、そこには何か小さな物語への愛着がまだまだあるわけだ。


愛着はあるが最早、成立することのない物語。

対局には猿化、動物化した生活としての場における普遍性である。

それは『食う、寝る、やる』為の人生が、他者との愛情と結びつく世界である。

しかし、それだけではない。

動物化された人間は、社会的規制を全く疑いなく受け入れる。

この規制、もしくは規範の中で順応性を高めることで『食う、寝る、やる』という行為を追求する。

これはコントロールされた動物として生きる幸せである。


何か正体が掴めないが、ここには魔物的な何かが存在している可能性がある。

常識と個々の関係性を分断する為の社会的装置として、それが強力に機能しだしたのだろう。


Yくんが、少し前によく言っていた『ノイズの許容』という考え。

他者との衝撃を排除するには『ノイズ』(個の主張)を消去してしまわなければならないというポイントがあるだろう。

これを機能させるために植え付けているものは何だろう。


これはまた考えるとして、とにかく物語、表現の時代は終演した。

恐らく最後の砦が『聖なる物語』だったのだと思うが、2012年と共にそれが終演したのではないか(笑い)

新しい人類の誕生だ。


個を中心とした、流れのある新しい表現形態を持たなくてはならない。

態度経済もひとつの形だろうが、まだまだ、これも物語に囚われている。

この『物語』は大きくならないし、共有もされない。

小さくあっても、参加できない、共有できない個人の物語である。

現在は【空間】だけが共有されうる。


これは物語や哲学、本能ではないもので、人間を進化させる新しい可能性だろう。

これからは空間、環境を生み出す能力がある人が個々人を集約させる役割を担っていく。

しかし、空間や環境の基調となる物語や哲学は存在しうるだろう。

人間の認知できない物語であり、サイファ、森のカオスだ。


森はカオスだが、すべての生命が調和的なエネルギー循環をするという。

森での個々の生命は自然の流れに沿って生きている。

これら全体の調和が人間に【得も言われぬもの】の霊性を感じ取らせる。


まだまだ考えることがたくさん沸いてきたが、纏まっていないのでこれくらいで。


マニアック更新失礼いたしました!



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