豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

共有幻想を捨てる

2013-01-28 16:45:29 | 日記
今朝は9時に起きる。

N先輩から電話で雪が積もっているので、ハローワーク行くのを中止にする。

また水曜日に行く約束をしました。


千鶴さんが炒飯とオニオンスープを朝食に出してくれたのでいただきます。

いつも、ありがとう。


特段する事もなくなったので『ベルゼバブの孫への話』を読む。

千鶴さんがアメーバをやっている横で朗読(笑い)

「長い」と言われたので中断して一人で読み進める。

アシアタ・シーマッシュの章では無意識に追いやられた良心のお話しが中心になっています。


煙草が切れたので近くのコンビニへ。

千鶴さんが、何処か行きたいと言うので車で走り出すが、近場をぐるっと1周して帰ってくる。

近くにある団地の道を一度も通ったことがなかったので、どうなっているか見てきた。


家へ帰ってから、僕はインターネットで『坂口恭平・上祐史裕』の対談を見る。

千鶴さんはテレビを見ていました。

ポテチや煎餅などを一緒に食べます。


対談では競争社会と、それ以外の価値観が並列する世界を目指すという所で意見が一致している。

戦前は『天皇は神である』という神話に乗ってきた、そして戦後は『お客様は神様である』と拝金競争神話で生きてきた。

が、1980年代から通用しなくなったという認識が共通している。

物語が社会を包括できなくなったのだろう。

行き過ぎた拝金競争神話では、競争からはみ出した『負け組』は生きる価値なしとして、自らを死に至らしめる。

結果が大量の自殺者を産む社会だ。

だが、この社会を変えるのではなく、社会の生活基盤、価値観を広げなくてはならない。

VS社会では逆転した競争原理が生き残ってしまうからだ。


この話題を個人レベルに持ってくるとどうなるだろう。

競争原理を避けるために、新しい物語を探し求めていたのが僕だ。

これは変遷してきたが最終的には『グルジェフ氏の思想』だろうと思う。

きっかけはそうだが、これも僕に合わせて変装させてしまっている。

研ぎ澄まされた感覚を通して天地に流れるエネルギーを微細体形成に利用するという思想である。

これらの経緯の中で、ある時、世界外という視点が生まれた。

この世界外の視点が『新しい物語』を僕の中に誕生させていたわけだ。

そして対談の中でも、出てきたように【失われた自尊心】をこの形の中に見いだしていたのである。

競争社会に付いていけないから、別の物語を求めるという図式だ。

坂口恭平さんに感銘を受けるのも、彼の新しい物語が競争原理から離れた地点を指し示すからだろう。

彼は、現在の競争社会を否定しているわけではない。

僕は、社会生活へ世界外の視点を持ち込むことで自己の存在感を確立していた。


僕は、天皇とお金に代わって、何か自己肯定感を得る為の装置を求めていたのだ。

内在系の物語が僕に生きないのは【比較・競争】を適用した瞬間に重圧がのし掛かってくるからだろう。

なにせ、前時代の競争物語からは逃げ続けてきたわけだから、社会の底にいるわけだ。

しかし、今まで僕が大切にしてきた『新しい物語』が、最早、使い物にならないことが分かった今、何をすべきだろう。

重苦しい感覚が払拭できないでいるが、生きていく上で重要な問題に触れていることは確かである。


物語を消滅させた上で、生きることに心を注ぐ。

そのうえで、今まで勉強してきたことを活用していくことだろう。

個々の人生は一つ、一つが輝いている。

これからは、何の物語にも照らされない個の時代であり、1人1人が太陽となる時代の到来だ。

無である行為を認識しつつ、あえて自らの意図を生きる。


今までは、自覚していないだけで、コミュニケーションの幻想、母性との一体化幻想が僕の中に強固に残っていたと言うことだ。

これを卒業して新しい個の、たった1人の物語を生きていこう!

全体的な理解共有ではなく、個々の【交流】が新しい物語を僕に与えてくれるかもしれない。

とりあえずは、大きな物語の喪失から出発することである。


あなたはあなた、僕は僕、でも素晴らしい関係性が築けるかもしれない。


考えていたら、煮詰まってきたので短時間の瞑想をする。


インターネットで今度はツイッターを見る。

坂口恭平さんは、また上昇気流に乗っているようだ。




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