豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

不穏なる一日

2013-01-17 21:06:58 | 日記
今朝は何と朝11時前に起床いたしました。

どうも最近は、堕落しているな……。

昨日、朝の5時頃まで起きていたのがいけなかった。

PCで様々なページを見たり、ブログのデザイン変えたりしていた。


朝食にホットケーキが出て参りました。

で、そのあとで足らなかったのでお茶漬けもいただきます。

永谷園のお茶漬け、大好きであります!

で、その後でPCの前に座って『森のバロック』を読んでいます。


千鶴さんが布団くらい自分で畳んでよというのを「うんうん後で」と言っている。

しばらくすると千鶴さんの機嫌が悪くなります。

で、僕が布団を畳んでいると掃除が始まりました。

掃除機をかけてと言われて、僕は箒で掃き出します。

床の間に飾ってあった生け花を千鶴さんが片付けようとして「まだ大丈夫じゃない」と言ったら喧嘩に発展。

で、千鶴さんが、簡易モップを欠けていると百均の物だったので、すぐに壊れます。

この前買って初めて使ったものなのに!

で、それをなおしている間に生け花の木を鋏で切っていた千鶴さんが手を挟んでしまう。

血豆になっていた……。

どうも朝から不穏な流れだ。


やっと掃除を終えてから、買い物に行きたいと言っていたので亀山エコーへ。

到着すると木曜日なので専門店は閉まっている。

まあサンシに買い物に来たのでいいが、買い物中も二人とも機嫌が悪い。

千鶴さんが梅干しか漬物のコーナーだったかで見ているときに「いらんいらん」というと怒るw

僕は、とりあえずサービスカウンターで煙草でも買おうと行くと、おばちゃんが長電話していて無視する。

勝手に煙草とってきて通常レジにて会計。

なんなんだ今日は、一体何をしてしまったのであろうか、この不運。


外で煙草吸って落ち着いてから、買い物中の千鶴さんと合流する。

一通り買い終わって帰宅しようとするとお腹が空いたと言う。

どうしようか考えたが、作るのもえらいだろうから、ホットモットへ寄り、海苔弁当とハンバーグ弁当を購入する。


家へ帰って、弁当を一緒に食べてやっと気分が落ち着いてきた。

僕は食後に『森のバロック』を外で読んでいたが声をかけられて、中へ移動。

またホットカーペットの魔力で寝てしまう。

全く読書ができません……。


17時頃に起きてきて、また『森のバロック』を読み出してようやく完読。

ああ、本読むのって難しい。


母親が電気代、水道代の明細を持ってきて、千鶴さんが半額支払いをしてきた。

結構高いので、倹約しないとです。


その後かな、一緒に録画してあった『家族法廷』というドラマを一緒に見る。


千鶴さんが夕飯の野菜炒め等を作ってくれたので一緒に食べる。

美味しかったので僕がかなり食べてしまった。


そのあとで、準備してお風呂に入りました。


諦めの境地っていうのは『あきらかにきわめる』という意味で通常の『あきらめる』とは意味が違うとよく解説されていますが、僕は今日を過ごしてみて『諦める』は通常の『あきらめる』だろうと(笑い)

この世は苦であると、世を諦め去り、無瞋恚、無害を実践する他なかろうってことなんじゃないの。

今は、その方が心理的に親近感を感じるw


ああ、そういえば南方熊楠のエピソードをネットで見つけて読んだがかなり面白かった。

『森のバロック』は難しすぎて理解することできないが、彼のエピソード面白いので読んでみてはどうでしょう。

あの人の人生を知ろう~南方熊楠(文芸ジャンキー・パラダイス)

勉強するのに写筆するのが良いと言っていたみたいなので、僕も挑戦しよっかな。


ただいま千鶴さんは警察24時を見ています。

僕は今日もグルジェフ/ハルトマンミュージックを聴きながらブログ更新でありました。




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サイファ覚醒せよ

2013-01-17 02:11:09 | 日記
あれから『森のバロック』を読みながらYくんの到着を待つ。

千鶴さんは超久しぶりにモバゲーの『サッカーカーニバル』をプレイしている。


21時半過ぎに約束通りYくんが来てくれました。

とりあえず『チャンク』の可能性を深めるお話しを伺います。

千鶴さんが紅茶を出してくれる。

この前、Yくんのお家でいただいたものであります。

すっとして、おいしい。


さて、昨日記事に書いた目的を明確にするツリーで一つの固まりを『チャンク』と言います。

そして、それに期限を設けて、達成するために時間軸を飛ばして、自分が結果を得た状態になります。

今日は2週間で、ブログの訪問者数を300人超にするという目標設定でした。

で、僕は2週間後に自分の目的を達成した私として、この目標を達成した要因を語ります。

主に出てきたのは、更新頻度、それから地域情報、批評、楽しめる物語を載せていくというものです。

これらを日記と記事を分けるという案も浮上。

日記の中に自分の書きたいことを入れると読みにくいようです。

こういったアイデアを形にしていくと、おもしろいかもしれませんね。


さて、更に2つのアイデアをYくんに実技指導してもらいます。

一つは、自分の相談事があるときに、役立つ方法。

まず、相談したいと思う人を4人、大きく紙に書き出します。

ちなみに僕は、グルジェフ、仏陀、坂本竜馬、坂口恭平の4人を書き出しました。

そして相談したいことを決めます。

用紙をダイヤの形に1メートルくらい離して置いておきます。

それから、その中央に立ち、あたかも名前の人物がそこにいるかのように相談をします。

そしてダイヤからでると、今度はその名前の用紙の外側(ダイヤの外)に立ち、中央に悩める自分が相談を持ちかけてきたと仮定して返答を与える。

この時に、さもその人物がとるであろう姿勢の物まねをします。

そして回答を終えると、また中央に戻ってそれを受け取ります。

同じ事を4人全員に聞き終えると、まず中央に立ち、悩める自分を引き摺っていくように、各4名の用紙の外側を回ります。

で、その1つ1つで、彼らのメッセージを受け取り、それらを統合した答えを引き出すのです。


僕は『これからどう生きていくべきか』という相談をしてみました。

グルジェフ「大きな事を考えるのはやめて、目の前にある小さな事を改善していくことだ」

仏陀「あなたの自我が何かを得ることを欲しているが、そのような考えは捨て、瞬間、瞬間にできることを心を込めてやることだ」

坂本竜馬「自分の夢を生ききることだ。例え失敗しても清々しい未来である」

坂口恭平「人に相談する前に、自分で考えなくてはならない。もっと勉強しろ」


という風になりました。

もちろん全部、僕自身が演じているわけですが、中々おもしろいですね。

これをやっているときは、少し自己イメージから外れた感覚がします。

回答は自分自身の中に用意されているということでしょうか。


もう一つ、タイムラインというものをやりました。

これは前にもやったことがありますが、自分の現在の立ち位置を決め、そこから歩いて10年後の自分と仮定した位置まで行きます。

そこで自分は10年後の自分になりきって現状を感じます。

それからおもむろに振り返って、遙か昔の10年前の自分自身に向けてメッセージを送る。

また、そのまま今度は前を向いたまま、後ずさって現状の自分に戻り、10年後の自分からのメッセージを受け取るというものです。

この時は「淡々とやればよい」という感じでしたが、新鮮さはあまりありませんでした。


これらの現状の自己イメージから一旦、外れるという事は中々おもしろいので、悩める人は試してみると良いかもしれません。


その後で南方熊楠のお話を少しします。

Yくんが神道に詳しいので、南方熊楠の神仏分離への批判の話から、色々と訪ねてみました。

僕自身の反省も入りますが、どうしても頭の世界、形而上的対話の中で、様々な分類をすることで理解を得ようとする傾向が、近代的な宗教観の中にあります。

Wikipediaで仏教の解説を読むことで、なんらかの分類を記憶と結びつけていくような行為です。

しかし、自然の中の整然とした『秩序あるカオス』である森の神秘性を、高台から俯瞰するのではなく、森の中へ入っていって少しずつ解明していくような、そしてその森に流れる生命の、また生気の中で直感的な宗教体験を得ていた古代日本人の感性は、自然な感覚があります。

こういう話をしていてYくんが「サイファだよね」と言いましたが、そうなんですね。

宮台真司さんが『サイファ覚醒せよ』という本の中で語っていたことでしょう。

得も言われぬ物に感動するということです。

言語を無くした、分類不能なものに感応する場所に、現代生活を送っていると出会えない。


で、個人個人のコミュケーションがエゴ(欲望)の衝突の結果でしかないという負の感覚に巻き込まれていきます。


これを解決するには、南方熊楠が総合的に環境破壊を批判したことを参考にして、総合的に環境を整備しなおしてしまうことが必要でしょう。

しかし神社の森も町ごとの共同体も損壊してしまった中で、新しい大地的繋がりを取り戻すにはどうしたらいいだろうか。

人間は母親の胎内にいるときから、自らのテリトリーを愛するということが、自然な状態であるという。

この感情が生誕後に、大地への感謝、土地の繋がりである郷土愛、また自然、社会、国家への愛が育まれていく。

昔は、各町の中心に神社があり、祭りや行事、その他で地域のコミュニティが発達していく。

ひとりで悩んだときには、神社の森に行くと直感的な閃きが落ちてきたりする。

何か明確には表現しようもないが、天と大地との間に生かされているのだという感謝の念が、人々や自然との共生の中から芽生えてきて「畏れ多い」という日本人特有の礼義が身についていく。


現在は、天も大地も身近に感じることがないだろう。

体感的に得ることの出来ない霊感を、形而上的な考えの中で見つけていこうとしても難しい。

屋久島や熊野古道などが注目されたのも、やっぱり人間は自然の中で何らかの生気や、大いなるものの流れを感得できるということを知っているからだろう。

パワースポット人気も、癒しや、スピリチュアルや、新興宗教や、またお笑い等、様々な理知の枠を外して安心できる場所を現代日本人が欲してきているということは明白だ。


脱線してしまいましたが、とにかく、様々に話していたら0時近くまであっという間に時間が経ってしまいました。

夜も更けたので、一旦お別れです。

帰りにコンビニへ連れて行って貰い少し話しました。

Yくんも東京や奈良で色々と活動したいらしく、動いていくようです。

僕はもう少し勉強を続けよう。


今日は様々なことを考えられて楽しかった。




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