こんにちは!
自らの欲せざるところを他者に為さざる者であられる皆様!
昨夜から不快感の表出=怒りを出しすぎている豊田ですorz
これは少しのことで解決できるような代物ではないですね。
まず不快感というのは様々な原因で起こってきます。
ここで油断していると、すぐに、そのままに怒りを表現してしまう。
準備が出来ていて、はっきり気がついているときは忍耐できます。
この忍耐は、昨日の記事で書いたように、心の奥にある「真摯」なる良心に溶かしこむことで成功します。
しかし様々にある不快感の全てに対処するのは非常に難しい。
不意を突かれると、すぐに崩壊します。
肉体的要素である、欲望(食欲、性欲、睡眠欲)疲労、痛みがある時に油断が生まれる。
感情的要素である、渇愛(愛情欲求)ストレス、相手の態度が悪い(期待に反する)時に油断が生まれる。
この欲望と怒りの繋がり、不快感の表出を抑える練習が必要です。
グルジェフワークでいう第2のショックのための「準備」ですね。
この準備は自己同一化しない、不快感の表出をしない、内的考慮をしないの3つです。
これが胸の中央にある「質」が起きているときは可能なのですが、眠ってしまうと、無意識下では不可能になってしまいます。
しかし眠っているときや、仕事で疲れ果てたとき、自然と不快感が出てしまうので、これを抑制するのは非常に困難であります(僕の場合)
元々ある胸の緊張を解除するのは、溜まっている怒り、欲望に対処しているのではありますが、不意を突かれた瞬間的な不快感の表出には対応できません。
なので2つの作戦を同時並行的に行っていかないといけないのではないかと考える。
ひとつは『胸の奥にある真摯なる良心』を起動させておくことで『胸の緊張』に気がついて、これを寛がせる為の努力。
祈りに満ちている真の心(深部)を維持しようという努力です。
そうしてもうひとつが、これが非常に難しいのですが、肉体の弱さに対して常に警戒をしているという努力であります。
怒り防衛線も肉体の疲労や苦痛も、生命維持のために本能センターと感情センターが適切に機能した結果、生まれているものだと思います。
ですから、疲労や苦痛、怒りや不快感が生まれているのは、その状況にあって自然なことなのですが、この自然なことが、自他の間に闘争を起こしてしまうという、機能の欠陥を抱えているわけですね。
この欠陥を克服して、相手の立場に立つことの出来る人間になることが人間の究極の進化でしょう。
人の痛みが分かる人間にして初めて慈悲を生むわけです。
思考中枢、動作中枢、性中枢の正常な働きを阻害しているのは、この本能中枢、感情中枢の不調和であるというのが答えでしょう。
ここに2つのショックを与えなければならない。
ひとつは肉体的自己への意識であり、もうひとつは感情的自己への意識である。
いまここへの帰還と魂の覚醒が同時並列で起こっている必要があるという意味だ。
どちらも緊張を緩めることが必要である。
油断なく目覚めているというのは非常に難しいので、練習なしには不可能であると言い切れる!!!!
自己意識と良心、言い方を変えれば『存在と愛』を常に、思い起こしておくことができるようにならなければいけない。
常にというのは、本能、感情中枢が訴えてきている時も、これに流されないでいなければならないということなのだろう。
自然なままに生きるなら、自由は手に入れられないという矛盾があるのである!
自らの欲せざるところを他者に為さざる者であられる皆様!
昨夜から不快感の表出=怒りを出しすぎている豊田ですorz
これは少しのことで解決できるような代物ではないですね。
まず不快感というのは様々な原因で起こってきます。
ここで油断していると、すぐに、そのままに怒りを表現してしまう。
準備が出来ていて、はっきり気がついているときは忍耐できます。
この忍耐は、昨日の記事で書いたように、心の奥にある「真摯」なる良心に溶かしこむことで成功します。
しかし様々にある不快感の全てに対処するのは非常に難しい。
不意を突かれると、すぐに崩壊します。
肉体的要素である、欲望(食欲、性欲、睡眠欲)疲労、痛みがある時に油断が生まれる。
感情的要素である、渇愛(愛情欲求)ストレス、相手の態度が悪い(期待に反する)時に油断が生まれる。
この欲望と怒りの繋がり、不快感の表出を抑える練習が必要です。
グルジェフワークでいう第2のショックのための「準備」ですね。
この準備は自己同一化しない、不快感の表出をしない、内的考慮をしないの3つです。
これが胸の中央にある「質」が起きているときは可能なのですが、眠ってしまうと、無意識下では不可能になってしまいます。
しかし眠っているときや、仕事で疲れ果てたとき、自然と不快感が出てしまうので、これを抑制するのは非常に困難であります(僕の場合)
元々ある胸の緊張を解除するのは、溜まっている怒り、欲望に対処しているのではありますが、不意を突かれた瞬間的な不快感の表出には対応できません。
なので2つの作戦を同時並行的に行っていかないといけないのではないかと考える。
ひとつは『胸の奥にある真摯なる良心』を起動させておくことで『胸の緊張』に気がついて、これを寛がせる為の努力。
祈りに満ちている真の心(深部)を維持しようという努力です。
そうしてもうひとつが、これが非常に難しいのですが、肉体の弱さに対して常に警戒をしているという努力であります。
怒り防衛線も肉体の疲労や苦痛も、生命維持のために本能センターと感情センターが適切に機能した結果、生まれているものだと思います。
ですから、疲労や苦痛、怒りや不快感が生まれているのは、その状況にあって自然なことなのですが、この自然なことが、自他の間に闘争を起こしてしまうという、機能の欠陥を抱えているわけですね。
この欠陥を克服して、相手の立場に立つことの出来る人間になることが人間の究極の進化でしょう。
人の痛みが分かる人間にして初めて慈悲を生むわけです。
思考中枢、動作中枢、性中枢の正常な働きを阻害しているのは、この本能中枢、感情中枢の不調和であるというのが答えでしょう。
ここに2つのショックを与えなければならない。
ひとつは肉体的自己への意識であり、もうひとつは感情的自己への意識である。
いまここへの帰還と魂の覚醒が同時並列で起こっている必要があるという意味だ。
どちらも緊張を緩めることが必要である。
油断なく目覚めているというのは非常に難しいので、練習なしには不可能であると言い切れる!!!!
自己意識と良心、言い方を変えれば『存在と愛』を常に、思い起こしておくことができるようにならなければいけない。
常にというのは、本能、感情中枢が訴えてきている時も、これに流されないでいなければならないということなのだろう。
自然なままに生きるなら、自由は手に入れられないという矛盾があるのである!