※初めての方は、こちらもどうぞ!→『ようきてな』
※豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。
※嫁の『ダラックマのブログ』も良ければ一緒にお読みください。
こんばんは。
空性と魂の連なりの中で心身を癒している皆様!
本日は15時半に起きまして座禅1時間を無事にやり終えました。
結構、続いてきましたが状態は、まだまだ酷いです。
もし何年も続けることができたら、徐々に姿勢が回復すると思います。
同時に自分の不調和な心を正すことも可能でしょう。
昨日はブログランキングへの執着みたいな記事を書いてしまいました(笑い)
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どうも気になるのですが、一向に成果が出ないですね。
たまに過去記事なんか読んでいると訪問者の方が多かった時期の記事は、はっきり言ってぶっ飛んでいましたw
親密ハートに気がついて驚きのあまり興奮して書いていたころです。
『心は宇宙』とか『究極瞑想』などについて書いていたころが一番、見られることがあったんですよねー。
最近で言うと『怒り』の問題に関する記事が人気があります。
ここは僕も挑戦中ですが、欲と憂い、怒りと高慢に対しては『真摯なる心』が対応できることは何度か確認しています。
まず不快感の発生自体を無くすことは不可能です。
本能と感情が自己を守る必要に迫られると必ず不快感が発生しますね。
ここで不快感に自然に対応すると怒りが生まれている。
この生まれた怒りを一旦、忍耐して止めます。
しかし怒りが突き上げるような強力なエネルギーになると失敗しますね。
なので、強力になる前の多少のイライラ程度でないと失敗する。
そこで捕らえた怒りのエネルギーは頭か体に巡って、どうしようもなく勝手に、自動的に外部に表現しようとします。
止めた時点でほぼ成功ですが、相手は、そこで怒りの原因を止めるとは限りません。
そこでこのことの現実的な対処は、
他人の弱点に対して辛抱強く公正に対処することです。
非常に優れた人の場合、相手には怒ることはなく、冷静に指摘をするのですね。
的を得た指摘です。
しかし、もちろん指摘されたほうは、そんなことには気がつきません。
それでも辛抱強く、忍耐しながら、指摘していく。
この場合の手段として、怒ってみせるとか『しかる』というのは当然問題ないです。
『しかる』場合は本人は冷静そのものだが、相手には真剣に怒っていると見せることで指摘を的確に行うというすばらしい効果があるわけです。
けれども本当に優れた人は間違いを指摘するだけで怒りません。
この場合の表現としては『キツク言う』という感じがピッタリです。
この忍耐した怒りエネルギー自体は『真摯なる心』が溶かしてくれます。
これは相手の弱点を受け入れることですね。
自分もまた相手のようだった時期があったに違いないのです。
現実的にどのように対処すればいいのかは、自分で考えないといけませんが、もちろんそのとき、そのときで対応は変わるでしょうから、一概には言えません。
また何が正しくて何が間違っているかの問題もあります。
グルジェフさんは、
『目的を持ったのなら、目的に導くものだけが善で、そのほかはすべて悪だ』
と言っています。
この目的は各個人で決めるものですから、それぞれに、目的を持って善悪を判断しながら、相手に合わせて、受け入れて、的確に指摘する。
そのようにして現実的な対処をしつつ、怒りと上手に付き合うことが、この問題の核心部分だと思うのであります。
快・不快の両方を受け入れて、自己と相手の弱点を公正に見て、辛抱強く、現実的、実際的に超克していく。
何かをするにはアイデアから実際の行為に及ぶまで、非常に長い時間がかかるのだ。
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こんばんは。
空性と魂の連なりの中で心身を癒している皆様!
本日は15時半に起きまして座禅1時間を無事にやり終えました。
結構、続いてきましたが状態は、まだまだ酷いです。
もし何年も続けることができたら、徐々に姿勢が回復すると思います。
同時に自分の不調和な心を正すことも可能でしょう。
昨日はブログランキングへの執着みたいな記事を書いてしまいました(笑い)
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どうも気になるのですが、一向に成果が出ないですね。
たまに過去記事なんか読んでいると訪問者の方が多かった時期の記事は、はっきり言ってぶっ飛んでいましたw
親密ハートに気がついて驚きのあまり興奮して書いていたころです。
『心は宇宙』とか『究極瞑想』などについて書いていたころが一番、見られることがあったんですよねー。
最近で言うと『怒り』の問題に関する記事が人気があります。
ここは僕も挑戦中ですが、欲と憂い、怒りと高慢に対しては『真摯なる心』が対応できることは何度か確認しています。
まず不快感の発生自体を無くすことは不可能です。
本能と感情が自己を守る必要に迫られると必ず不快感が発生しますね。
ここで不快感に自然に対応すると怒りが生まれている。
この生まれた怒りを一旦、忍耐して止めます。
しかし怒りが突き上げるような強力なエネルギーになると失敗しますね。
なので、強力になる前の多少のイライラ程度でないと失敗する。
そこで捕らえた怒りのエネルギーは頭か体に巡って、どうしようもなく勝手に、自動的に外部に表現しようとします。
止めた時点でほぼ成功ですが、相手は、そこで怒りの原因を止めるとは限りません。
そこでこのことの現実的な対処は、
他人の弱点に対して辛抱強く公正に対処することです。
非常に優れた人の場合、相手には怒ることはなく、冷静に指摘をするのですね。
的を得た指摘です。
しかし、もちろん指摘されたほうは、そんなことには気がつきません。
それでも辛抱強く、忍耐しながら、指摘していく。
この場合の手段として、怒ってみせるとか『しかる』というのは当然問題ないです。
『しかる』場合は本人は冷静そのものだが、相手には真剣に怒っていると見せることで指摘を的確に行うというすばらしい効果があるわけです。
けれども本当に優れた人は間違いを指摘するだけで怒りません。
この場合の表現としては『キツク言う』という感じがピッタリです。
この忍耐した怒りエネルギー自体は『真摯なる心』が溶かしてくれます。
これは相手の弱点を受け入れることですね。
自分もまた相手のようだった時期があったに違いないのです。
現実的にどのように対処すればいいのかは、自分で考えないといけませんが、もちろんそのとき、そのときで対応は変わるでしょうから、一概には言えません。
また何が正しくて何が間違っているかの問題もあります。
グルジェフさんは、
『目的を持ったのなら、目的に導くものだけが善で、そのほかはすべて悪だ』
と言っています。
この目的は各個人で決めるものですから、それぞれに、目的を持って善悪を判断しながら、相手に合わせて、受け入れて、的確に指摘する。
そのようにして現実的な対処をしつつ、怒りと上手に付き合うことが、この問題の核心部分だと思うのであります。
快・不快の両方を受け入れて、自己と相手の弱点を公正に見て、辛抱強く、現実的、実際的に超克していく。
何かをするにはアイデアから実際の行為に及ぶまで、非常に長い時間がかかるのだ。