・初めての方は、こちらもどうぞ!→『ようきてな』
・豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。
・嫁の『ダラックマのブログ』も良ければ一緒にお読みください。
おはようございます。
心の奥底にある憎悪を払拭して清涼なる境地に立つ皆様!
本日は6時前に起きました豊田です。
座禅1時間も無事に終わりましたよ。
今日でそろそろ1ヶ月、毎日続いていると思います。
さいきんは過去の痛みからくる妄念の解放という気がしますね。
もちろん姿勢や感覚への注意も大事ですが、これを妄念が妨害するので、また眠りが妨害するので、この痛みと憎悪を手放さないといけません。
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もう完全に忘れているつもりでいたことが、座っているとモヤモヤと浮かび上がってきて、その過去の痛みの次元へと夢のように誘って行きます。
すると現在自己意識は眠ってしまい、感覚と姿勢への注意集中ができなくなる。
恐らく普段の生活でも、このような状態だと思います。
ずーっと体に帰って心を我から開放するよに努めると、この傷はフワフワと浮いて消えていくのが観察されます。
それに伴って感覚が回復するのとよく似た振動で、心が開放されていきます。
感覚が回復するときも、新鮮な力がそこに流れ出しますが、感情の場合も同じような経緯を辿っています。
どんどんと悪感情を吐き出してしまいますが、とんでもなく蓄積されてきた、この「恨みつらみ」パワーはまるで湧き水の如く、どんどんと噴出してきますね。
感覚と姿勢の回復がジワジワと進むように、こちらも、相当根気強く、毎日、毎日、洗い流さなければ、曇らぬ心にはなりそうにありません。
また感覚への欲望が毎日、復活していきます。
自己の純粋なるハートに安住すると、何もかもが新鮮に感じられますが、その新鮮さが、感覚の欲求を増大させるのです。
また心の愛情欲求、怒り、恐れ等々も、すごい勢いで、起こってきます。
そして周囲を見渡せば、皆、一様に、愛情欲求と、恐れと嘘で固められた偽の人格を表出しているではないですか。
もちろん本人は、そのような自覚などないですが、エゴの虚栄心と自己愛が、根本の行為というのは、即座に分かります。
新鮮なる感覚が、自分の欲望を刺激して、また、この周囲の人々の自然なる振る舞いが、自己を真理から引き離して、感覚の欲望、物欲、肉欲へと向かわせるのだ。
この単純なる戦いが、なんとも難しい。
結果を期待しない仕事をするように、義務として遂行するように強い思いを持たなければ、簡単に流されてしまいます。
一時的な快楽しか知らないのは、脳、つまり知性中枢だと思われます。
この司令塔が混乱して、感覚の快楽こそが、幸福の源泉だと思い込んでいる。
体や心は刺激を受けることで、一時的な錯覚状態に陥り、苦を快楽だと誤認識してしまうわけですね。
感覚の刺激を避けるために戒律があり、瞑想禅定を安定化させるために座禅があり、心を神へと結びつけるために念仏(マントラ)があり、智慧を身につけるために仕事がある。
これらの大本を支えるのは、全身全霊で神を愛することだ。
ここが揺らぐがゆえに、他の全てが、崩壊してしまうのである。
信仰心がまずなければ、他に費やす努力は、いい加減になるからだ。
今日こそは強い心でもって、現在を生き切ること実践しよう。
物欲・肉欲という巨大なる敵を倒すまで、邁進、し続けなくてはならないのだ。
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おはようございます。
心の奥底にある憎悪を払拭して清涼なる境地に立つ皆様!
本日は6時前に起きました豊田です。
座禅1時間も無事に終わりましたよ。
今日でそろそろ1ヶ月、毎日続いていると思います。
さいきんは過去の痛みからくる妄念の解放という気がしますね。
もちろん姿勢や感覚への注意も大事ですが、これを妄念が妨害するので、また眠りが妨害するので、この痛みと憎悪を手放さないといけません。
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すると現在自己意識は眠ってしまい、感覚と姿勢への注意集中ができなくなる。
恐らく普段の生活でも、このような状態だと思います。
ずーっと体に帰って心を我から開放するよに努めると、この傷はフワフワと浮いて消えていくのが観察されます。
それに伴って感覚が回復するのとよく似た振動で、心が開放されていきます。
感覚が回復するときも、新鮮な力がそこに流れ出しますが、感情の場合も同じような経緯を辿っています。
どんどんと悪感情を吐き出してしまいますが、とんでもなく蓄積されてきた、この「恨みつらみ」パワーはまるで湧き水の如く、どんどんと噴出してきますね。
感覚と姿勢の回復がジワジワと進むように、こちらも、相当根気強く、毎日、毎日、洗い流さなければ、曇らぬ心にはなりそうにありません。
また感覚への欲望が毎日、復活していきます。
自己の純粋なるハートに安住すると、何もかもが新鮮に感じられますが、その新鮮さが、感覚の欲求を増大させるのです。
また心の愛情欲求、怒り、恐れ等々も、すごい勢いで、起こってきます。
そして周囲を見渡せば、皆、一様に、愛情欲求と、恐れと嘘で固められた偽の人格を表出しているではないですか。
もちろん本人は、そのような自覚などないですが、エゴの虚栄心と自己愛が、根本の行為というのは、即座に分かります。
新鮮なる感覚が、自分の欲望を刺激して、また、この周囲の人々の自然なる振る舞いが、自己を真理から引き離して、感覚の欲望、物欲、肉欲へと向かわせるのだ。
この単純なる戦いが、なんとも難しい。
結果を期待しない仕事をするように、義務として遂行するように強い思いを持たなければ、簡単に流されてしまいます。
一時的な快楽しか知らないのは、脳、つまり知性中枢だと思われます。
この司令塔が混乱して、感覚の快楽こそが、幸福の源泉だと思い込んでいる。
体や心は刺激を受けることで、一時的な錯覚状態に陥り、苦を快楽だと誤認識してしまうわけですね。
感覚の刺激を避けるために戒律があり、瞑想禅定を安定化させるために座禅があり、心を神へと結びつけるために念仏(マントラ)があり、智慧を身につけるために仕事がある。
これらの大本を支えるのは、全身全霊で神を愛することだ。
ここが揺らぐがゆえに、他の全てが、崩壊してしまうのである。
信仰心がまずなければ、他に費やす努力は、いい加減になるからだ。
今日こそは強い心でもって、現在を生き切ること実践しよう。
物欲・肉欲という巨大なる敵を倒すまで、邁進、し続けなくてはならないのだ。