朝、ホテルの窓から外を見るとカンカン照り。ホテルの中はクーラーが効いているのでつい勘違いしたけど、今日も暑そうだ。
まあ、大山が綺麗に見えたら良いか。ということで、今日は大山の見える美術館「植田正治写真美術館」へ。
植田さんは世界的にも有名なカメラマンらしいけれど、彼の存在を知ったのは、かつて彼の被写体になり、自らもカメラをしていて植田さんを敬愛している福山雅治さんからだ。
そして私は福山ファンなのよ!(照)という訳。もちろん芸術の視点から植田さんの作品に興味を持った訳だけど。
米子駅から13分ほどで岸本駅下車。タクシーで5分ほど走っていくと、目の前に青空と肉厚な夏の雲をバックに大山が雄大な姿を見せた。
ふもとには瑞々しい緑の田畑が拡がる、絵に描いたような田舎の風景の中に、コンクリのシンプルで未来的な美術館が佇む光景は不思議な空間を演出していた。
そして植田さんの世界も、建物同様不思議な空間だった。
植田さんは写真と絵画の中間に立っているような感じがする。
鳥取砂丘で撮り続けた人だけど、砂丘という生き物の気配を感じさせない舞台で、人物を「配置」して撮影する。
砂丘の手前に人物がいて、手の平を上にして横に差し出している。その手のひらに小さな人物が乗っている。もちろん、小さな人物は砂丘のずっと遠くに立っているのだが、砂丘という遠近感のない舞台がおもしろい効果を生み出している。
同じように、大勢の人物がただ行進しているだけだったり、いくつものハンガーが砂に突き刺さっているという光景を、砂丘がおもしろく非現実的に魅せてくれている。マグリットやダリの世界を思わせる。
ある意味「偶然の瞬間」が写真の魅力だと思うが、植田さんは自分の撮りたいように世界を決める。それはとても絵画的だし、逆に絵画だと嘘臭くなりがちな表現の仕方に、写真ならではのリアリズムを加えることが出来る。
私は写真の世界は全然知らないけれど、写真の世界は難しいと思っていた。写真の本当の魅力はロバート・キャパのような報道写真(でいいのかな?)にあると思っていた。
そんな私に、植田さんは新しい感覚を教えてくれた。
余談:植田さんの78歳の誕生日に福山さんは78本のひまわりを送ったそうで。福山さんも感性の豊かな人だな~
まあ、大山が綺麗に見えたら良いか。ということで、今日は大山の見える美術館「植田正治写真美術館」へ。
植田さんは世界的にも有名なカメラマンらしいけれど、彼の存在を知ったのは、かつて彼の被写体になり、自らもカメラをしていて植田さんを敬愛している福山雅治さんからだ。
そして私は福山ファンなのよ!(照)という訳。もちろん芸術の視点から植田さんの作品に興味を持った訳だけど。
米子駅から13分ほどで岸本駅下車。タクシーで5分ほど走っていくと、目の前に青空と肉厚な夏の雲をバックに大山が雄大な姿を見せた。
ふもとには瑞々しい緑の田畑が拡がる、絵に描いたような田舎の風景の中に、コンクリのシンプルで未来的な美術館が佇む光景は不思議な空間を演出していた。
そして植田さんの世界も、建物同様不思議な空間だった。
植田さんは写真と絵画の中間に立っているような感じがする。
鳥取砂丘で撮り続けた人だけど、砂丘という生き物の気配を感じさせない舞台で、人物を「配置」して撮影する。
砂丘の手前に人物がいて、手の平を上にして横に差し出している。その手のひらに小さな人物が乗っている。もちろん、小さな人物は砂丘のずっと遠くに立っているのだが、砂丘という遠近感のない舞台がおもしろい効果を生み出している。
同じように、大勢の人物がただ行進しているだけだったり、いくつものハンガーが砂に突き刺さっているという光景を、砂丘がおもしろく非現実的に魅せてくれている。マグリットやダリの世界を思わせる。
ある意味「偶然の瞬間」が写真の魅力だと思うが、植田さんは自分の撮りたいように世界を決める。それはとても絵画的だし、逆に絵画だと嘘臭くなりがちな表現の仕方に、写真ならではのリアリズムを加えることが出来る。
私は写真の世界は全然知らないけれど、写真の世界は難しいと思っていた。写真の本当の魅力はロバート・キャパのような報道写真(でいいのかな?)にあると思っていた。
そんな私に、植田さんは新しい感覚を教えてくれた。
余談:植田さんの78歳の誕生日に福山さんは78本のひまわりを送ったそうで。福山さんも感性の豊かな人だな~