自分の能力が発揮できる精神の状態ってのがある。
その反対の状態もある。
自分の能力が発揮できているときってのは、心が平和で自分の内からあふれ出る創造性をいかんなく発揮できている。
自分自身も幸せだし、こんなときは愛にあふれている。
理想的なエネルギーの循環ができている。愛=感情=エネルギーだから。
こんなとき、不安や恐れなどはない。他人の目なども気にしていない。
なるべくこの状態でいつもいたい。それにはどうしたらいいか。
おばさんは繊細な人間なので、よくうつっぽくなるのw
めちゃくちゃに生きている自分の親兄弟からめちゃくちゃな電話が来たとき。
それで自分のうつっぽいときの精神状態をよく観察してみると、そんなときはたいてい思考しすぎてるの。
一応、気分がしずむきっかけの出来事はあって、そのあと思考をぐるぐるはじめるの。そうなると料理してても、なにしてても考え事してるの。
この状態はだめだね。
この状態のとき、自分の感情や五感をちっとも感じてないの。
思考の量が多すぎる=感情、五感が感じられない
感情や五感を感じている状態こそが愛なんだ。感じることが「愛」なの。
こっちの状態でいたほうが、能力が発揮できるの。
問題の解決もできるの。適切な物の見方もできるの。
なんだか問題が起こると、ヤバいと思って、不安や恐れや怒りの感情を抱えながら一生懸命思考して解決しようとしちゃうんだけど、これ、やめちゃったほうがいいのw
たいてい大人になるにつれて、みんな思考するようになる。そして社会に出るころには「~なければならない」という思考ばっかりになり、会社で教育されてそれを強化していってしまう。
しかしこれでは、愛からはなれてしまう。自分の能力が発揮できる状態からかけはなれてしまう。
支配者のいうことだけを聞く、社畜を養成するにはいいんだろうけど、まともで良心のある社長であれば、社員の創造性だって伸ばしたいはずだ。(就活するとき社長が感情豊かで五感を大切にしている人か見るといいかもしれないなwそういう人は自然に社員にもそう接するからさ)
それでおばさんは、自分の精神状態を研究した結果、精神状態がよろしくないときは、思考しすぎていることに気が付いた。
割合の問題みたい。
思考が多いと感情・五感の割合が減る。
感情・五感がメインになっていると、思考は、必要なときに適切にするようになる。感情・五感メインでいても全然思考がなくなるわけではないことも判明した。(おばさんの実験による)
思考に囚われている状態からの抜け方も研究してみたところ、単に思考を止めるとちょっと意識して、五感や感情を感じることにシフトすれば、思考ぐるぐる状態から抜けられることが分かった。
思考を止めて、音楽を聞いてみる。
思考を止めて、お茶を味わってみる。同じ茶葉でも毎日味が違うなとか。
思考を止めて、料理を味わう。
思考を止めて、自分の感情を感じてみる。
思考を止めて、好きな人のことを思ってみる。
思考を止めて、食材の鮮度を感じてみる。あー、しゃきしゃきしてんな、とか。
思考を止めて、アロマテラピーやってみる。
思考を止めて、蛇口から流れ落ちる水を感じる。
思考を止めて、外に出てみる。陽光や緑や空気。ただ感じてみる。
これで、思考に囚われている状態から、抜けられる。
五感を感じていると、自然に感情も感じやすくなる。豊かになる。
不安や恐れや問題発生で困っているとき、「そんなふうに思考を手放してのんきな状態になれるかよ」と思うんだけど、こっちのほうが問題解決できるんだ。
思考の囚われを解いて、自分のハートに戻ったからといって、例えばいじわるしてくる他人などがいきなり変わるわけじゃないかもしれないけれど、いい人もいるってことに気づく。またそのいじわるな人の中にも+の部分もあるなどと感じられるようになる。客観的、俯瞰的になるのね。悲観的に捉えるクセから抜けられて、結果、精神も安定してくるの。
柱は自分の感覚や感情だ。
物事は、立体的だ。多面的だ。
それなのに一面だけ見てても、全体像が見えないだろう?
見えない裏側を見るにはどうしたらいいか?
それは「感じる」っていうことだ。
こんなことを以前書いたことがあった。主にあいつらの陰謀を見破るコツという観点から書いたけど、全部いっしょなんだw
思考に囚われているとき、脳みそが平面的に使われている。
だから、いやなやつのいやなところしか見えない。物事のマイナス面しか見えなくなっちゃう。
でも感情や五感を取り戻すと、立体的に感じる。つまりちょっと俯瞰だ。
だからプラスもマイナスもあるんだよねと気づく。こっちのほうが本当だ。
そしてなにより自分が楽で幸せで平和だ。
この状態だと
マイナス状態の相手を見ても、これも相手の選択で自由なんだよなー、とちょっと離れた感覚でいることができるの。苦しそうに生きている人も「経験したいんだね」と相手を認めてあげられる。実際、相手が選択しているならば、他人がむりやり変えさせることはできないんだ。そのやり方だと苦しくなるよと思っても。
手出し口出しするとよけいトラブルになっちゃうの。
経験させてあげることが愛なの。みんな経験して納得したくて生まれてるところがあるからさ。
ところが思考が優位だと、心が他人に囚われていくんだわ。それでこういうこと↑を知らなかったり、意識してないと、どんどん相手に入っていっちゃって、きまずくなったり、トラブルになっちゃったりするのね。自分も巻き込まれて破滅にむかっちゃったりするのね。人間関係のトラブルはこういうカラクリで起きているんだ。
だからわかっちゃえば、もう起きないのw
そして、思考優位でいると、他者の目や評価や悪感情が気になって気になってしかたない状態になるんだわ。
(SNSで他人のいいね!とかの評価が気になって仕方ない方はたぶんこの状態だと思うんだ)
これは苦しい。
実際は+とマイナス、つねに両方ある。
悪意のある人もいれば、やさしく好意的な人もたくさんいる。
だから、他人のそんなところが不快に気になってきたら、思考を止めて、五感と感情にシフトすることをおすすめしたい。
そうすると、両方の人がいるんだよなぁと思って、ゆったり自由な感覚に戻れると思うんだ。
その感覚で「のんびりマイペースで続けていけば応援してくださる人も少しづつふえていくんだよなぁ」と+がちゃんと見えるようになる。これならたまにいじわるな人が現れてもあまり気にしないでいられる。
1人の人間の中にも+と-が存在するわけだ。
自分が思考に囚われて、相手に囚われ、相手の領域に入りすぎてしまうと、相手のマイナス面ばかりを引き出してしまうものだ。
そして、思考に囚われている状態だと、人は戦う。
理屈で相手を攻撃する方向に行きがちだ。
(参考:脳タイプ別悪人 - 丸顔おばさんのブログ)
しかし、その理屈は平面的で一面だけを言ったもので、全体を捉えたものでないことがほとんどだ。
そして思考だけでなく言葉もまた、平面的な表現しかできないツールであったりする。
こんなふうに脳も上手に使えずに、ムダに傷つけあって、不毛な戦いをしているのが我々人間なんだ。
感情、五感をメインに感じていると、物事を立体的に俯瞰的に捉えることができるから、
「こんな問題もあるけど、希望もあるよな」って、絶望しないでいられるの。
ムリにプラス思考するんじゃなくて自然にそう見える、感じられるって感じ。
また、違和感感じたり、なにか腑に落ちないと感じたりして、仕組んでるやつの思惑を嗅ぎ取ったりもできるんだ。
そしてこの状態だと、言うべき時にははっきり言えるんだ。ムダに戦ってないから怖くないんだ。思考と言葉で相手を攻撃しているときの意識とは違うのね。
「自分がこう思うから言うけどさ」って感じで。
こんなふうに自分のハートにいる割合が多くなればなるほど、自由で平和で幸せでタフにいられる♪
プラスもマイナスも両方が混ざり合ってるんだよねと俯瞰でながめていると、楽で平和だから、これがムリなく継続できると、自分自身が伸びていく。
能力とか、今取り組んでいることが、ゆったり発展していく。
マイナスばかりにフォーカスしてしまう「思考に囚われた」精神状態だと適切に物事を見ることができない。しかも苦しい。
何年もその状態でいると、崩壊してしまうことすらある。これは損だ。
「思考を止めて、五感と感情を感じてみる」
やってみると分かるけど、いかにふだん目の前のことに集中していないか。
思考という妄想に囚われて、今を生きていなかったんだと、分かる。
だから、自然豊かなのんびりした環境だと、人間は自然に愛や感情や五感が豊かな状態になるんだと思った。
反対に、都会のコンクリートジャングルのなかで、せかせかと生きていると思考優位になってしまうだろう。満員電車でイライラ通勤していると、戦う心になってしまいがちだ。
でも意識して、思考を止めて、五感と感情にシフトすることをしてみる。
やってみるとわりとカンタンだ。
でもみんな、こうすることの意味に気が付いていないんだな。
単に気分がほっこりするだけではないのだ。
自分の能力や人生が変わってしまうくらいのことだ。
幸せに生きるか、苦しく生きるか。
能力を開花させるか、自分に能力や可能性があることに気づかないで一生を終えるか。年齢なんて関係ないからね。気づいたときに始めれば、すぐそうなるからさ。
長く続れば続けるほど自然に伸びていくからさ。
思考に囚われている人は、窮屈だ。あいつらの騙しにもまんまとはまってしまう。
思考だけで生きている人は常識にとらわれて、あいつらの陰謀なんてあるわけないじゃんという結論に至るだろう。
しかしいまやあいつらが世の中の至る所で悪だくみを仕組んできたことが、明らかになってきた。
こういうのも、感情や五感優位の状態でいたほうがで感じ取れるわけだ。
思考を止めるといっても、必要なところでは、ちゃんと思考も適切に使っている。
だから大丈夫なんだ。
感情がゆったりいると、脳がバランスよく使えるということだ。
思考ぐるぐる状態だと、脳の使い方が偏っているということなんだろう。
それで物事を偏って捉えることしかできず、精神状態も苦しくなり、他人のマイナスに囚われて自滅してしまう。
どうもこういう性が人間にはあるような気がする。
仕事をすることも、生きることも、長丁場だ。短距離競争ではない。
思考に囚われた苦しい状態ではもたないと思うんだ。途中でやめたくなると思うんだ。
すると病気したり、介護状態になったり、人間関係や仕事で問題を起こしてやめざるを得ない状況を自分自身が作り出したりするんだ。
だから、思考は止めちゃったほうがいい。そして音楽や、食事やお酒を味わって、五感にシフト!
自分の感情に、愛に帰ろう。
生涯現役を貫く:柔軟な思考回路を持ち続ける:チャレンジし続ける生き方動画説明欄より転載させていただきます。中途採用という形で企業に就職することが難しい時代ですが、企業にとっては中途採用をするにあたり、新卒採用とは異なった観点から、その人のスキルを細かく見抜く力が必要となります。
新卒採用の場合には、即戦力にはなりませんが、若くて思考が柔軟であり、新たな知識や技術の習得が早く、時間をかけてしっかりと教育することで、いずれは組織のカラーに染まり、組織のスタッフとして活躍してくれることが期待できます。 中途採用の場合には、長年の経験で培ってきた知識と技術を活かして、即戦力として利用できるような優れた人材がいることは紛れの無い事実です。そのような人材に対しては、企業側も高待遇で招聘しようと考えます。
しかし、キャリアが長いだけで卓越した知識や技術を持たず、どれだけ仕事ができるのか分からない一般の中途採用に関しては、採用に際して極端に慎重にならざるを得ません。
何故かと申しますと、年齢を重ねるとともに、新たな知識や技術を習得する能力が低下してしまう人が多いからです。新たな知識や技術を習得する能力があると判断される人の割合は、20歳で90%、30歳で70%、40歳で30%、50歳で10%、60歳で2%、70歳で1%というようなデータが経験として得られています。
私の周りでも、60歳を過ぎてパソコンやスマートフォンを使いこなし、新たに有用なアプリケーションが出回れば、直様それを利用し、若者に負けずに、ウェブを利用して活躍している高齢者は、ほんのひと握りしかいません。
40歳を過ぎて中途採用で就職したけれども、新しい知識や技術を習得することが苦手であり、現場ではまったく使い物にならず、新たな環境にまったく馴染めず、年齢だけは歳上であるため、仕事ができないにもかかわらず若いスタッフを見下すような態度を取り、「私は貴方たちよりも経験豊富なの、私が今までやってきた方法でやるから文句を言わないでちょうだい」と言い、我が道を行くような態度を取り続け、チームワークが乱れてしまうこともあります。
このように、中途採用をする時には、新卒採用以上に慎重に、その人の性格やスキルそして、新たな知識や技術の修得ができるような柔軟な頭脳を持っているのか、吟味しなければなりません。
それでは、加齢とともに頭脳が硬直化して新たな環境に適応できなくなる人と、歳を重ねても頭脳が柔軟で新たな知識や技術の習得が得意な人との差は、一体どこにあるのでしょうか?
一生懸命仕事をすることと、新たな知識や技術を吸収することとは、頭の使い方が全く異なります。生涯現役で頑張りたいという気持ちで、頑張る姿勢は素晴らしいことですが、汗水流しながら、いつもと同じことを繰り返しているだけでは、脳の硬直化を予防することはできません。
生活の安定を望むのでは無く、自分自身の進歩発展を望みながら、新たな知識や技術を貪欲に吸収しつつ、日々成長し続ける生き方をすることで、脳の柔軟な思考回路を維持することができるのです。
〈おばつぶやき〉
わかるよ。つい、慣れ親しんだやり方をずっと続けてしまうものだ。
べつにそれで困ってないならこれでいいじゃんって。
でもよりよいやり方は?という意識でいることが柔軟にいるコツかもね。それが若さを保つ秘訣かもしれないな。
仕事に限らず、
昔流行ってた化粧方法をずっとやっているとかw
昔流行ってた髪型をずっと変えないとかw
べつに本人が好きならそれでいいんだけどさ。ちょっと硬直化するからな。
そしてどうしても古くなるからなw
もっといい方法があるかもしれないのにかたくなに取り入れないと、発展は望めないからなw
必要なのは、好奇心、探究心、そして行動力なのです。「どうしたらもっと速く、もっと良いものを?」という気持ちを持ち続けることが大切なのです。逆に脳を硬直化させてしまうのは、「楽をしたい、面倒くさい、このままでいいじゃないか!」という気持ちなのです。
〈おばつぶやき〉
ははー。面倒くさがらず、探求いたします。
超高齢社会で話題になっている言葉の中に「フレイル」があります。身体を動かす意欲、食べる意欲が無くなり、全てが面倒くさくなってしまい、自宅に引きこもりがちになり、そのうち筋肉が衰えて「サルコペニア」となり、介護が必要になってしまうような状態を指します。
〈おばつぶやき〉
フレイル。初めて聞きました。
年齢とともに、筋力や心身の活力が低下している状態を「フレイル」と呼びます。これは、介護が必要となる一歩手前の状態です。ちょっとしたことで活動量や食欲、意欲などが低下していくと、生活機能全般も低下していくという悪循環に陥りやすく、フレイルの状態を経て、最終的に要介護状態や寝たきりやになってしまう恐れがあります。文章・画像出典:「フレイル」状態にならないために|藤井寺市 より
年をとると普通に生活を送っていても全身の筋肉が減っていく「サルコペニア」という状態になることがあります。サルコペニアになると体を動かすことがおっくうになってしまい、筋肉がさらに減ってしまいます。
転びやすくなったり、転んで骨折したりして、寝たきりの生活になり、さらに体を動かす機会が減る、という悪循環が起こりやすくなります。
そうか。こういうことにも繋がってくるわけだね。
めんどくさがらず、探求するって大事だね。
この、「楽をしたい、面倒くさい、このままで良い、放っておいてくれ!」という気持ちが、脳の硬直化を生み出し、いずれはフレイルから要介護の世界に転がり落ちて行くのです。
本日は、何歳になっても新たなことにチャレンジし続けられる柔軟な思考回路を持ち続けるためには、どのようにしたら良いのか?ということについて、お話ししたいと思います。 こんにちは、Dr.Yです。
〈おばつぶやき〉
こんにちは。おばさんです♡
世の中には、結果を出すために日々努力している人たちが大勢います。しかし、努力をしても結果が出せずに落ちこんでみたり、それでも挫けずに頑張り続けた結果、最終的には成功を収めるなど、人生は失敗と成功の連続と言っても過言ではないと思います。 結果を出すために努力をすることはとても素晴らしいことですが、我慢しながら努力をすると、肉体的にも精神的にも追い詰められてしまうことになり、決して幸せな生き方とは言えません。我慢しながら努力をすることを辞めて、楽しみながら努力をするように気持ちを切り替えることで、精神的にゆとりを持ちながら、楽しく努力し続けることができます。これこそが、楽しくて充実した幸せな生き方であると言えましょう。
〈おばつぶやき〉
そっかー。我慢してがんばっちゃうとダメなんだ。
我慢やめて、楽しくゆとりを持ってやるってことか?
人間は長い人生を生き抜き、最後は死を迎えます。しかし、人間は死ぬために生きている訳ではありません。「死ぬまでの時間」即ち「生」を如何に生きるのかという、人生の質が問われています。ですから、「人生とは過程を楽しむものである」ということを、いつ何時であっても、忘れてはなりません。
勿論、結果を出すために、しっかりと計画を立てて、真剣に努力をすることは大切ですが、過程を楽しむということを、肝に銘じているのか否かで、その人の人生の質が大きく異なってくるのです。 食事をするのは、「生きるために食べる」ことが目的なのかも知れませんが、「過程を楽しむ」という意識が働けば、「さあ食事をゆっくり楽しもう!」という気持ちになれます。 散歩をするのは、「健康のために1万歩あるく」ことが目的なのかも知れませんが、「過程を楽しむ」という意識が働けば、「さぁ散歩をゆっくり楽しもう!」という気持ちになることができます。
〈おばつぶやき〉
あ!おばさんがさっき思ったことと似てない?
思考を止めて、音楽を聞いてみる。
思考を止めて、お茶を味わってみる。同じ茶葉でも毎日味が違うなとか。
思考を止めて、料理を味わう。
思考を止めて、自分の感情を感じてみる。
思考を止めて、好きな人のことを思ってみる。
思考を止めて、食材の鮮度を感じてみる。あー、しゃきしゃきしてんな、とか。
思考を止めて、アロマテラピーやってみる。
思考を止めて、蛇口から流れ落ちる水を感じる。
思考を止めて、外に出てみる。陽光や緑や空気。ただ感じてみる。
思考を止めて、五感を味わう・感情を感じるってことと似てない?
先生のおっしゃる「過程を楽しむ」っていうやつ♡
そうだ。感じてないと、楽しめないもんね?
思考が多すぎると感じられないから、楽しくないんだ。
何かをする時に、我慢してやると脳の思考回路が硬直化し、楽しんでやると脳の思考回路が柔軟化するのです。脳の柔軟性を維持し続けるためには、結果を出す為に楽しんで努力し、結果を出すまでの過程を楽しむ生き方をすれば良いのです。
〈おばつぶやき〉
あー!やっぱそうなの?楽しんでいると、脳が柔軟化するのね!
だから思考を止めて、感情や五感優位で感じ取ることだ。実はこの状態でも、必要なところでは、ちゃんと思考も適切に使っている。だから大丈夫なんだ。感情がゆったりいると、脳がバランスよく使えるということだ。思考ぐるぐる状態だと、脳の使い方が偏っているということなんだろう。それで物事を偏って捉えることしかできず、精神状態も苦しくなり、他人のマイナスに囚われて自滅してしまう。
過程を楽しむ=五感・感情を感じて味わっている=脳が柔軟化=脳がバランスよく使えてる
こういうことなんじゃないの?
おばさん医学的なことちっとも分かんないから、自分のフィーリングで書いてるんだけど、Dr.Yさんが言うならきっと医学的にもそうなんじゃない。
思考ぐるぐる状態のときって「~なければならない」ってなりがちだ。
これだと我慢して歯を食いしばって生きる人生になりがちだ。そしてトラブルに巻き込まれやすいことも書いた。こうして我慢して耐える人生になっちゃうわけだ。
我慢してやる人は、早く楽になりたい。老後はゆっくりと過ごしたい。そう考えます。 ところが、楽しんでやる人は、一生涯にわたり楽しみを持ち続けたいので、老後はゆっくり過ごしたいなどとは、決して思わないのです。
〈おばつぶやき〉
わかるよ。苦しく生きている人は、早く引退したくなっちゃう。
無意識のところで介護状態をのぞんでいるかもしれない。
もっといってしまえば、死がゴールでそこまでの我慢だって感覚だ。
これだと人生もったいない。
そんなふうに生きるのも自由だけど、選択権は自分にある。
「あっ面白そうだ!いっちょやってやろうじゃないか!」青年がゲームコーナーで爛々と目を輝かせているその瞳の輝きを、高齢になっても失わない生き方ができるのです。
そのためには、過程を楽しむこと。結果を出すために努力することは素晴らしいけれど、我慢しながらやるのではなく、楽しんで過程を楽しむ生き方をする。それが最高の生き方であり、歳を重ねても柔軟な思考回路を持ち続けるポイントなのです。その為には、好奇心、探究心、創意工夫、面白がる心を持ち続け、行動力をフルに発揮して人生を楽しむ生き方を実践することが大切です。
〈おばつぶやき〉
そうだね。そんなふうに楽しんでいると、自然に行動したくなるからな。
やっぱり感情や五感を味わうことが大切だと思った。そこから好奇心も探求心も生まれるもんね。
コツは、思考を止めて、感情・五感にシフトすることだとおばさんは思っている。
それだけで若返っちゃう♪