外国旅行で気を使うのが気候、食べ物その次が、やはり”トイレ事情”だと思う
特に今回の様な中国、西北の盆地地帯になると、特に気を使う。
先ず備え付けの”トイレットペーパー”など無いのが常識だ。
したがって、財布を忘れても”ポケットティッシュ”は忘れずに!
何時もポケットに入れておくのが常識らしい。
しかし、今回の様な五つ星や四つ星ホテルの部屋はOKだ。
けれどもホテル内でもレストランなどのトイレは”ポケットティッシュ”持参が常識のようだ。
ここで一寸中国語のお勉強!
”トイレットペーパー”の事を中国語では”手紙(shouzhi)"と書くそうです
手紙からの連想・・・”切手”
中国の人が日本語を勉強する時に理解し難い漢字が”切手”だそうです
中国語では”郵票(youpiao)”でこちらの方が判り易い様だ。
旅の途中から気が向くままに写真を撮ってみた。
マア!PCには”臭い”はUPしていないので興味がある方はのぞいて下さい。
旅行ルートの再確認
赤丸の数字が宿泊順序です
順序は少し違うが、2日目の火炎山、ベゼクリク千仏洞などの見学を終え
例の”ぶどう園”での昼食も済ませ、
南疆橋鉄道の「トルファン駅の2階のVIPルーム」の新しいトイレ
チャンと扉も有りしかも水洗だ。
南疆橋鉄道軟座列車のトイレ
ステンレス製で画面左側には暖房用のヒーターも付いている。
夜遅く着いた、コルラの”タリム石油大廈ホテル”
コルラからクチャに向かう高速道の休憩所、小用
並んでの利用
コルラからクチャに向かう高速道の休憩所、大用
扉無し
同行者が利用しかかったが”出ない!”と言って
道路脇の背丈位の”ブッシュ”の中で”しゃがんで”済ませて来た。
小の方も建物の裏に並んで青空を利用していた。
但し、次の休憩所のトイレ裏には”立ちション禁止”
違反者は50元の罰金の
甲板が数枚立ててあった。
スバシ古城入り口の新しい建物のトイレ
新しいが空き缶などのごみも一緒に捨ててあった。
扉は無かったようだ。大、小、兼用
キジル千仏洞のきれいなトイレ,扉有り、
左が隣との仕切り壁、右側が一番端で青いパイプから定期的に水が流れ隣へ次々と流していく方式
南疆橋鉄道軟座列車②
"しゃがみ式”
カシュガル「色満ホテル」の部屋用
左の穴から水が出て真ん中え流れていくのだが
ペーパーは浮いて流れない
横のかごを利用する
楊貴妃墓の朝一番の水洗トイレ
扉に”しゃがみ式”と表示してあった。
横に所謂”洋式”も有った。
西安の「唐高宗墓」で見つけた
読んで字の如し
「クズルガハ千仏洞」での”青空トイレ”このモニュメントの裏で用を足す。
一応ガイドさんが左が女性用で右側のモニュメントの裏が男性用といっていたが、
その他の場所で自分が気に入った場所で済ませても問題は無い
利用後の感想を聞いたら”眺めは良く、臭くないでスッキリした!”とおっしゃっていた。
今回は有料トイレには出会わなかった。
新しい西安空港には「TOTO」の便器が使用されている処も有った。
一日目の様子は こちらにUPしている
夜どうしベッドとトイレの往復を繰り返していた。
朝食もとらずに、7:00出発のホテルのロビーに集合した。
同行者の中にも下痢を訴える人が激増していた。
そんな訳で今日は写真を撮る元気も無く、行く先々でトイレ探しに翻弄した一日となった。
古代より長安(今の西安)がシルクロード(絲綢之路)の起点だそうで
市内の大通りの中央分離帯の公園に古代のキャラバン隊の像が建っている。
像は遥か西を目指して建っている。
像の前の人々は、朝の公園で太極拳を楽しんでいるリタイア組みだ。
バスで市内を過ぎ約一時間係って市外の新西安空港に着いた
9:20分発の上海行きに乗り11:20分に上海浦東空港に着いた。
出迎えの「孫夫権」さんに再会し
早速エレベーターで今日の目玉観光のリニアモターカーへの体験乗車だ。
トランクは例によってポーターさんに預け
身軽な旅姿でリニアカーへ乗り込む
時間もお昼だったせいか車内の混雑も無く
思い思いに記念撮影をしている。
ガイドの”張さん”も満足げの表情だ!
スムーズな発車で揺れや騒音も無く程なく最高速度の431kmを表示した。
7分あまりの体験乗車を済ませ次の駅で下車した。
ちなみに料金は50元(約800円)だそうだ。
リニアモーターカーの全景
この写真は昼食、市内観光を済ませて帰路の虹橋空港に急いでいる時に
バスの中から撮った写真だ。
クチャやカシュガルなどの滞在が長かったので最後の食事は豪勢にと
上海でも有数の”小南園”孫さんを交えての昼食が予約されていた。
しかし、昨夜からの腹痛で食欲がまったく無く、ただ見てるだけ
この豚肉も皆さん”美味しい!おいしい!”を連発して箸を運んでおられた。
高級上海蟹にも箸を付けずじまいだった。
あれほどごった返して、車、くるま・・・・・の上海市内も
ここ”友諠商店”前は何故か人どうりも、車も少ない。
最後の買い物?(まだ、空港の免税店がある)を済ませて、再度渋滞の市内を虹橋空港えと急いだ。
17:00時少し前にどうにか出発手続きを済ませお世話になった”張さん”と別れ
18:20分発福岡行きに乗った
機内の夕食もパスで昨夜の嘔吐以来何も食していない。
20:35分福岡着
入国手続きを済ませ21:05分発の最終バスに間に合った。
翌18日は朝一番に病院に駆け込み色んな検査と
点滴、抗生物質と下痢止め薬を貰って一件落着。
すばらしい中間と、総てに気配りの優れたガイドさんに恵まれて
楽しくて思い出深い中国旅行だった。
朝は6:30のモーニングコールで7:20分の出発だ。
はじめに西安市の北西約60kmにある中国四大美女の一人「楊貴妃墓」とさらに西北の「乾稜」を観光し
その後、市の北東に有る「秦始皇帝兵馬傭博物館」の観光だ。
夕食は市の中心部にあり有名な”餃子専門店”の「徳発長」での餃子のフルコースである。
小雨の中ガイドの”コウ(苟)さん”の案内で朝の西安市内を通り過ぎてプラタナスやポプラ並木を過ぎ
城外の農村地帯へ入っていく、ここいらの農家は治水も進んでいるようでそれに大消費地の西安近郊だけ有って
経済的にも恵まれているのか、結構大きな家屋が並んでいる。
今は、秋の収穫時期で、何処の農家も庭先に山ほどリンゴや、トウモロコシを積み上げている。
道路は未舗装の箇所もあり、可也大きな揺れのガタガタ道を走って行った。
それでも車はスムースに進み一時間少々で最初の観光地「楊貴妃墓」に到着した。
平日の観光地としては時間が早いのか今日の一番客だ。
この墓は1978年に造られたそうで実際の楊貴妃は埋葬はされていないそうだ。
楊貴妃(719~756)唐の第6代玄宗皇帝の妃。
善政を行なった玄宗が晩年彼女との国を傾ける程の恋いに落ち、政務を省みなくなり、
”安禄山”等による内乱が勃発しやがて玄宗の政治も終焉を迎え唐の国力も次第に衰えていった。
この時代の美人の基準は頬がふっくらとしていたのが特徴らしい。
その外”華清池”や
日本にも楊貴妃の伝説はある。
楊貴妃の墓の観光を終えて再度リンゴ村や町中を約一時間走り2番目の観光地である
唐の第3代皇帝高宗(およそ1300年前)と、その后則天武后の陵墓を雨の中
見学した。
かさを持っていなかったが、観光地なのでレンタル傘屋のおばさんがいて2元で傘を借りた。
帰りにチャンとバスの横で回収してくれた。
参道には124体の石像が一部修理されて並んでいる。
参道の左右に番臣の石像が61体あるが、清の時代に、悪政に怒った住民が像の首を壊したそうだ。
この石像のすぐ横に最近発掘されたらしい”唐永秦公主墓”がある。
高宗(?)の7女で17才で亡くなった娘の墓だそうだ。
地下に長さ87mの斜抗を堀り、その奥に広い墓室を造り大きな棺に埋葬していたらしい。
深さは地下16mにも達している。
しかしここも盗掘がひどく金や玉類は盗まれている。
兵馬傭抗1号抗
兵馬傭抗はここで説明するまでも無く、多くのガイドブックに綺麗な
写真付きで解説してある。
1974年に農民が井戸を掘っている時に破片を発見したらしい。
その方は今もこの博物館で解説やサインをされているらしいが
生憎席をはずしておられた
3号抗
1号、2号、3号抗が公開されている
公開しながらまだ発掘作業も継続されている、
しかし発掘すると空気に触れて冑や鎧の塗りの色が変色したりするので、
確認が済んだらまた、埋め戻しもしているそうだ。
以前は内部は撮影禁止だったそうだが、今は写真もOKだ。
とにかく観光客が多い
博物館外の玄宗皇帝の像
とにかくデカイ
約一時間かけて市内に戻ってきた。
今日の夕食は西安で有名な餃子専門店「徳発長」での餃子ざんまいだ。
108種類の餃子から今夜は18種類の餃子コースだ
写真の奥の様にとにかく満席で順番待ちだ。
前菜、水餃子に続いて蒸し餃子、トマト、ニラ、マメ、えびなど次、次にに出て来る
写真はひよこを思わせる酉餃子とかじっているのはクルミ餃子だ
最後は火鍋とデザートのスイカ、ハミウリで皆さん満足だ。
私は途中から満腹気味でギブUPした・・・・・・
処がこの後に大変なことが待っていた(起こった!)
レストランの外は相変わらずの雨模様だ
ここは、鐘楼と鼓楼の間の大きな市民広場で下に二階建て(?)のデパートがあるらしい
社会主義国ならではの土地の利用アイデアだろうか?
「ノーマネー!!ノーマネー!!」と言って近ずいて来る少女を無視して
バスで昨夜からの連泊「グランドニューワールド」に戻った。
野菜が主で今日は同行の桝野さんから梅干を貰って粥の朝食にした。
ホテルを9:00に出発してカシュガル空港から再度ウルムチに戻り憧れの「楼蘭の美女」に出会ってその後空路西安までの移動である。
何時ものように大きな荷物はポーターさんが空港まで運んでくれて機内に預けてくれる。
9:30に空港に着いたので10:40の出発までは時間が在る。
まだ買い足りない土産物の物色を売店でしたりで時間をつぶした。
A5サイズの漢、日両語説明の名所古跡本を見つけて買った。
本や絵葉書など観光客向けのものは一般的に値段が高い小さな本で32元は買得だと思った。
昨日バザールで値切りに値切って50元で買った長さ50cm弱の弦楽器でまったく同じものを300元で売っているのを見つけた。
ここで、いくら値切っても50元は無理だろうと思うと、
何時も値切って買ったつもりが、相手のペースにはまり結構高値で買わされてばかりだったので、
そうとう溜飲が下がって嬉しかった。
昨日”楽器を入れる袋をくれ!”と言ったら
”こんなに値切られていやだ!”と云ったオヤジさんの顔が思い出される。
この南方航空は飛行機でウルムチまで約一時間半の空の旅
来る時は鉄道でウルムチ~ コルラ:7.5時間
バスでコルラ ~ クチャ:5時間
又、鉄道でクチャ~カシュガル:9時間 を一時間半はやっぱり早い
窓際の席だったので写真を写す事が出来た。
この写真はもっと遠景だったけどトリミングした。
機内乗務員の事を中国語では”空中小姐”とも云うらしい
今は”飛機服務員”かな?
広い中国大陸
定刻5分前の12:10分にウルムチ空港に到着
荷物を受け取り次の西安行きの飛行機に乗せる手続きを済ませて
すぐに迎えの車で昼食と市内観光へ出発
多過ぎる昼食
何時もそうだが、中国料理は多過ぎて残す方が多い
マア!、平均年齢70才位だから多く残るのだろう。
昨年リニューアルされた立派な「新疆ウイグル自治区博物館」
すばらしい建物でウイグル自治区で発掘された
古文物、ミイラなどが展示されている
日本語ガイドさんが親切に詳しく説明してくれた
内部は撮影禁止
今回の最大観光目玉の一つ「ローランの美女」を見学する事が出来た。
それも保存ケースに触りながらの見学である。
おそらく、日本などで見物すれば周囲数メートルに縄張りと警備員が張り付いて
保存ケースを手で触るなんてとんでもない話だろう。
又、この年齢4044才(死亡時の推定年齢38才+紀元前2000年+西暦2006年=4044才)の美女さん
今でも忙しくしょっちゅう、あちこちに出張(展示)されるので、
博物館で眠っておられる日数は少ないらしく、お目見え出来た我々はほんとにラッキーだそうです。
日本にも14年前に出張されたそうだ。
美女さんは金髪のヨーロッパ人で髪に鳥の羽根を挿し、足には皮の靴を履いていた。
身長は152cmで生前は158cm位だそうです。
顔は黒くなっていたが発掘時は白かったそうだ。
内臓もチャンと入っているらしい。
その他にも赤ちゃんのミイラや4~5才位の子供のミイラ身長180cm位の西洋人男性、
又、夫婦合葬のミイラも展示されている。合葬と言っても同時に亡くなったのではなく、
数年後に亡くなられた方を前に亡くなられた方の棺おけに入れるらしい。
合計7体のミイラが展示してある。
乾燥地帯なので死人がミイラになるのは常識なのかも知れない。
ロバ車の後の荷台に大勢の人達が乗っているのを何回も見かけたが
シャッターチャンスに恵まれず、とうとう写真が撮れなかった。
走っている車の窓から写した夕暮れ時の一枚。
飛行機は可也遅れて16:55分発でウイグル料理の機内食が出て
19:40西安空港に着いた。
閉店時間を過ぎていたが予約済みの空港内のレストランで急いで夕食を済ませた。
約一時間駆けて市内のホテル「古都新世界大酒店」に着いたのはもう21:00過ぎだった。
西安は昔の唐の都”長安”で明の時代に西安の呼び名に変わった。
今は、人口700万の大都会で市内は車も多くごった返している感じだ。
”兵馬傭抗”始皇帝稜などの観光地も多い。
ホテルロビー後の壁にもドデカイ玄宗皇帝の壁像が造ってある。
早朝Am2:51分の列車に乗る為に1:30起床2:00ホテル発のスケジュールだ。
大きな荷物のトランクはホテルのロビーからクチャ駅のホームまでポーターさんが運んでくれる。
いつも感心する”張さん”の気配りで有り難い。
駅に着くと列車は約30分の遅れらしくAm3:00に再度軟座ベッドに乗り込んだ
この鉄道の切符は始発から終着までの通し切符らしくて、
クチャから乗る場合も始発のウルムチから終着のカシュガル駅までの切符を購入するシステムだそうだ。
料金は529元と書いてある。したがって先日乗った区間も切符を又、買うことになる。
カシュガル到着時間はam11:51分で約9時間の列車のたびである。
カシュガルはウルムチに次ぐ新疆自治区第2の都市で人口凡そ34万人のうちウイグル族がおよそ77%で
イスラム世界を思わせる中国最西端の町であり、
紀元前からシロクロードの交易中枢地として発展してきた街だ。
カシュガルとはウイグル語で”玉のような場所”と云うらしい。
am3:00乗車の軟座コンポートメント上下二段の四人ベッドで結構ゆったり出来る
深夜に移動したのでもう寝れないかと思ったが結構眠れた。
列車が駅に着いても別にマイク放送するわけでもなく、静かに停車、発車していく。
女性の車掌さんが沢山乗っていて世話をしてくれる。
朝食の食堂車野菜主体の料理だった。
朝からビールも売っていた。
食堂車の飾り絵”五牛図”と書いてある。
車窓風景
相も変らぬ車窓の天山山脈と荒地風景を眺めていたら
新駅でも出来るのか?、線路の横で結構大きな工事をしていた
12:15分、カシュガル駅着
到着駅の案内も無いのでホームの標識を見て、”ア!”カシュガル駅だ!で、
みんな降り始めた。
マア終点だから別に急ぐことも無い
現地案内人の熊さん(漢民族と名乗っていた)案内で最初の観光地
”香妃墓”に行った。
この辺りを支配していたイスラム教徒の娘が
清朝皇帝の乾隆帝に嫁ぎ北京での生活での心労などで、
38歳で亡くなり、3年掛けて亡骸を北京から運びここにお墓を造ったそうだ。
この入り口の塔の中の建物にお墓は有るが撮影禁止である
建物の隣のイスラム教のお墓
上部が円形が特徴である
観光客用の駱駝
中国人の観光客が乗ったので駱駝が立ち上がるところ
物売りの少女たち”イチゲン(一元)イチゲン、ジッコデジュウゲン(10個で10元)”と上手な日本語で
話しかけて近寄ってくる。
少し離れた処に品物を沢山抱えた”ボス”のオバサンがいて子供たちに売らせている。
バスの窓から写した
ホテル玄関での歓迎ダンス
今日の宿泊ホテル”色満賓館”旧ロシア領事館を改装したホテルだそうで
ウイグル料理の昼食を取ってその後部屋に入り、16:30迄”お昼休み”
ダンスが済んだ娘さんに”一緒に写真を撮らせて欲しい”と同行者が云ったら
”お金をくれないとダメだ”と云われていた。
そのスキに一枚パチリ
お昼休みが済んで午後の観光地
ウイグル自治区最大のイスラム教寺院「エイティガール清真寺」
建物内で3000人から8000人位のお祈りが出来るらしい。
年に一回の最大の祭り”ウルボンドローズ”(間違っているかも知れない?)
では広場の石畳いっぱいに各地からイスラム信者が集まり
その数およそ10万人位の男性信者が一斉にお祈りをするそうだ。
その周りを女性や、異教徒達が取り囲むそうだ。
靴を脱いでモスク内の礼拝堂に入らせてくれた。
この絨毯の一つのますが一人分のお祈りスペースらしい。
同行者が座ろうとしたら、異教徒が座る事は禁じられていると注意された。
それにしても、ウイグル族、イスラム教徒は人が良く
結構おおらかな人物との感触を得た
モスクの見学を終えて次の目的地バザールに行った。
ここでもパスポート貴重品の管理は厳重にするように注意された。
写真は新鮮な羊肉の切り売り風景
バザール内の絨毯織りの娘さん
さすがにこの辺りのシルクの絨毯は一流品だそうだ
玄関マット位のサイズだったら、持って帰れたのに
家を出る時の準備不足でサイズが分からず買うことが出来なかったのが惜しかった
並んでいるのはリンゴではなくザクロだ
大きくて美味しかった。
夕食は中華料理を食べた
夜、又池田さんと散歩に出かけた。ここもラマダンで日暮れからは賑わっている
地図と売店の娘に聞いた通りを散策した。
あちこちで、喉自慢大会、社交ダンス、出店など等賑やかである
酒屋があったので現地酒を買って帰ってホテルで栓を開けたが
匂い、口当たり共にきつ過ぎた。
23時過ぎにホテルに戻ったらまだ売店のウイグル娘の子がいたので暫くおしゃべりをした。
ここいらの土産物屋の店員は皆日本語が上手でいくらでも会話が進む
彼女らもせっかく覚えた日本語を沢山話したいようで、お客さんもいないので
お喋りを楽しんだ
名前は”汪麗花”と言った。23歳で両親と弟の4人家族で歩いて5分くらの所に自宅があると言っていた。
この地方は11月になると寒くなり観光客も殆ど来なくなるので2月位までは
売店もお休みになると言っていた。
営業中でも給料は安く商品を売れば少し手当てが付いて給料が多くなると言っていた
24時に店を閉めて朝は7:30分に開けると言っていた
8:00に朝食のバイキングに出向いたが、中華風がすっかり減り中東色が強くなった。
即ち、豚肉やウインナー等が無く、殆どが菜食である。
お陰で体調も好く、朝から何を食べても美味しい。
今日の観光メインは市の北西凡そ75kmに3~11世紀に彫られた大規模な石窟群
”キジル千仏洞”と夕方の市内のバザールでの買い物である。
9:30にホテルを出発して、しばらくすると未舗装道路と成ったり、
今日も又スリル満点の一日になりそうだ。
市内を過ぎて暫くすると写真のような未舗装のガタガタ道に入った。
現地ガイドさんの説明ではこの砂利道が約10km位続くそうだ。
前方に砂煙を上げて荷物満載のトラックが走っている。
約一時間走って今日の最初の見物地塩水渓谷に到着した。
前にも書いたようにここの地質は各種の鉱物や塩分を沢山含んでいるので、
天山山脈の雪解け水は山肌や地層を流れて来るうちに多くの塩を含んだ水になってしまう。
写真の白い部分は総て塩の結晶である。
ここで約10分の写真タイムとなったので、
同行の女性群は川原に降りて塩をなめて確かめていた。
橋の上から呼びかけるとチャッかりカメラポーズ
塩水渓谷を過ぎて暫く走ると舗装道路と成った。
この道路は1978年に出来たらしい。
羊や、駱駝の放牧地帯などを過ぎ、
凡そ2時間で新疆最大規模の石窟遺跡”キジル千仏洞”に着いた。
正面の黒い像が”鳩摩羅什(くまらじゅう)でその後の断崖絶壁に石窟群がある。
でも石窟にはカメラ持ち込み禁止で「みやげ物店」にカメラを預けて観光である。
10人グループ毎に日本語のガイドが付いてくれて100元と言っていた。
入館料は一人35元である。
彫刻の大部分はイスラム教徒による破壊やヨーロッパ人の盗掘などで殆ど破壊されている
現在までに発掘されている石窟は237窟だそうだ。
見学は2組に分かれて案内して貰った。
最初に5世紀に彫られたNo32窟を見学した。洞は中心柱窟で前室、左右の側室それに後窟から成っている。
天井から側壁総てに壁画が描かれているが、金や玉などは盗まれ、顔の部分はイスラム教徒に削られている。
それから順次No32窟、No34窟、No38窟、No27窟、
No8窟には5弦琵琶が描かれており日本の”正倉院”にも同様の絵が描かれているそうだ。
さらにNo10窟、No27窟、No17窟、少し離れたNo77窟、No76窟まで案内してくれた。
鳩摩羅什(くまらじゅう)像のところから川の源泉”千泪泉”へのトレッキングコースがある。
往復約1時間位でガイドさんが出払っている時の待ち時間の散策に最適である
途中の風景
洞窟の観光を終えて暫く来た道を戻る。
その後道なき道の荒地に入っていくと忽然と石窟群が現れる。
そこが「クズルガハ千仏洞」である。
ここには道路の舗装や電気などは無い
監視小屋が有って中に監視人が毛布などを敷いて屯している。
もちろんトイレも無いので”青空トイレ”である。
見学は”キジル千仏洞”で申し込み
日本語ガイドも一緒にバスに同乗して連れてきた。
No11窟、27窟、30、32窟などを見学した。
30,32窟側
11,27窟側
車窓で見かけて民家
結構きれいなオートバイが見える
バザール前のバス乗り場
クチャのバスは結構乗車率が高くほぼ満員状態のバスが走っている。
今回の旅行を火曜日出発とした一つの要因が
ここクチャの金曜日のバザールを見学する為であった。
パスポートや余分な荷物は”信頼できる運転手”さんが乗っているバスの中に残し
必要額のみの現金、カメラなどを持ってバザール見物に行った。
至る所で新鮮で美味しくて安い果物類を売っている。
それから,気がついた事だけど、衣類売り店よりも圧倒的に履物売り店が多い事である
彼らは日本人よりも遥かに多く歩くのだろう。
中古のミシンで商売するのか?売るのにしたらたった一台のみだが?
色んな果物が有るが時に、ざくろが大きくて美味しかった。
北京時間の18時過ぎだがまだ明るい
実は現地の住民は”新疆時間”があってこちらは北京時間と二時間の時差である。
我々は北京時間で行動しているので朝など8:00でもまだ外は暗い。
明日の朝はAm2:51クチャ発の南疆鉄道でいよいよ「カシュガル」までの旅だ
ここコルラ(庫爾勒)は中国の国内石油開発の一大掘拠点で近代ビルが立ち並ぶ大きな都市である。
前夜のトランク騒動で1時過ぎにチェックインしたホテルでAm8:00にレストランのバイキングの朝食をとった。
今日は専用バスで天山南路をクチャまで移動する。
現地の運転手の話によると、先日この道路で大きな交通事故が発生しており、
スピードの取締りが厳しくなっていた所要時間がおよそ5時間位だろうと云っていた。
8:40にホテルを出発し天山山脈の岩山を右手に眺め麓の石油掘削設備、綿花畑、を観ながら
標高1000m位の高地の一本道をクチャ(庫車)まで移動した。
途中トイレタイムを取りながらpm1:00過ぎにクチャ賓館に着き先ずはホテルのレストランでの中華昼食をとり、
部屋に荷物を置いてクチャ観光に出発した
石油基地のコルラではホテルの名前も「タリム石油大厦」と四ッ星ホテルも石油が着いている
ホテル周辺は植栽も多く緑がある。
専用バスで右手に天山山脈と石油発掘設備などを眺めながら
天山南路をクチャに向けて走って行った。
先日の事故現場も過ぎて車の速度もやや上がったが、前方には何も見えない
一本道が続く。
緑がある地域には村が有る。
彼らは交通手段は徒歩、ロバ、自転車
中でもオートバイは人気の乗り物らしい
ここ新疆地区は石炭の埋蔵量が豊富で村人達は天山山脈の山裾から石炭を掘り出し
自宅の庭先で選別して業者に売るそうだ。
添乗員の話によるとトン当たり7,000~8,000円位で売れ、貴重な現金収入源らしい。
その他綿花も取り入れ真っ最中だった。
綿花畑などを通り過ぎて、やっとクチャの料金所までたどり着いた
料金所手前のトイレの休憩所で地区の老人夫妻が孫の相手をしながら
新鮮な果物を売っていた。
1kg2元だと指を2本指している
買って食べたが、種無し葡萄で甘くて美味しかった
高速道路のクチャの料金所
ウイグル文字が大きく書いてある
地元の運転手が薦めるウイグル族経営のイスラム料理店
昼食は宿泊ホテル内の「クチャ飯店」で中華料理を食べた。
その後スバシ遺跡などの見学に出かけた。
砂漠の中のスバシ古城の甲板、入場料が25元だった。
一世紀ごろに創建されていた、亀滋国の仏教寺院の跡だそうだ。
ここも砂岩なので侵食と破壊で洞窟の中の痛みがひどかった。
作家の井上靖氏はここまで取材に見えたらしい。
こちらも同じ
崩れかかった仏塔跡
ウイグル族の移動手段
耕運機の前部(エンジン)に荷車を取り付けた運搬車だ
これで綿花やトウモロコシなどを運搬している
バスの変わりもしている様でこれで14~17,8人位乗っているかな?
陽気に我々観光客に手を振っている
ホテルにチェックイン後クチャの市内見物に出かけた
モラエッセンと云う。イスラムの偉い方のお墓が有るらしい。
内部は撮影禁止、女性も入場禁止らしい。
但し、他宗教の女性や観光客は入場OKだそうだ。
市内観光を終えて一旦ホテルに戻り、その後夕食に出かけた。
市内で人気のレストランで特にヌードル、シシカバヴが美味しかった。
ビールは一瓶5元だった。
夕食後同行の池田氏と市内の散策に出かけた。
ホテルの売店の店員に”何処が見物に良いか?”尋ねたら
”言葉も判らない外人が夜で歩くのは危険だ!”と注意された。
でも少しだけだからと、2人で出かけた。
イスラム教のラマダン(明るい内は断食中)の季節なので、
日暮れになると繁華街に一斉に出てきて食事や遊びを楽しむ人々で街は賑わっていた。
途中で新鮮なリンゴを一ッ個ずつ買ってかじりながら中心街まで歩いた。
往復で約一時間半の散歩を楽しんだ。
ここのホテルは連泊なので明日の朝はゆっくり出来る。
4日目の様子はこちらにUPしている
シルクロードの旅2日目は
ホテル発8:00で専用バスでトルファン観光の後
南疆鉄道で今夜の宿泊地コルラまでの強行軍の旅である
ここトルファンは標高マイナス50~154mの低地である。
年間の雨量は160mmと非常に少なく、それに対し蒸発量は年間3000mmにも上るそうだ。
石炭や石油の産地で、中でも風力発電設備はアジアで最大の規模らしい。
又、車窓の至る所にブドウ畑が観られ特に干し葡萄が有名で美味しいそうだ。
今日の観光地「ベセクリク千仏洞」や天山山脈で孫悟空の話に出てくる”火焔山”などを観光して、
15:23分発の南疆鉄道で約7時間の汽車の旅で在る。
この鉄道は-154m地点から約3000m迄登り一気にコルラ迄下っていく鉄道である
専用バスで高速道を走り車窓に天山山脈や風力発電設備などを眺めながらの
ベセグリク千仏洞までのバスの旅である
ここの風力発電設備はアジアで最大の規模と説明していた。
規模としては以前観たカリフォルニア州の方が大きいような気がした
正面から昇る朝日とのコントラストがすばらしい眺めである
車窓の左側、天山山脈の麓では至る所で石油の採掘が行なわれている。
途中何回かのトイレ休憩を挟んでの飽きるほど続く荒地地帯を火焔山へ向かった
火炎山の休憩所では他のグループも休憩していた。
火炎山山脈は最も高い所でも800m位しかないらしい。
西遊記に登場した事で有名だ。
侵食された山肌が時間によっては炎の様に真っ赤に見えるらしい。
これらの山脈は鉱物や、塩分の含有量が多くて植物が育たず、
何世紀も禿山の状態が続いているそうだ。
日本通のガイドの楊さんが”ウルムチ富士”だと教えてくれた。
西洋人などの観光客にはどう説明しているのだろうか?
ベゼクリク千仏洞の案内板
ウイグル語が主でわずかに簡体字の表記が有る。
観光客相手のラクダ
アジアのラクダは二つコブでアフリカのラクダはひとつコブだそうだ。
ベゼクリク千仏洞
ベゼクリクとはウイグル語で”美しい家”と云う意味らしい。
4世紀から14世紀にかけて作られたそうだが、イスラム教徒に破壊されたり、
ヨーロッパ人に持ち去られたり、
文化大革命で壊されたりして、ひどい傷み様だ。
第20窟、27,31,39窟などを見学した。
立像等は総て持ち去られ、壁には、ドイツ人が削ったナイフの後が残っている。
石窟の見学を終えて引き返し、途中”ぶどう園”農家の庭の葡萄の木の下で昼食をとった。
干し葡萄やナンをつまみながらの”ポロ””ヌードル””シシカバヴ”を庭先で焼いて出してくれる。
昨夜のポロやシシカバヴより遥かに美味しかった。
ここではビールも冷えたのが飲めた。
農家のお嫁さん達が料理をしてくれる
これは食事後の帰りに写した写真
この農家は両親と子供が7人、それに、お嫁さんや孫を含めて13人家族だそうだ。
少数民族のウイグル族では一人っ子政策は除外されているらしい
ここの4男がウルムチ大学で日本語を勉強したらしく、
上手な日本語で色々説明してくれた。
本命(?)の土産の”干し葡萄売り”が四男の説明で始まった。
味見も、美味しかったし、昼食も美味しかった。
それに途中のドライブインで買い物をした位で、まだ、本格的な土産は買っていない。
懐は暖かい!!!事も有って、可也値切ったがそれでも後でバザールなどの
干し葡萄の値段と比べればベラボーな値段で買わされていた。
この後もそうだが全体に日本語の上手な売り手には高く買わされていた様だ。
帰りに庭先に四男の”ヤマハ”の新しいオートバイが置いてあったが、
こう商売が上手なら15万円の新車のオートバイも買えるはずだ。
マァ!昼食もビールも美味しかったので、全体では良かったのかも???
トルファン(吐魯蕃)駅から15:23発の南疆鉄道の”軟座寝台車”に乗った。
23両編成で軟座は4人がワンボックスで上下2段のベッドである。
約7時間の長旅である。
天山山脈を右手に眺め、羊の放牧風景などを眺めながら、今夜の夕食はこの列車の食堂車で採った。
20:30頃外が暗くなったのでベッドで転寝をする。
この間にこの鉄道の最高地点(3000m位)と雪山の天山山脈を過ぎて
一気にコルラ駅に着いた。
列車は今夜の宿泊地コルラ(庫爾勒)駅に23:02に着いた。
朝ホテルを出る時に荷物のトランクはポーターさんに駅に運んでもらい、
列車に積んで貰って、コルラ駅の手荷物受取所での受け渡しになっていた。
処がいくら待っても荷物が来ない。
張さんが手荷物受け渡しの担当者に掛け合っても埒が明かないらしい。
たまりかねた張さんが駅員に掛け合ってホームまで上がって見ると
トランクは確かに駅のホームに降ろされているが、
ホームから貨物受け渡し所までの運搬人が二人しかいなく、
しかも二つの列車がほぼ同時に着き荷物が多過ぎて運ぶのに時間がかかるらしい。
受け渡しの担当者はそんな事は自分の任務で無いので手伝う事などしない。
約1時間半かかって荷物を受け取り、
Am1時半にホテルに着いた。
3日目の様子はこちらにUPしている
待望のシルクロードへの旅の始まり
福岡空港国際線乗り場に8:20に到着し
中国東方航空機10:00発の上海浦東空港行きに一行18名が乗込んだ。
飛行時間およそ1時間半で10:30(時差がー1:00時間)に国際線用の上海浦東空港に到着した。
入国手続きを済ませ、
今回のスルーガイド張心義氏の出迎えを受けて
渋滞の中を上海虹橋空港へ専用バスで移動した。
ここから約5時間の飛行時間で
今夜の宿泊地ウルムチ(烏魯木斉)空港へ長時間の空の旅。
ウルムチのことはこちらにもUPされている。
福岡国際空港の上海行き「中国東方航空機」
新空港の上海浦東空港から市内行きの高速道路
渋滞の上海市内の通過に時間がかかり約1時間半掛かった
上海虹橋空港を定刻の14:15分発のウルムチ行き「中国南方航空機」で約5時間の飛行でウルムチ着だ。
早朝に自宅を出て空港で食事をする予定だったが、チャンスを無くし腹ペコの時間に戴く
機内食、羊肉の辛口カレーが美味しいかった。
雪を戴き夕日に輝く天山山脈
5時間の飛行を終えて19:30ウルムチ空港に着いた。
現地案内人の「楊」氏の出迎えで今夜の宿泊地「新疆海徳酒店」に着いた。
ウルムチで一番のホテルで場所も市内の人民広場の正面にあった。
広場では市民が流行の社交ダンスを楽しんでいた。
新疆ウイグル自治区は人口約2,000万人位でイスラム教のウイグル族が約70%で、
カザフ族、キルギス族、タジク族が生活しているそうだ。
海抜900m位で年間の降水量も400mと非常に少ない。
市内の標識もウイグル語と北京語の併記である。
ホテルに荷物を置いて今夜の夕食はウイグル族の精進料理だ。
「ポロ」と言う羊肉のチャーハンと、同じく羊肉のシシカバブがメインだ。
トルファンの羊は匂いが無く美味しい。
イスラム教の為食事時間にアルコールはダメだそうだ。
初めて食べた新疆名物の「ハミウリ」日本のメロンの方が美味しく感じた
ホテルのロビー
ホテルの戻って21:00からホテル周辺を散策した。
人民広場の周りは明るいが少し離れると
結構暗い通りだったが人通りは多かった。
治安の面も考えて約1時間の散歩でホテルに戻った
23:00就寝。
夜に”凄いいびき”をかくらしいので、今回の旅行の7泊は総て
一人部屋にした。
7泊で追加料金は18000円と格安である。
2日目の様子はこちらにUPしている。
新疆ウイグル自治区のウルムチ、カシュガル、西安などに7泊8日の旅行に出かける。
今回のメンバーは総勢18名で、長年の中国旅行で、中国の旅行社とも懇意にされているらしいリーダーの案内で
南京市の中国旅行社との直接交渉で案内してもらう事になっている。
添付の旅行日程のように上海経由で初日にウルムチ迄行き、その後、専用車、鉄道、飛行機を乗り継いでの8日間の旅行である。
砂漠地帯や天山山脈越えで標高もマイナス50mや2000m級の山越えなどがあるらしい。
我らのソフトバンクホークスも予定どうりに第1ステージを勝ち抜き札幌経由でヤフードームに戻って来て、
旅行から帰ってきた日には日本シリーズに向けて気合が入っている事だろう。
福岡国際空港から上海に行きそこで中国南方航空で一挙にウルムチ迄行く
赤丸が宿泊日数。
4日目はクチャから寝台車でカシュガルまでの移動で車窓からの風景素晴しいらしいそうだ。
8日目は成都出身の北九州大学で日本語を勉強された孫さんとの再会で楽しい昼食会を準備してくれているらしい。
再開が楽しみだ。