思い返せば、内閣官房長官時代の菅義偉の答弁も記者からの質問と答えが全く折り合わないケースが多
かったが、次の加藤勝信官房長官もなかなかルーズでいい加減な答弁で早くも矛盾だらけになってます。
菅義偉の“批判には当たらない”“問題は無いと認識している”などなど倫理観が無く言語体系から外
れたコメントは菅義偉が自らの脳に錯覚を起させ精神的な圧力から逃れる為の手段だったと思われる。
つまりは菅義偉には政治に対する信念が無く何を言っても馬耳東風だった。 そんな菅義偉も総理大臣
になり靖国神社の秋季例大祭に「内閣総理大臣 菅義偉」名で「真榊」を奉納した。 加藤官房長官は
「私人としての行動」として信教の自由を主張していたが、 総理大臣で公人たる者はその職務以外の
私生活に置いても制限される部分は大いにあると考えるのは普通だと思う。 しかし参拝するよりも真
榊奉納は関係性の程度は低い。にも拘らず一言物申されるのは菅義偉が軽く見られているのだろう。
まずはコロナ対策と言っておきながら国会を召集する前に外遊に出てしまう緊張感の無さは感受性に乏し
い老害気質にコロナ禍中に“お前がGoToトラベルをしてどうするつもりだ。”と国民から総ツッコミ状態だ。
この低次元の失態が毎度の様に日常的に起こるガースー現象には中毒性があり今年流行ったツィッターの
漫画“100日後に死ぬワニ”と同様に最後のクライマックスの死(政権が終わる)が理由が最大のテーマとなる。
そしてどのようにして死ぬ(政権が終わる)かが今の菅義偉政権の本質であり、陰湿さ、低学歴、老害、田舎者、
建設売国奴などの菅義偉に対する嫌悪感をカタルシスさせることに興味が沸くようです。 因みに菅義偉内閣
が発足した9月16日から100日後は12月25日のクリスマスでした。
クリスマスのイルミネーションを皆で見に行って・・・・