をとこもすなる

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チェ とつぶやいてみる。

2009年01月15日 | Weblog

“チェ 28歳の革命”を見にアリオ川口のMOVIXに。平日20時40分からのレイトショー。いつものごとく空いているだろうなぁと思ったらレイトショーの割にはお客さんも多くて20人くらいいました。いつもなら平日のこの時間、多くても7~8人なんですが。

チェ・ゲバラの名前を初めて知ったのは中学一年の時。たまたま手にした三好徹の「チェ・ゲバラ伝」という文庫本だったと思います。表紙の写真と“チェ・ゲバラ”という変わった名前に興味がわいただけなんだろうなぁ。内容はほとんど覚えていませんが、最後のゲバラが処刑される場面だけは記憶に残っています。「なるべく苦痛を与えるために下半身を狙って撃った」・・・確かこんな記述で中学生にはちょっとショッキングですね。それにしてもませたガキです。
ゲバラについて知っていることは革命家、政治家で来日している、くらいだったかなぁ。
10年くらい前にゲバラの遺骨がボリビアで発見されたニュースを見て再び興味を持ちちょっと調べたけど、それっきり。5年くらい前に映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」は見たけど、ゲバラの肖像画のTシャツは買わなかったし。だって恥ずかしいでしょ、あのTシャツ(笑)

久々に僕の前に出てきたチェ・ゲバラ。映画は1964年のニューヨーク国連総会と1956~59年のキューバ開放までの戦闘シーンを行ったり来たりするのですが飽きずに見ることができました。
“祖国か死か”とか“武装闘争こそが正義”とか今の僕にはそのままストレートに受け入れられない言葉なんだけど・・・しかし考えてみれば現在ガザ地区でおこなわれているイスラエルとハマスの戦いも同じなんですよね。イデオロギーと宗教との違いはあるとはいえ。

派手な戦争活劇ではありません。チェ・ゲバラという革命家をスーパーヒーローに仕立てた映画でもありませんでした。監督のソダーバーグは第二部となる“チェ 39歳 別れの手紙”をメインで考えていたようです。ボリビアでの革命の失敗と死。それを撮るためにはどうしてもキューバ革命に成功したゲバラを撮らなくてはならなかった。映画のラスト。ゲバラのボリビア行きを暗示するシーンが出てきます。
あぁ、やっぱり第二部も見てしまうだろうなぁ。

ゲバラは若くして亡くなり今だ輝き、カストロは今でも存命してしかし醜くなってしまう。これが人間なんだなぁ。
コメント (4)
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