【悪行は自分を一番傷つける】5755
北川八郎氏の心に響く言葉より…
《釈尊はいう 身体によって悪行を行ない、ことばによって悪行を行ない、心によって悪行を行なう人々がいる。
彼らにとっては自己は愛(いと)しからぬ者である。》
なぜ他人になした悪業なのにお釈迦さまは、自己が愛しくないからだろうというのか。
それは自分が投げた心、なした行為、吐いたことばは・・・。
投げた者のところにすべて返ってくるという法則をいっている。
人は怒りにある時、また、自分の非を指適された時、身体によって、悪行を行ない、 同時にことばによって、悪の思いを投げつける。
釈尊のいう、「自己は愛しくないのだろう」というのは、その行為によって、一番傷つくのは、悪しき行為をした者であり、悪口を人に投げつけた者であることをいっている。
すべて発したことばは、最初に自分の耳に入る。
また毎日のようにことばによって人を傷つける人は、相手が変わっても、自分の耳は交代せず、耳から、毎日、直接、 心へのパイプを通して、悪しきことば、悪しき感情悪しきエネルギーが、身体と心の奥に流し込まれる。
それはセメントよりも重く、とけた鉄のように流れ込んでは、固く、固まり、あなたを苦しめる。
どんな人も、どんな時でも、どんな頑強な体でもその悪しき鉄のような固まりの勢いには勝てない。
どんな巨大なダムであろうと、たまりたまった大量の雨水には、ひとたまりもないように、私たちをおびやかす。
善行は、雨と嵐を鎮める、青空である。
やさしき心は花を咲かせ実を熟れさす太陽である。
だから、自己が愛しいならば、今世、気づいた時から、怒らず、人から貪(むさぼ)らず、頒(わか)ち与えて生きてゆくことを目指せ、と釈尊はいわれる。
《悪行は、己自身を一番傷つける》
『ブッダのことば「百言百話」』致知出版社
https://q.bmd.jp/91/119/2203/393
自分の口に一番近い耳は、他人の耳ではなく、自分の耳だ。
だから、自分が発した言葉は、他人の耳ではなく、まず、自分の耳に入る。
自分の言葉は、すべて自分が聞いているということだ。
他人に、文句を言ったり、怒鳴ったり、罵(ののし)ったりした言葉は、実は、自分が一番よく聞いている。
聞いた言葉は、自分の心に澱(おり)のように、たまっていく。
そして、同様に、自分の行動も、自分の目が一番よく見ている。
自分がなした、善行(ぜんこう)も、悪行(あくぎょう)も。
「親切」な行為も、「冷淡」で「意地悪」な行為も。
そして、自分の「笑顔」さえ、自分で見ている。
それは、自分が笑顔になれば、相手も笑顔になるからだ。
自分が「不機嫌な顔」だったら、相手も不機嫌そうな顔になる。
自分の表情や心が、相手に投影される。
「悪行は自分を一番傷つける」という言葉を胸に刻みたい。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
★新・日めくりカレンダー「ヒロさんのつぶやき」できました!
https://q.bmd.jp/91/119/2204/393
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
■メルマガの登録はこちらから
https://q.bmd.jp/91/119/2205/393
■「人の心に灯をともす」のfacebookページです♪
https://q.bmd.jp/91/119/2206/393
■【人の心に灯をともす】のブログはこちら
https://q.bmd.jp/91/119/2207/393
■X(旧ツイッター)はこちらから
https://q.bmd.jp/91/119/2208/393