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【世界が憧れた日本人の生き方】4821
天野瀬捺(せな)氏の心に響く言葉より…
《子供は厳しいしつけの下で教育される。小学校には男女ともそろって入る。ここでは読み書きと祖国の歴史の基礎が教えられる。》(ヴィルヘルム・ハイネ・画家/1853年来日)
絵画の才能が認められ、 スケッチ画家として世界各地へ遠征したヴィルヘルムは行く先々で風景や文化を描いていった。
その頃のアメリカでは、マシュー・ペリー提督が日本へ遠征をするという話題でもちきりになっていた。
これに強く興味を持ったヴィルヘルムは、ミラード・フィルモア大統領に直接、日本遠征への参加を願い出る。
時代はカメラが普及する以前のこと、遠征先の風景を描写するスケッチ画家の存在は欠かせなかったため、ヴィルヘルムの希望は見事かなえられたのである。
ヴィルヘルムは、江戸の町へと入り、あちこちを観察するなかで、寺小屋での教育風景にとりわけ強い印象を抱いている。
義務教育ではなかった当時、寺小屋での教育はまった くの個別指導であり、生徒一人ひとりのペースにあわせた主体性重視の学習指導が行われていた。
一説によると、19世紀の識字率はロンドンが30パーセント、パリが10パーセントであったのに対して、1850年頃の江戸の就学率は80%前後であったと言われている。
日本の寺子屋の特徴はその総合的な人間教育にあり、俗に言う「読み書きそろばん」に留まらず、そこに集まる人間との交流から、立ち居振る舞いや、将来人に仕える身となるのにふさわしい行動様式を学ぶことにあると言われる。
701年に制定された「大宝令」のなかには 既に教育に関する法律「学令」が存在したとされ、寺子屋教育はその伝統的継承だと推測される。
寺子屋には、幼児から中学生まで、様々な年齢の子どもたちが集まった。
ヴィル ヘルムは、バラバラな年齢層の子どもたちが熱心にそれぞれに相応の勉強をしている様子に強く興味を覚え、その場に座り込んでつぶさに観察、熱心にスケッチした。
ヴィルヘルムは45歳のとき、ドイツ帝国が成立したことを受けてドレスデンに帰郷。
以後彼は、日本での経験をまとめた『日本−土地と住民研究』の執筆に取り組み、死ぬ間際まで日本のことを世界に紹介しようと努めたのであった。
『世界が憧れた日本人の生き方』ディスカヴァー携書
https://amzn.to/3xRHAar
本書の中にあった、他の外国人たちの賛辞の言葉…
《気持ちよく挨拶する》
荷物を担いでいる人たちは、裸に近い恰好だった。
肩に竹の支柱をつけ、それにたいへん重い運搬籠を載せているので、その重みで支柱の竹筒が今にも割れそうだった。
(中略)かくも難儀な仕事をしているにもかかわらず、この人たちは常に上機嫌で、気持ちのよい挨拶をしてくれた。
(グスタフ・クライトナー ・軍人/外交官・1878年オーストリアより来日)
《礼儀作法として笑いを絶やさない》
笑いは日本人の礼儀作法の一つである。
道すがら出会う人びとはみな 気持ちがよく、顔に笑いをたやさない。
(エドモンド・コトー・ジャーナリスト/1881年フランスより来日)
《いつでも陽気である》
日本では、誰もがすっきりとして、満足そうで陽気な表情をしていて、イライラしたり、むっつりした顔には一つとして出会わなかった。
(シェラルド・オズボーン・軍人/1858年イギリスより来日)
《立場の弱い人に親切にする》
老人や盲人はまったくその子どもたちから養われる。
そして死ぬまで敬われ、孝養をつくされる。
(イザベラ・バード・紀行作家/1878年イギリスより来日)
《慎ましやかな物質的満足感で生活する》
日本人は何と自然を熟愛しているのだろう。
何と自然の美を利用することをよく知っているのだろう。
安楽で静かで幸福な生活。
大それた欲望を持たず、競争もせず、穏やかな感覚と慎しやかな物質的満足感に満ちた生活を何と上手に組み立てることを知っているのだろう。
(エミール・ギメ ・実業家/1876年フランスより来日)
《自然の循環のなかに生きる》
農民の仕事はとても大変なのに彼らは自然と格闘しているようには見えません。
彼らは、むしろ、成長しては滅びることを繰り返して永遠に再生し続ける自然界の一員であり、そしてまたこの循環のあらゆる過程を美しいものとして味わうことができる優れた感受性を持っている人たちなのです。
(キャサリン・サンソム ・外交官夫人/1928年イギリスより来日)
《教育で人格を養う》
日本のサムライは、ずいぶんと高度の教育を受けていた。
これは、この国の武家階級のみならず、ほかのすべての階層に属する者にもかなりの程度まで当てはまることである。
だがその教育は、ただ試験に合格するとか金儲けに役立つといったことを目的としたものではなく、人格を陶冶することにあった。
(ヘンリー・ダイアー ・技師/教育者・1873年イギリスより来日)
当時、日本を訪れた外国人たちの数々の賛辞。
果たして、現代の日本にこの賛辞に値する者たちが、いったい何人いるだろうか…
かつての日本にあった古きよき価値観や風習。
今一度、日本人の生き方を学び直したい。
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天野瀬捺(せな)氏の心に響く言葉より…
《子供は厳しいしつけの下で教育される。小学校には男女ともそろって入る。ここでは読み書きと祖国の歴史の基礎が教えられる。》(ヴィルヘルム・ハイネ・画家/1853年来日)
絵画の才能が認められ、 スケッチ画家として世界各地へ遠征したヴィルヘルムは行く先々で風景や文化を描いていった。
その頃のアメリカでは、マシュー・ペリー提督が日本へ遠征をするという話題でもちきりになっていた。
これに強く興味を持ったヴィルヘルムは、ミラード・フィルモア大統領に直接、日本遠征への参加を願い出る。
時代はカメラが普及する以前のこと、遠征先の風景を描写するスケッチ画家の存在は欠かせなかったため、ヴィルヘルムの希望は見事かなえられたのである。
ヴィルヘルムは、江戸の町へと入り、あちこちを観察するなかで、寺小屋での教育風景にとりわけ強い印象を抱いている。
義務教育ではなかった当時、寺小屋での教育はまった くの個別指導であり、生徒一人ひとりのペースにあわせた主体性重視の学習指導が行われていた。
一説によると、19世紀の識字率はロンドンが30パーセント、パリが10パーセントであったのに対して、1850年頃の江戸の就学率は80%前後であったと言われている。
日本の寺子屋の特徴はその総合的な人間教育にあり、俗に言う「読み書きそろばん」に留まらず、そこに集まる人間との交流から、立ち居振る舞いや、将来人に仕える身となるのにふさわしい行動様式を学ぶことにあると言われる。
701年に制定された「大宝令」のなかには 既に教育に関する法律「学令」が存在したとされ、寺子屋教育はその伝統的継承だと推測される。
寺子屋には、幼児から中学生まで、様々な年齢の子どもたちが集まった。
ヴィル ヘルムは、バラバラな年齢層の子どもたちが熱心にそれぞれに相応の勉強をしている様子に強く興味を覚え、その場に座り込んでつぶさに観察、熱心にスケッチした。
ヴィルヘルムは45歳のとき、ドイツ帝国が成立したことを受けてドレスデンに帰郷。
以後彼は、日本での経験をまとめた『日本−土地と住民研究』の執筆に取り組み、死ぬ間際まで日本のことを世界に紹介しようと努めたのであった。
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本書の中にあった、他の外国人たちの賛辞の言葉…
《気持ちよく挨拶する》
荷物を担いでいる人たちは、裸に近い恰好だった。
肩に竹の支柱をつけ、それにたいへん重い運搬籠を載せているので、その重みで支柱の竹筒が今にも割れそうだった。
(中略)かくも難儀な仕事をしているにもかかわらず、この人たちは常に上機嫌で、気持ちのよい挨拶をしてくれた。
(グスタフ・クライトナー ・軍人/外交官・1878年オーストリアより来日)
《礼儀作法として笑いを絶やさない》
笑いは日本人の礼儀作法の一つである。
道すがら出会う人びとはみな 気持ちがよく、顔に笑いをたやさない。
(エドモンド・コトー・ジャーナリスト/1881年フランスより来日)
《いつでも陽気である》
日本では、誰もがすっきりとして、満足そうで陽気な表情をしていて、イライラしたり、むっつりした顔には一つとして出会わなかった。
(シェラルド・オズボーン・軍人/1858年イギリスより来日)
《立場の弱い人に親切にする》
老人や盲人はまったくその子どもたちから養われる。
そして死ぬまで敬われ、孝養をつくされる。
(イザベラ・バード・紀行作家/1878年イギリスより来日)
《慎ましやかな物質的満足感で生活する》
日本人は何と自然を熟愛しているのだろう。
何と自然の美を利用することをよく知っているのだろう。
安楽で静かで幸福な生活。
大それた欲望を持たず、競争もせず、穏やかな感覚と慎しやかな物質的満足感に満ちた生活を何と上手に組み立てることを知っているのだろう。
(エミール・ギメ ・実業家/1876年フランスより来日)
《自然の循環のなかに生きる》
農民の仕事はとても大変なのに彼らは自然と格闘しているようには見えません。
彼らは、むしろ、成長しては滅びることを繰り返して永遠に再生し続ける自然界の一員であり、そしてまたこの循環のあらゆる過程を美しいものとして味わうことができる優れた感受性を持っている人たちなのです。
(キャサリン・サンソム ・外交官夫人/1928年イギリスより来日)
《教育で人格を養う》
日本のサムライは、ずいぶんと高度の教育を受けていた。
これは、この国の武家階級のみならず、ほかのすべての階層に属する者にもかなりの程度まで当てはまることである。
だがその教育は、ただ試験に合格するとか金儲けに役立つといったことを目的としたものではなく、人格を陶冶することにあった。
(ヘンリー・ダイアー ・技師/教育者・1873年イギリスより来日)
当時、日本を訪れた外国人たちの数々の賛辞。
果たして、現代の日本にこの賛辞に値する者たちが、いったい何人いるだろうか…
かつての日本にあった古きよき価値観や風習。
今一度、日本人の生き方を学び直したい。
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