
嬉しい楽しい幸せな役に立つ興味深い話○略して『うたしやきの話』の収集家・松本一円さん♪の愛読しているメールマガジンよりお福分けさせていただきます…(^人^)
写真は…一円さんのよき友で、神社仏閣巡り好きのHさんからいただいたプレゼントで、
ちょっと遅れてしまいましたけど『鯉(こい)のぼり』で、東京大神宮さんに揚げられていたものを撮影させていただいたものです☆☆☆
こいのぼり(鯉幟)とは元来、日本の風習で、江戸時代に武家で始まった、端午の節句である旧暦の5月5日までの梅雨の時期の雨の日に、男児の出世と健康を願って家庭の庭先で飾られた紙・布・不織布などに鯉の絵柄を描き、風をはらませてなびかせる吹流しを鯉の形に模して作ったのぼり。
皐幟(さつきのぼり)、鯉の吹き流しとも言う。
現在はグレゴリオ暦(新暦)5月5日まで飾られ、夏の季語として用いられる。飾られる季節も変わり、イメージは「晩春の晴天の日の青空にたなびくもの」となった。
但し地方によりひと月遅れのグレゴリオ暦(新暦)6月5日までの地方もある(例 静岡県の西部地区他)。
中国の正史、二十四史の一つである後漢書による故事で、黄河の急流にある竜門と呼ばれる滝を多くの魚が登ろうと試みたが鯉のみが登り切り、竜になることができたことにちなんで鯉の滝登りが立身出世の象徴となった。
本来は真鯉(黒い鯉)のみで、明治時代から真鯉(まごい)と緋鯉(ひごい)の対で揚げるようになったが、昭和時代からは家族を表すものとして子鯉(青い鯉)を添えたものが主流となった。ただし、過渡的に黒と青だけという組み合わせも見られた。
また、真鯉に赤い裸の男の子がしがみついている柄のものがあるが、これは金太郎とみられ金太郎が自分より大きい鯉を捕まえた伝説をもとにしているとみられる。
最近では緑やオレンジといった、より華やかな色の子鯉も普及してきており、所によっては女の子も含め家族全員の分の鯉を上げる家もある。暖色の子鯉の増加はそういった需要に応えてのことのようである。
さおの先に回転球やかご玉、その下に矢車を付け、五色もしくは鯉などを描いた吹流しを一番上に、以下真鯉、緋鯉、等を大きさの順に並べて揚げるのが一般的。(以上、ウィキペディアより。)
わたしたちは運がいい☆☆☆
ありがとうございます☆(-人-)☆
--------------
日本資本主義の父といわれる渋澤栄一さんのお話です。
_______
渋澤栄一が実業界で大立者となった頃、栄一のものの考え方は論語と算盤であると言われることが普通になりました。
渋澤栄一は、「自分が金儲けをしようと思ったらば、三井・三菱にも負けないくらいの金儲けは出来たであろうが、意識してその道は進まなかった。
道徳と経済を合一させる考え方(道徳経済合一説)を世に周知せしめ、合本主義を世に広めたい。
そして商業道徳の向上を図り、経済人の品位を高める。
そして市民皆平等の社会を現出せしめたいのだ」と語っています。
渋澤栄一のものの考え方を一言で表すには、この論語と算盤という言葉が分かりやすいと思います。
特に、利益が先か道徳が先かという議論については、「道徳が先である」「片手に論語・片手に算盤という心を持ってこの説を為す」という言葉が残されています。
栄一の生涯は、道徳経済合一説の推進と実行に捧げたと言ってもよいだろうと考えます。
誰でも事業を起こす時には、利益をもとにしないで義によって考える。
道義上、世のため・人のためになるかどうかという事業の是非を考えて、世のため・人のためになると思ったならば事業を興す。
利益はその次に来るものである、というように渋澤栄一は主張し、実行しました。
それがために第一国立銀行の頭取として、生涯で五百余の日本の基幹的事業を生み、発展させることが出来たのであろうと感じます。
こういう考え方が今の平成の時代に特に必要なものではないかと考えます。
_______
「陽明学のすすめV」
深澤賢治 著
明徳出版社より
_______
以下は、現在の経営の神様と呼ばれている稲盛和夫さんの言葉です。
「動機善なりや、私心なかりしか」
この言葉についての稲盛さんの解説が素晴らしいので、以下に載せておきます♪
___
「動機善なりや」。私は、企業経営をする上で、こういうことを常としています。
それは、新しい事業に展開する場合などに、「動機善なりや」ということを自らに問うのです。
何かをしようとする場合、自問自答して、自分の動機の善悪を判断するのです。
善とは、普遍的に良きことであり、普遍的とは、誰から見てもそうだということです。
自分の利益、都合、格好などだけでものごとは全うできるものではありません。
その動機が自他ともに受け入れられるものでなければならないのです。
また、仕事を進めていくに当たって、「プロセス善なりや」ということを問うています。
結果を出すために不正な行為もいとわないということでは、いつかしっぺがえしを食らうことでしょう。
実行していく過程も、人の道を外れるものであってはならないはずです。
言い換えれば、「私心なかりしか」という問いかけが必要なのです。
自分の心、自己中心的な発想で事業を進めていないかを点検するのです。
私は、動機が善であり、実行過程が善であれば、結果は問う必要はない、必ず成功すると固く信じています。
___
日本を代表する経営者の方は、やはり道徳、論語、善といった、人としての部分を大切にしていらっしゃるのですね♪
論語と算盤、学んでいきます!!
___
今日も最後まで読んで頂きありがとうございます。
心より感謝します。
__________
このメルマガは、
転送、掲載、オッケーですヽ(^◇^*)/
朝礼や、飲み会の席で・・・
友人や家族の会話で・・・
どんどん話しちゃって下さいv(^_^v)♪
下記のアドレスに空メールを送ると登録できるよ~って教えて下さると嬉しいです(^_^)v
00526431s@merumo.ne.jp
ブログやメルマガ、フェイスブック等のネタとして使う場合、以下のような文を入れて頂ければ、断りは要りません (v^-^v)
「この話は、メルマガ”魂が震える話”で紹介されていました。
00526431s@merumo.ne.jp
に空メールを送ると登録できますよ♪」
よろしくお願いします<(_ _)>
__________
「魂が震える話」
発行人:けい
and-kei@hotmail.co.jp
配信元:メルモ byGMO
http://merumo.ne.jp/
スマートフォンの方はこちら
http://cgi.merumo.ne.jp/reader/subsc_change.do
写真は…一円さんのよき友で、神社仏閣巡り好きのHさんからいただいたプレゼントで、
ちょっと遅れてしまいましたけど『鯉(こい)のぼり』で、東京大神宮さんに揚げられていたものを撮影させていただいたものです☆☆☆
こいのぼり(鯉幟)とは元来、日本の風習で、江戸時代に武家で始まった、端午の節句である旧暦の5月5日までの梅雨の時期の雨の日に、男児の出世と健康を願って家庭の庭先で飾られた紙・布・不織布などに鯉の絵柄を描き、風をはらませてなびかせる吹流しを鯉の形に模して作ったのぼり。
皐幟(さつきのぼり)、鯉の吹き流しとも言う。
現在はグレゴリオ暦(新暦)5月5日まで飾られ、夏の季語として用いられる。飾られる季節も変わり、イメージは「晩春の晴天の日の青空にたなびくもの」となった。
但し地方によりひと月遅れのグレゴリオ暦(新暦)6月5日までの地方もある(例 静岡県の西部地区他)。
中国の正史、二十四史の一つである後漢書による故事で、黄河の急流にある竜門と呼ばれる滝を多くの魚が登ろうと試みたが鯉のみが登り切り、竜になることができたことにちなんで鯉の滝登りが立身出世の象徴となった。
本来は真鯉(黒い鯉)のみで、明治時代から真鯉(まごい)と緋鯉(ひごい)の対で揚げるようになったが、昭和時代からは家族を表すものとして子鯉(青い鯉)を添えたものが主流となった。ただし、過渡的に黒と青だけという組み合わせも見られた。
また、真鯉に赤い裸の男の子がしがみついている柄のものがあるが、これは金太郎とみられ金太郎が自分より大きい鯉を捕まえた伝説をもとにしているとみられる。
最近では緑やオレンジといった、より華やかな色の子鯉も普及してきており、所によっては女の子も含め家族全員の分の鯉を上げる家もある。暖色の子鯉の増加はそういった需要に応えてのことのようである。
さおの先に回転球やかご玉、その下に矢車を付け、五色もしくは鯉などを描いた吹流しを一番上に、以下真鯉、緋鯉、等を大きさの順に並べて揚げるのが一般的。(以上、ウィキペディアより。)
わたしたちは運がいい☆☆☆
ありがとうございます☆(-人-)☆
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日本資本主義の父といわれる渋澤栄一さんのお話です。
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渋澤栄一が実業界で大立者となった頃、栄一のものの考え方は論語と算盤であると言われることが普通になりました。
渋澤栄一は、「自分が金儲けをしようと思ったらば、三井・三菱にも負けないくらいの金儲けは出来たであろうが、意識してその道は進まなかった。
道徳と経済を合一させる考え方(道徳経済合一説)を世に周知せしめ、合本主義を世に広めたい。
そして商業道徳の向上を図り、経済人の品位を高める。
そして市民皆平等の社会を現出せしめたいのだ」と語っています。
渋澤栄一のものの考え方を一言で表すには、この論語と算盤という言葉が分かりやすいと思います。
特に、利益が先か道徳が先かという議論については、「道徳が先である」「片手に論語・片手に算盤という心を持ってこの説を為す」という言葉が残されています。
栄一の生涯は、道徳経済合一説の推進と実行に捧げたと言ってもよいだろうと考えます。
誰でも事業を起こす時には、利益をもとにしないで義によって考える。
道義上、世のため・人のためになるかどうかという事業の是非を考えて、世のため・人のためになると思ったならば事業を興す。
利益はその次に来るものである、というように渋澤栄一は主張し、実行しました。
それがために第一国立銀行の頭取として、生涯で五百余の日本の基幹的事業を生み、発展させることが出来たのであろうと感じます。
こういう考え方が今の平成の時代に特に必要なものではないかと考えます。
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「陽明学のすすめV」
深澤賢治 著
明徳出版社より
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以下は、現在の経営の神様と呼ばれている稲盛和夫さんの言葉です。
「動機善なりや、私心なかりしか」
この言葉についての稲盛さんの解説が素晴らしいので、以下に載せておきます♪
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「動機善なりや」。私は、企業経営をする上で、こういうことを常としています。
それは、新しい事業に展開する場合などに、「動機善なりや」ということを自らに問うのです。
何かをしようとする場合、自問自答して、自分の動機の善悪を判断するのです。
善とは、普遍的に良きことであり、普遍的とは、誰から見てもそうだということです。
自分の利益、都合、格好などだけでものごとは全うできるものではありません。
その動機が自他ともに受け入れられるものでなければならないのです。
また、仕事を進めていくに当たって、「プロセス善なりや」ということを問うています。
結果を出すために不正な行為もいとわないということでは、いつかしっぺがえしを食らうことでしょう。
実行していく過程も、人の道を外れるものであってはならないはずです。
言い換えれば、「私心なかりしか」という問いかけが必要なのです。
自分の心、自己中心的な発想で事業を進めていないかを点検するのです。
私は、動機が善であり、実行過程が善であれば、結果は問う必要はない、必ず成功すると固く信じています。
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日本を代表する経営者の方は、やはり道徳、論語、善といった、人としての部分を大切にしていらっしゃるのですね♪
論語と算盤、学んでいきます!!
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今日も最後まで読んで頂きありがとうございます。
心より感謝します。
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朝礼や、飲み会の席で・・・
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