
【水のように生きる】5572
医学博士、鴨下一郎氏の心に響く言葉より…
「水のように生きる」とは、古代中国の思想家、老子の言葉です。
水は、高いほうから低いほうへと流れていきます。
人間も、自然の摂理に任せて生きていくべきで、無理に摂理に逆らうようなことをしたら、かえって不幸を生み出すというのが老子の教えです。
「腹を立てない」という意味でも、この老子の考え方には学ぶべき点があると思います。
人生には運、不運がありますが、不運に見舞われたとき、どう考えるかがむずかしいのです。
ここで不運に無理に逆らって、人生をいい方向へ上向かせようとしても、そう上手くはいきません。
不運もまた、自然の摂理なのですから。不運なときも腹を立てずに、おだやかに生きていく、というのが老子の考え方です。
また水は、丸い器に入るときには丸くなり、四角い入れ物に入ったときには四角くなります。
無理をして自己主張するのではなく、相手に合せていくのも、おだやかに生きていくコツだ、とも老子は教えています。
水は、自然の摂理に、腹を立てて逆らいはしません。
器に逆らうこともしません。
しかし生命の源として、万物に恩恵を施します。
そのような生き方をしたいものです。
《人生の「運、不運」に逆らわない》
『「機嫌のいい人」に人は集まる』新講社ワイド新書
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「上善(じょうぜん)は水の如し」(老子)
次の言葉が続く…
「水は善く万物を利して争わず
衆人の悪(にく)む所に処(お)る
故に道に近し」
理想の生き方は、水のようであるべきだ。
水は万物をうるおし、利や得を与えているが、だからと言って自己主張することもなく、下座(げざ)に身をおいて泰然としている。
だからこそ、道を究めた、こだわらない生き方だと言える。
流れに逆らわないこと、謙虚で柔軟であること。
ものごとに執着しないこと、威張らず偉そうにしないこと。
しかしながら、水は普段は静かだがとてつもないパワーを持っている。
急流での水のパワー、豪雨や、津波の力…。
「下座行(げざぎょう)」について森信三先生はこう語っている。(修身教授録)より
『「下座行」というのは、一体どういうことかと申しますと、自分を人よりも一段と低い位置に身を置くことです。
言い換えれば、その人の真の値打ちよりも、二、三段下がった位置に身を置いて、しかもそれが「行」と言われる以上、いわゆる落伍者というのではなくて、その地位に安んじて、わが身の修養に励むことを言うのです。
そしてそれによって、自分の傲慢心が打ち砕かれるわけです。
すなわち、身はその人の実力以下の地位にありながら、これに対して不平不満の色を人に示さず、真面目にその仕事に精励する態度を言うわけです。』
「水のように生きる」を胸に刻みたい。
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「水のように生きる」とは、古代中国の思想家、老子の言葉です。
水は、高いほうから低いほうへと流れていきます。
人間も、自然の摂理に任せて生きていくべきで、無理に摂理に逆らうようなことをしたら、かえって不幸を生み出すというのが老子の教えです。
「腹を立てない」という意味でも、この老子の考え方には学ぶべき点があると思います。
人生には運、不運がありますが、不運に見舞われたとき、どう考えるかがむずかしいのです。
ここで不運に無理に逆らって、人生をいい方向へ上向かせようとしても、そう上手くはいきません。
不運もまた、自然の摂理なのですから。不運なときも腹を立てずに、おだやかに生きていく、というのが老子の考え方です。
また水は、丸い器に入るときには丸くなり、四角い入れ物に入ったときには四角くなります。
無理をして自己主張するのではなく、相手に合せていくのも、おだやかに生きていくコツだ、とも老子は教えています。
水は、自然の摂理に、腹を立てて逆らいはしません。
器に逆らうこともしません。
しかし生命の源として、万物に恩恵を施します。
そのような生き方をしたいものです。
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「上善(じょうぜん)は水の如し」(老子)
次の言葉が続く…
「水は善く万物を利して争わず
衆人の悪(にく)む所に処(お)る
故に道に近し」
理想の生き方は、水のようであるべきだ。
水は万物をうるおし、利や得を与えているが、だからと言って自己主張することもなく、下座(げざ)に身をおいて泰然としている。
だからこそ、道を究めた、こだわらない生き方だと言える。
流れに逆らわないこと、謙虚で柔軟であること。
ものごとに執着しないこと、威張らず偉そうにしないこと。
しかしながら、水は普段は静かだがとてつもないパワーを持っている。
急流での水のパワー、豪雨や、津波の力…。
「下座行(げざぎょう)」について森信三先生はこう語っている。(修身教授録)より
『「下座行」というのは、一体どういうことかと申しますと、自分を人よりも一段と低い位置に身を置くことです。
言い換えれば、その人の真の値打ちよりも、二、三段下がった位置に身を置いて、しかもそれが「行」と言われる以上、いわゆる落伍者というのではなくて、その地位に安んじて、わが身の修養に励むことを言うのです。
そしてそれによって、自分の傲慢心が打ち砕かれるわけです。
すなわち、身はその人の実力以下の地位にありながら、これに対して不平不満の色を人に示さず、真面目にその仕事に精励する態度を言うわけです。』
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