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【しゃべらないで黙ること】5483
林健太郎氏の心に響く言葉より…
ディズニー映画の『バンビ』の中では、ウサギのタンパー(日本での名は「とんすけ」) が父親から言われていた「ある教え」が登場します。
「ナイスなことが言えないなら、何も言うんじゃない」 いわゆる、「沈黙は金」です。
「沈黙は金」が意味することは、「沈黙は多くを語る以上の価値がある」というもの。
まさにそのとおりなのです。
一見、「しゃべらないで黙るだけ」ですから、簡単そうに思えますが、なかなかどうして、これが難しい。
プロのコーチであっても、黙ってクライアントの言葉に耳を傾 けることができず、つい自分ばかりがしゃべり続けてしまう人がいるほどです。
私がコーチングを学んだときも、口を酸っぱくして何度も教えられたことがあります。
それは、「なぜ今、あなたがしゃべっているのか? 常にその問いを自分に立てなさい」 というものでした。
「今は本当に、自分がしゃべるタイミングなのか?」 「自分がしゃべりたい衝動に負けてしゃべっているだけではないか?」 それを肝に銘じておけというわけです。
言い方を変えれば、 「しゃべりたい」という欲求と、 「実際にしゃべる」という行動をきっちりと分けて、冷静に判断しなさいということ。
私はよく、この「しゃべりたい」という欲求を「万引き」に例えます。
「しゃべりたいという衝動にかられて、つい、しゃべってしまう」ことはあっても、あなたが「ほしいという欲求にかられて、つい万引きをしてしまう」なんてことはないはずです。
それは、「万引き」は犯罪なので、「欲求」と「行動」が、きっちりと分けられていて、 「やってはいけない」と刷り込まれているからです。
ですから、「ついしゃべって、相手を否定してしまうこと」も、万引きと同じ考え方で「やってはいけないこと」として、欲求と行動を分けてほしいのです。
「否定したい」=「否定する」ではなく、「大人の分別」を持って、「まず黙りましょう」ということです。
『否定しない習慣』フォレスト出版
https://amzn.to/45cf4iw
本書の中にこんな文章があった。
『まず、黙って相手の言葉に耳を傾けることができたら、大原則として、「相手が話し終わるまで黙ったまま」でいましょう。
途中で、何度も話をさえぎりたくなるかもしれません。
ここが我慢のしどころ。
相手の言葉をさえぎってしまったら元の木阿弥です。
話をさえぎった時点で、それはもう、立派な「否定」だと思ってください。
そして、次のステップ。
相手が言いたいことを話し終わったなと思ったら、そこから、最低約2秒は沈黙を続けてください。
頭の中で「い〜ち、に〜い」とカウントしてもいいでしょう。
どうしてこれが必要かというと、話したい衝動を抑えていると、相手の話が終わるのを、今か今かと待ちわびて、話が終わったとみるや、食い気味に言葉を発信してしまう傾向にあるからです。
そして、そうやって発した言葉は、否定になりやすい。
そんな会話の場面。
心あたりがありませんか。』
相手の話をさえぎって、自分が話し始めてしまったら、それは相手を否定しているのと同じこと。
どんなに長い間がまんして聞いていたとしても、それをさえぎった途端に今までの苦労はすべて元の木阿弥(もくあみ)。
相手の話をさえぎらず…
「しゃべらないで黙ること」を胸に刻みたい。
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林健太郎氏の心に響く言葉より…
ディズニー映画の『バンビ』の中では、ウサギのタンパー(日本での名は「とんすけ」) が父親から言われていた「ある教え」が登場します。
「ナイスなことが言えないなら、何も言うんじゃない」 いわゆる、「沈黙は金」です。
「沈黙は金」が意味することは、「沈黙は多くを語る以上の価値がある」というもの。
まさにそのとおりなのです。
一見、「しゃべらないで黙るだけ」ですから、簡単そうに思えますが、なかなかどうして、これが難しい。
プロのコーチであっても、黙ってクライアントの言葉に耳を傾 けることができず、つい自分ばかりがしゃべり続けてしまう人がいるほどです。
私がコーチングを学んだときも、口を酸っぱくして何度も教えられたことがあります。
それは、「なぜ今、あなたがしゃべっているのか? 常にその問いを自分に立てなさい」 というものでした。
「今は本当に、自分がしゃべるタイミングなのか?」 「自分がしゃべりたい衝動に負けてしゃべっているだけではないか?」 それを肝に銘じておけというわけです。
言い方を変えれば、 「しゃべりたい」という欲求と、 「実際にしゃべる」という行動をきっちりと分けて、冷静に判断しなさいということ。
私はよく、この「しゃべりたい」という欲求を「万引き」に例えます。
「しゃべりたいという衝動にかられて、つい、しゃべってしまう」ことはあっても、あなたが「ほしいという欲求にかられて、つい万引きをしてしまう」なんてことはないはずです。
それは、「万引き」は犯罪なので、「欲求」と「行動」が、きっちりと分けられていて、 「やってはいけない」と刷り込まれているからです。
ですから、「ついしゃべって、相手を否定してしまうこと」も、万引きと同じ考え方で「やってはいけないこと」として、欲求と行動を分けてほしいのです。
「否定したい」=「否定する」ではなく、「大人の分別」を持って、「まず黙りましょう」ということです。
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本書の中にこんな文章があった。
『まず、黙って相手の言葉に耳を傾けることができたら、大原則として、「相手が話し終わるまで黙ったまま」でいましょう。
途中で、何度も話をさえぎりたくなるかもしれません。
ここが我慢のしどころ。
相手の言葉をさえぎってしまったら元の木阿弥です。
話をさえぎった時点で、それはもう、立派な「否定」だと思ってください。
そして、次のステップ。
相手が言いたいことを話し終わったなと思ったら、そこから、最低約2秒は沈黙を続けてください。
頭の中で「い〜ち、に〜い」とカウントしてもいいでしょう。
どうしてこれが必要かというと、話したい衝動を抑えていると、相手の話が終わるのを、今か今かと待ちわびて、話が終わったとみるや、食い気味に言葉を発信してしまう傾向にあるからです。
そして、そうやって発した言葉は、否定になりやすい。
そんな会話の場面。
心あたりがありませんか。』
相手の話をさえぎって、自分が話し始めてしまったら、それは相手を否定しているのと同じこと。
どんなに長い間がまんして聞いていたとしても、それをさえぎった途端に今までの苦労はすべて元の木阿弥(もくあみ)。
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