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嬉しい楽しい幸せな役に立つ興味深い話○略して『うたしやきの話』の収集家・松本一円さん♪の愛読しているメールマガジンよりお福分けさせていただきます…(^人^)
写真は…東京国際フォーラムにある相田みつを美術館で見つけた『フォーチュンクッキー』を一つ食べると出てきた相田みつをさんのメッセージ☆を撮影させていただいたものです☆(^人^)☆
ありがとう☆ありがとう☆(^人^)☆
--------------
「読書のすすめ」清水店長に教えて頂いた本「退歩を学べ」からご紹介させて頂きます。
_______
「手をうてば 鯉は餌と聞き 鳥は逃げ 女中は茶と聞く猿沢池」
ただ「ポンポン」と手を叩いただけなのだから、客観的に見ればそれだけの音波が発生しただけのことと言える。
そこで外側発想ならば、誰でもその音を同様に受け取ると思いがちだが、現実はそうではなく、
鯉は「これは餌にありつけるぞ」というわけで、音がした岸辺に近づいてくる。
ところがそれとは正反対に、鳥は「危ない!」と危険を感じて逃げてゆくし、
猿沢の池のほとりにある茶店ないしは旅館の従業員は、お客がお茶を欲しがっているのだと判断するというわけである。
それまでの体験に基づいた心のありようで、三者三様の全く違った受け取り方をするのである。
この違いは、ひとえに認識論的、すなわち内側発想の違いによるのである。
_______
「退歩を学べ」
森 政弘 著
アーユスの森新書より
http://dokusume.com/modules/store/
_______
「外界でのありようがそうだから、そう受け取る」という【外側発想】と、
「自分の心の状態がそうだから、このように受け取る」という【内側発想】とがあるそうです。
先ほどの例でいうと、「ポンポン」という音が聞こえたという事実は皆一緒ですが、
そのとらえ方、解釈のしかたは、各々の心次第だったのです。
本来はそうあるべきなのでしょうが、しかし、
現在では、ほとんどが外側発想になっていると著者の森氏はいいます。
以下の前者が内側発想、後者が外側発想で例えると、
〈見る〉じゃなく〈見える〉
〈する〉じゃなく〈なる〉
〈やる〉じゃなく〈やらされる〉
〈しちゃった〉じゃなく〈なっちゃった〉
〈落としちゃった〉じゃなく〈落ちちゃった〉
自分で落としたのに「落ちちゃった」と、あたかも何か特別な力で落ちたかのように。
自分で選んではじめた仕事のはずが、いつのまにか「やらされている」仕事に。
その考えで行くのなら、良かった出来事や上手く行ったことも、外側のお陰と言えば良いけど、
「あの上司のせいで、給料上がっちゃったよ!」
「あのクレームを言っていたお客のせいで、成長しちゃったよ!」
って、あんまり聞かない。
往々にして、良かったことは自分の手柄にしちゃいます。
「上手く行ったら外側発想(お陰さま)
上手く行かなかったら内側発想(自分の責任)」
そうありたいものです♪
今日の話が、皆様のお役に立てれば幸いですm(_ _)m
___
今日も最後まで読んで頂きありがとうございます。
心より感謝します。
__________
このメルマガは、
転送、掲載、オッケーですヽ(^◇^*)/
朝礼や、飲み会の席で・・・
友人や家族の会話で・・・
どんどん話しちゃって下さいv(^_^v)♪
下記のアドレスに空メールを送ると登録できるよ~って教えて下さると嬉しいです(^_^)v
00526431s@merumo.ne.jp
ブログやメルマガ、フェイスブック等のネタとして使う場合、以下のような文を入れて頂ければ、断りは要りません (v^-^v)
「この話は、メルマガ”魂が震える話”で紹介されていました。
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に空メールを送ると登録できますよ♪」
よろしくお願いします<(_ _)>
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「魂が震える話」
発行人:けい
and-kei@hotmail.co.jp
配信元:メルモ byGMO
http://merumo.ne.jp/
スマートフォンの方はこちら
http://cgi.merumo.ne.jp/reader/subsc_change.do
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ありがとう☆ありがとう☆(^人^)☆
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ただ「ポンポン」と手を叩いただけなのだから、客観的に見ればそれだけの音波が発生しただけのことと言える。
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鯉は「これは餌にありつけるぞ」というわけで、音がした岸辺に近づいてくる。
ところがそれとは正反対に、鳥は「危ない!」と危険を感じて逃げてゆくし、
猿沢の池のほとりにある茶店ないしは旅館の従業員は、お客がお茶を欲しがっているのだと判断するというわけである。
それまでの体験に基づいた心のありようで、三者三様の全く違った受け取り方をするのである。
この違いは、ひとえに認識論的、すなわち内側発想の違いによるのである。
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「退歩を学べ」
森 政弘 著
アーユスの森新書より
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「外界でのありようがそうだから、そう受け取る」という【外側発想】と、
「自分の心の状態がそうだから、このように受け取る」という【内側発想】とがあるそうです。
先ほどの例でいうと、「ポンポン」という音が聞こえたという事実は皆一緒ですが、
そのとらえ方、解釈のしかたは、各々の心次第だったのです。
本来はそうあるべきなのでしょうが、しかし、
現在では、ほとんどが外側発想になっていると著者の森氏はいいます。
以下の前者が内側発想、後者が外側発想で例えると、
〈見る〉じゃなく〈見える〉
〈する〉じゃなく〈なる〉
〈やる〉じゃなく〈やらされる〉
〈しちゃった〉じゃなく〈なっちゃった〉
〈落としちゃった〉じゃなく〈落ちちゃった〉
自分で落としたのに「落ちちゃった」と、あたかも何か特別な力で落ちたかのように。
自分で選んではじめた仕事のはずが、いつのまにか「やらされている」仕事に。
その考えで行くのなら、良かった出来事や上手く行ったことも、外側のお陰と言えば良いけど、
「あの上司のせいで、給料上がっちゃったよ!」
「あのクレームを言っていたお客のせいで、成長しちゃったよ!」
って、あんまり聞かない。
往々にして、良かったことは自分の手柄にしちゃいます。
「上手く行ったら外側発想(お陰さま)
上手く行かなかったら内側発想(自分の責任)」
そうありたいものです♪
今日の話が、皆様のお役に立てれば幸いですm(_ _)m
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今日も最後まで読んで頂きありがとうございます。
心より感謝します。
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