AI (ええ愛・Atelier Ichien)

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自分はまだ学びの途上 人の心に灯をともす 5753より 写真はMさんからいただいたプレゼントです(*☻-☻*)ありがとうございますm(__)m

2025年01月18日 | 

【自分はまだ学びの途上】5753



藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…


《それ数頃(すうけい)無源の塘水(とうすい)とならんよりは、数尺有源の井水(せいすい)、生意窮(せいいきわ)まらざるものとならんには若かず》(王陽明)


広大な池の溜まり水のようであるよりも、小さくてもこんこんと湧き出る泉のような人間になれ、と陽明はいう。

生気湧出(せいきゆうしゅつ)とはこのことである。


鮮烈な記憶がある。もう随分前のことだが、石川県松任にある中川一政(かずまさ)記念美術館に入った時、一枚の条幅(じょうふく)が目に飛び込んできた。

中川氏九十歳頃の作品と記憶する。

紙幅いっぱいにあの独特の文字で、一つの言葉が繰り返し書かれていた。


「少年老い易く学成り難し」

この一語が何度も書かれ、最後は中途のまま落款が捺されていた。

自分はまだ学びの途上にある、といっているかのようだった。


この人は九十を超えてなお、少年のような心で己の画業を極め、人生を完成せんと挑んでいるのか。

小さな驚きはやがて深い感動となり、今日に続いている。

中川氏九十五歳の誕生日のスピーチがある。


「長生きしようと努力したわけではないが、気がついたら九十五になっていた。

芭蕉がその最期の時に、弟子にどれが辞世の句かと聞かれ、自分にとって一句一句辞世でなかった句はない、といっているが、私もこれからの一日一日をそういうふうに送りたいと思う」


稽古をしてはならぬ。いつも真剣勝負をしなければならぬ・・・この言葉を自戒とした人の一生は、最後まで生気湧出の人生であった。


『小さな人生論5』致知出版社
https://q.bmd.jp/91/119/2173/393





行徳哲男師は「真剣」についてこう語る。


『「真剣」と「深刻」とは違う。

悲劇の主人公のような生き方は真剣とは言わない。

真剣というのは、もっと軽いものである。

真剣になればなるほど軽くなれる。

「軽さ」の頭に「あ」をつければ「明るさ」になる。

真剣な人は「明るい人」である。

眉間に皺を寄せて深刻に生きている人は、実は一番真剣に生きていないのではないか』


「真剣に生きる」とは、気合を入れたり、眉間にシワをよせて悲壮な覚悟でやるものではない。

淡々と、飄々(ひょうひょう)と、しかも明るく続けることだ。

言葉だけが上滑りするのではなく、行動で示すことだ。


瞬間湯沸かしのごとく、そのときだけ大騒ぎしても、長く継続しなければ真剣とは言わない。

少量であっても、コンコンと湧く清水のように、毎日変化し続けること。


一日一日、一瞬一瞬を、明るく真剣に生きる・・・

「自分はまだ学びの途上」という言葉を胸に刻みたい。




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