
【 流れにまかせて生きる人生】5561
福聚寺住職、玄侑宗久氏の心に響く言葉より…
なりゆきという言葉は、普通は良い意味では使われないですけれども、仏教的な世界の認識の仕方は諸行無常です。
つねに変わり続けている。
これを和語で言うとすれば、「なりゆき」という言葉になるのではないでしょうか。
なりゆきに任せられたら、一番いいと思います。
どこに行き着くのかということもわからない。
わからないのですが、わからないところに向かって生きていくのが人生だと思います。
お釈迦様も、そうしてこられたと思うのです。
我々はわからない縁起の中の存在ですから、どう、うねっていくのかも分からない。
ただ縁起の波の、その上に立って進んでいくぞという、決然とした意志さえあればいい。
なりゆきを決然と生きるというのが、私の基本方針です。
流れというものが、あらかじめ決まっているのではないと思うのです。
川があってそこに舟があるという喩えで申し上げると、舟にとって波はどうしようもないものです。
ただ、たぶん我々の生きている、乗っている波というのはそうではなくて、我々のあり方というのも、微妙に関係していると思うのです。
だから、決然とした自分の在り方が、波を多少とも変える。
どう漕ぐかということで、波も変わるのではないでしょうか。
ですから、私は自分で漕いでいきます。
舵がとれる範囲では舵をとります。
でも、流れそのものを変えることはできないですし、どこに着くのかもわからない。
けれども、決然と主体的に漕いでいくのです。
なりゆき任せなどというと、すごくいい加減な感じがするかもしれません。
でも、なりゆきを大事に受け止めるのです。
そしてよく見つめるのです。
その方が、結果として幅広い自己の実現につながっていく。
つまりは、より安楽な世界に至ることになるのだと思うのです。
『流れにまかせて生きる』PHP
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人生の前半生は、夢や希望を追い求めることもいいが、人生の後半生は、夢や希望ではなく、流れにまかせて成り行きで生きたほうがすんなり生きられる。
それは頼まれごとの人生。
自分の意思ではなく、人から頼まれたことを淡々とこなしていくということ。
前半生の生き方により、後半生の頼まれることが変わってくる。
前半生で、自分の利益や損得を夢や目標にして生きてきた人は、後半生は頼まれごとはあまりやってこない。
地域のコミュニティにも参加せず、しゃにむに、会社一筋に生きてきたような人だ。
逆に、前半生で、まわりが幸せになることを夢や目標にしてきた人は、後半生に頼まれごとが多く来る。
地域のコミュニティにも参加しつつ、仕事をしてきたような人だ。
そして、後半生、頼まれごとがあまりやってこない人は、地域のためや人のために活動しているコミュニティに参加することだ。
参加しているうちに、多くのご縁ができ、広がっていく。
世の中はすべて移り変わり、永遠に変わらないものはないという「諸行無常」。
生があれば死もあり、それを永遠に繰り返してゆく。
だからこそ、人生の後半生はとくに…
流れにまかせて生きる人生が必要となる。
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なりゆきという言葉は、普通は良い意味では使われないですけれども、仏教的な世界の認識の仕方は諸行無常です。
つねに変わり続けている。
これを和語で言うとすれば、「なりゆき」という言葉になるのではないでしょうか。
なりゆきに任せられたら、一番いいと思います。
どこに行き着くのかということもわからない。
わからないのですが、わからないところに向かって生きていくのが人生だと思います。
お釈迦様も、そうしてこられたと思うのです。
我々はわからない縁起の中の存在ですから、どう、うねっていくのかも分からない。
ただ縁起の波の、その上に立って進んでいくぞという、決然とした意志さえあればいい。
なりゆきを決然と生きるというのが、私の基本方針です。
流れというものが、あらかじめ決まっているのではないと思うのです。
川があってそこに舟があるという喩えで申し上げると、舟にとって波はどうしようもないものです。
ただ、たぶん我々の生きている、乗っている波というのはそうではなくて、我々のあり方というのも、微妙に関係していると思うのです。
だから、決然とした自分の在り方が、波を多少とも変える。
どう漕ぐかということで、波も変わるのではないでしょうか。
ですから、私は自分で漕いでいきます。
舵がとれる範囲では舵をとります。
でも、流れそのものを変えることはできないですし、どこに着くのかもわからない。
けれども、決然と主体的に漕いでいくのです。
なりゆき任せなどというと、すごくいい加減な感じがするかもしれません。
でも、なりゆきを大事に受け止めるのです。
そしてよく見つめるのです。
その方が、結果として幅広い自己の実現につながっていく。
つまりは、より安楽な世界に至ることになるのだと思うのです。
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人生の前半生は、夢や希望を追い求めることもいいが、人生の後半生は、夢や希望ではなく、流れにまかせて成り行きで生きたほうがすんなり生きられる。
それは頼まれごとの人生。
自分の意思ではなく、人から頼まれたことを淡々とこなしていくということ。
前半生の生き方により、後半生の頼まれることが変わってくる。
前半生で、自分の利益や損得を夢や目標にして生きてきた人は、後半生は頼まれごとはあまりやってこない。
地域のコミュニティにも参加せず、しゃにむに、会社一筋に生きてきたような人だ。
逆に、前半生で、まわりが幸せになることを夢や目標にしてきた人は、後半生に頼まれごとが多く来る。
地域のコミュニティにも参加しつつ、仕事をしてきたような人だ。
そして、後半生、頼まれごとがあまりやってこない人は、地域のためや人のために活動しているコミュニティに参加することだ。
参加しているうちに、多くのご縁ができ、広がっていく。
世の中はすべて移り変わり、永遠に変わらないものはないという「諸行無常」。
生があれば死もあり、それを永遠に繰り返してゆく。
だからこそ、人生の後半生はとくに…
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