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【血眼ではなく、ゆったりとした努力を】5569
ひろさちや氏の心に響く言葉より…
小野次郎右衛門忠明といえば、江戸初期の剣術家で、小野派一刀流の祖である。
あるとき、彼のところに一人の剣客がやって来て、弟子入りを請う。
彼はある程度、基礎ができていた。
「先生、わたくしが本気で修行すれば、どれくらいで奥義(おうぎ)がきわめられますか?」
「そうだな、貴殿の腕前で本気でやれば、五年でいいだろう」 小野忠明はそう答える。
「では、寝食を忘れてやれば、どれくらいかかりますか?」
「それなら十年はかかる」
「では、命がけでやれば......?」
「命がけでやると、まあ、一生かかっても奥義に達することはできんじゃろう」
剣客はおこりだす。
そんなばかなことがあるものか・・・というわけである。
しかし、小野忠明は、これで正しいと言う。
そなたにこの道理のわからぬうちは、入門を許さぬと告げた。
剣客は、数日して、これが納得できたそうだ。
仏教語に“精進”という語がある。
「努力」の意味だ。
しかし、努力といっても、努力のしすぎは精進ではない。
血眼(ちまなこ)になってする努力はいわば執念であって、仏教は不可としている。
仏教で言う精進は、ゆったりとした努力である。
ゆったりと、そして着実な努力をつづけることを、仏教は教えているのである。
小野忠明の考えも、まさに仏教の精進なのだ。
ゆったりと学ぶことを、彼は言っている。
《血眼(ちまなこ)にではなく、ゆったり着実な努力を》
『がんばらない、がんばらない』PHP
https://amzn.to/4awLoRg
必死の努力や、血眼の努力は、見ていて苦しくなる。
「ゆっくり」や「ゆったり」という余裕がないからだ。
順天堂大学医学部教授の小林弘幸氏は、日本文化の真髄は「ゆっくり」や「ゆったり」だという。
それは、武道や茶道、華道などの日本の伝統文化の「道」にある。
たとえば、お辞儀をするときは、「残心(ざんしん)」が必要だという。
残心(ざんしん)は、武道でもよく使われる言葉だ。
残心は、技を決めた後でも、相手の反撃に対して油断をしない、気を抜かない、という心的態度であり、かまえでもある。
だから、剣道では、一本とったあとガッツポーズなどしようものなら、驕(おご)りや慢心があり、「残心なし」とみなされ、一本を取り消されることもある。
「寝食を忘れてやる」「命がけでやる」という血眼の努力には、「残心」はない。
真剣と深刻とは違うように、真剣にやるのはいいが、何事も深刻になった途端、余裕がなくなる。
「血眼ではなく、ゆったりとした努力を」という言葉を胸に刻みたい。
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あるとき、彼のところに一人の剣客がやって来て、弟子入りを請う。
彼はある程度、基礎ができていた。
「先生、わたくしが本気で修行すれば、どれくらいで奥義(おうぎ)がきわめられますか?」
「そうだな、貴殿の腕前で本気でやれば、五年でいいだろう」 小野忠明はそう答える。
「では、寝食を忘れてやれば、どれくらいかかりますか?」
「それなら十年はかかる」
「では、命がけでやれば......?」
「命がけでやると、まあ、一生かかっても奥義に達することはできんじゃろう」
剣客はおこりだす。
そんなばかなことがあるものか・・・というわけである。
しかし、小野忠明は、これで正しいと言う。
そなたにこの道理のわからぬうちは、入門を許さぬと告げた。
剣客は、数日して、これが納得できたそうだ。
仏教語に“精進”という語がある。
「努力」の意味だ。
しかし、努力といっても、努力のしすぎは精進ではない。
血眼(ちまなこ)になってする努力はいわば執念であって、仏教は不可としている。
仏教で言う精進は、ゆったりとした努力である。
ゆったりと、そして着実な努力をつづけることを、仏教は教えているのである。
小野忠明の考えも、まさに仏教の精進なのだ。
ゆったりと学ぶことを、彼は言っている。
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「ゆっくり」や「ゆったり」という余裕がないからだ。
順天堂大学医学部教授の小林弘幸氏は、日本文化の真髄は「ゆっくり」や「ゆったり」だという。
それは、武道や茶道、華道などの日本の伝統文化の「道」にある。
たとえば、お辞儀をするときは、「残心(ざんしん)」が必要だという。
残心(ざんしん)は、武道でもよく使われる言葉だ。
残心は、技を決めた後でも、相手の反撃に対して油断をしない、気を抜かない、という心的態度であり、かまえでもある。
だから、剣道では、一本とったあとガッツポーズなどしようものなら、驕(おご)りや慢心があり、「残心なし」とみなされ、一本を取り消されることもある。
「寝食を忘れてやる」「命がけでやる」という血眼の努力には、「残心」はない。
真剣と深刻とは違うように、真剣にやるのはいいが、何事も深刻になった途端、余裕がなくなる。
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