
【運は人徳で決まる】5814
弁護士、西中務(つとむ)氏の心に響く言葉より…
運の良い人、運の悪い人を数多く見てくるうち、こう思うようになりました。
運は人徳で決まる。
人間性の良い人ほど、運が良いことに気づくようになったからです。人間性が良いと、一見、損な生き方をしているようでも、運が味方して成功します。
人柄の悪い人は、一時は成功しても、運に見放されて転落してしまいます。
私は弁護士として、人間性によって運が左右される事実を、何度も見ました。運が人徳により左右されることは、私だけの経験則ではありません。実は、古来より、この事実はよく知られていたようです。
例えば、中国に孟子という思想家がいます。今から二〇〇〇年以上も前の人ですが、その孟子の残した言葉に、こういうものがあります。
「天爵(てんしゃく)修(おさ)めて、人爵(じんしゃく)これに従う」
天爵とは、天から与えられた爵位のことです。
爵位とは地位という意味ですから、天爵とは、天から与えられた地位、つまり徳のことを意味しています。
これに対して、人爵とは、人の世の中での地位のことですから、具体的にはお金などの富、学力や知力、権力などのことを意味します。
すると、孟子の言葉の意味はこうなります。
「徳を積めば、富や権力などは自然に手に入る」
つまり、人徳があれば運が良くなると、孟子は言っているわけです。富や権力ばかり手に入れようとしても、人徳が備わっていなければ無駄です。それよりも、まず人徳を備えるようにすれば、富や権力などは後からついてくるということなのです。
富や権力などを欲しがるのは幸福になりたいからです。人徳が良ければ、充実した心で生きられますし、良い人々に囲まれて幸せに生きていけます。
富や権力を得るなど、人徳のある人にとっては二の次だと感じられるでしょう。不思議なことに、人徳が高く、富や権力を特に欲しがっていない人ほど運が良くなって、かえって富も権力も手に入ってしまうようです。『「運の良くなる生き方」』東洋経済新聞社https://q.bmd.jp/91/119/3097/393
幸田露伴は、努力論の中で、幸福を引き寄せるには「惜福」「分福」「植福」の3つが必要、と言っている。
「惜福」とは、福を自分だけで使い尽くさないこと。
「分福」とは、福を人に分けること。
「植福」とは、自分の子孫や、後世の人たちが食べられるように、福の種まきをし、福の木を植えておくこと。
まさに、「天の蔵に徳を積む」ということだ。
良きことをしても褒められなかったときは、天の蔵に徳を積んでいる。
また、「皇天(こうてん)は親(しん)なし。ただ徳をこれ輔(たす)く」という言葉が「書経」の中にある。
天は人を選んで親しくしたりしない。
ただ徳のある人を助ける、と。
「運は人徳で決まる」という言葉を胸に刻みたい。