
おはようございます。
けいです。
今日の夜はサッカー日本代表、アジアカップ準決勝(イラン戦)ですね♪
アジア最強といわれているイランに対してどう立ち向かうのか?
楽しみです(^^♪
さて、今日は「報いは受けない」というお話です。
「生くる」や「根源」の著書で多くの人の心を鷲掴みにした“執行草舟”氏と、臨済宗円覚寺派管長“横田南嶺”氏の対談本「風の彼方へ」よりご紹介させていただきます。
_______
【横田】玄峰老師は九十六歳まで生きられたのですが、「七十より八十、八十より九十、九十より百、百より死んでから」と仰いました。
事実、玄峰老師はいまでは高い評価を受けていますが、私の田舎では生前は誰もそんな偉い人だとは思っていなかったというのです。
亡くなってから偉い人だとわかったというんですね。
これが私はいいなと思うのですがね。
【執行】それはもちろん最高です。その人生はうらやましいことは確かです。
しかし、それは玄峰老師の人生だと僕は思うのです。
三島由紀夫は四十五年の人生でまた最高だったのです。
僕はどうなるのかわかりません。
しかし、誰とも比較しません。
僕の運命を生きるだけです。
それが体当たりです。
体当たりを最後まで続けられれば、僕の人生も最高です。
そして、どちらにしても人間は死んでからが本体ですから、現世で偉くなるのは、基本的に危ない人生なのです。
現世で報いを受けたら元々ダメなんです。
僕も受けたくないけれども、受けてしまったものも少しあるので、悩んでいます(笑)。
現世で受けてしまうと、死んでからマイナス要因になると僕は思っています。
キリスト教では「現世で報いを受けた人間は天国には入れない」と聖書にはっきり書いてあります。
僕は別に強力なキリスト教徒ではありませんが、この言葉はその通りだと思っています。
それは極端な表現ですが、言わんとしていることの意味は理解できます。
やはり現世では報われないけれども、真実の人生を送った人が最も尊いのです。
もちろん、現世で怠けていて報われない人は、さらにダメです(笑)。
僕は六十歳を超えてから、自分の安定とか安全を考えたり、自分の安楽や保身を図ったり、偉くなりたいとか報いを受けたいとか思う人間はダメだということが、はっきりわかるようになりました。
二十代からそうでしたが、六十代になって確信になったということです。
これは僕が思っているだけではなくて、ある意味で科学的なのです。
報いは受けないほうがいい人生になるのは確かです。
僕も会社を経営していてうまくいってしまっているので、ある程度の地位やお金を得たのですが、自分自身の人生観からすれば受け取り過ぎです。
だから、これからどうやって捨てていこうかと考えています(笑)。
(「対談 風の彼方へ」執行草舟 著 / 横田南嶺 著 / PHP研究所より)
_______
偉くなりたいと思って仕事をしたり、報いを受けたいと思って頑張っているようじゃダメだということです。
執行さんは、「体当たりして仕事に臨んでいれば、勝手にうまくいく」といいます。
ただ、必要以上に受け取らないといいますか、受けとることが目的となって仕事をしている人は注意したほうがよいという意味だと感じました。
そもそも仕事とは、世の中に役に立つことを一生懸命にすることですので、その時点で心は満たされます。
一生懸命にやっていたら、結果的に報酬を受け取ることになるのが自然です。
役に立つ、喜んでいただく、ということを先行せずに、報酬ありきでは上手くいくはずがありません。
陰徳にも通ずるものがあります。
だれにも見つからないように、人知れず徳を積むことを陰徳といいます。
逆に、自分がした良いことを公表(アピール)すると陽徳になります。
陽徳は、公表した時点で褒めてもらえたり何かしらを受取ってしまうので、そのままその言葉やお礼が対価になります。
誰かに見つかっちゃって、褒められちゃったらそこでチャラ。
誰かに見つかって、感謝されちゃったなら、そこでチャラ。
褒められないように見つからないようにしてこそ陰徳の極意です。
もちろん陽徳も素晴らしいのですが、陰徳は運を引き寄せる効果があるようで、
陰徳(誰にも見つからず、褒められず、自分でも人にアピールしない)は、陽徳の30倍の価値があり、運を引き寄せるそうです。
一時的な成功ではなく、長期的になぜかうまくいっている人は、この「陰徳」であったり「報いを受けない」ということを自然とされているように思います。
自分も、目先のモノに惑わされず、本当に大切なものを体当たりで大切にしていく生き方を目指していきます。
__________
今日も最後まで読んで頂きありがとうございます。
心より感謝します。
__________
ブログにも記事をアップしてあります。
「魂が震える話」ブログ
http://ameblo.jp/and-kei/
このメルマガは、
転送、掲載、自由です。
朝礼や飲み会の席、友人や家族との会話で、どんどんご活用いただけたらと思います。
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この話は、メルマガ「魂が震える話」で紹介されていました。
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よろしくお願い致します。
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発行責任者 「魂が震える話」けい
お問い合わせ kei@tamafuru.com
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アジア最強といわれているイランに対してどう立ち向かうのか?
楽しみです(^^♪
さて、今日は「報いは受けない」というお話です。
「生くる」や「根源」の著書で多くの人の心を鷲掴みにした“執行草舟”氏と、臨済宗円覚寺派管長“横田南嶺”氏の対談本「風の彼方へ」よりご紹介させていただきます。
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【横田】玄峰老師は九十六歳まで生きられたのですが、「七十より八十、八十より九十、九十より百、百より死んでから」と仰いました。
事実、玄峰老師はいまでは高い評価を受けていますが、私の田舎では生前は誰もそんな偉い人だとは思っていなかったというのです。
亡くなってから偉い人だとわかったというんですね。
これが私はいいなと思うのですがね。
【執行】それはもちろん最高です。その人生はうらやましいことは確かです。
しかし、それは玄峰老師の人生だと僕は思うのです。
三島由紀夫は四十五年の人生でまた最高だったのです。
僕はどうなるのかわかりません。
しかし、誰とも比較しません。
僕の運命を生きるだけです。
それが体当たりです。
体当たりを最後まで続けられれば、僕の人生も最高です。
そして、どちらにしても人間は死んでからが本体ですから、現世で偉くなるのは、基本的に危ない人生なのです。
現世で報いを受けたら元々ダメなんです。
僕も受けたくないけれども、受けてしまったものも少しあるので、悩んでいます(笑)。
現世で受けてしまうと、死んでからマイナス要因になると僕は思っています。
キリスト教では「現世で報いを受けた人間は天国には入れない」と聖書にはっきり書いてあります。
僕は別に強力なキリスト教徒ではありませんが、この言葉はその通りだと思っています。
それは極端な表現ですが、言わんとしていることの意味は理解できます。
やはり現世では報われないけれども、真実の人生を送った人が最も尊いのです。
もちろん、現世で怠けていて報われない人は、さらにダメです(笑)。
僕は六十歳を超えてから、自分の安定とか安全を考えたり、自分の安楽や保身を図ったり、偉くなりたいとか報いを受けたいとか思う人間はダメだということが、はっきりわかるようになりました。
二十代からそうでしたが、六十代になって確信になったということです。
これは僕が思っているだけではなくて、ある意味で科学的なのです。
報いは受けないほうがいい人生になるのは確かです。
僕も会社を経営していてうまくいってしまっているので、ある程度の地位やお金を得たのですが、自分自身の人生観からすれば受け取り過ぎです。
だから、これからどうやって捨てていこうかと考えています(笑)。
(「対談 風の彼方へ」執行草舟 著 / 横田南嶺 著 / PHP研究所より)
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偉くなりたいと思って仕事をしたり、報いを受けたいと思って頑張っているようじゃダメだということです。
執行さんは、「体当たりして仕事に臨んでいれば、勝手にうまくいく」といいます。
ただ、必要以上に受け取らないといいますか、受けとることが目的となって仕事をしている人は注意したほうがよいという意味だと感じました。
そもそも仕事とは、世の中に役に立つことを一生懸命にすることですので、その時点で心は満たされます。
一生懸命にやっていたら、結果的に報酬を受け取ることになるのが自然です。
役に立つ、喜んでいただく、ということを先行せずに、報酬ありきでは上手くいくはずがありません。
陰徳にも通ずるものがあります。
だれにも見つからないように、人知れず徳を積むことを陰徳といいます。
逆に、自分がした良いことを公表(アピール)すると陽徳になります。
陽徳は、公表した時点で褒めてもらえたり何かしらを受取ってしまうので、そのままその言葉やお礼が対価になります。
誰かに見つかっちゃって、褒められちゃったらそこでチャラ。
誰かに見つかって、感謝されちゃったなら、そこでチャラ。
褒められないように見つからないようにしてこそ陰徳の極意です。
もちろん陽徳も素晴らしいのですが、陰徳は運を引き寄せる効果があるようで、
陰徳(誰にも見つからず、褒められず、自分でも人にアピールしない)は、陽徳の30倍の価値があり、運を引き寄せるそうです。
一時的な成功ではなく、長期的になぜかうまくいっている人は、この「陰徳」であったり「報いを受けない」ということを自然とされているように思います。
自分も、目先のモノに惑わされず、本当に大切なものを体当たりで大切にしていく生き方を目指していきます。
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今日も最後まで読んで頂きありがとうございます。
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