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位高ければ、徳高きを要す 人の心に灯をともす 5210より 写真はMさんからいただいたプレゼントです...

2022年12月31日 | 
【位高ければ、徳高きを要す】5210



渡部昇一氏の心に響く言葉より…


徳川時代の武士は、権力という権力をほとんど牛耳っていた。

武力、政治、裁判、行政、徴税に至るまで、すべてと言っていいほど武士が握っていた。

その武士階級が平和な徳川の時代になってだんだんと相対的に貧しくなってくる。

戦争がなくなり庶民のほうが豊かになっていくのである。


絶対的権力を持つ支配者階級がだんだん相対的に貧しくなるということは、よその国から見れば考えられないことである。

しかし、そういう形で権力が維持された理由として、『貞観政要(じょうがんせいよう)』が古くから治世の参考本として尊ばれ、その思想が深く浸透していたことが挙げられる。

「貞観政要』は唐の太宗と魏徴という家来らとの問答や、その業績を分類、編集して為政者の参考にしたものである。

「貞観」は太宗の在位の年号(六二七~六四九)で、「政要」は「政治の要諦」の意味である。

宋の太宗は本当に偉い人だったらしいが、当の中国ではこの「貞観政要』は大して実行されていない。

日本に伝わって徹底的に実行されている。


徳川家康は「貞観政要』を印刷させたり、後には本の抜粋部分を公家や武家の諸法度として組み入れたりした。

ここで言いたいのは、その『貞観政要』の中には、「治めるよりも、治められる民衆のほうが重要だ」という思想があるということだ。

北條政子は漢文が読めないので公家に邦訳させてこの本を読んだ。



良い政治をやっていこうとしたときに、この「貞観政要」は格別に偉大な本として崇(あが)められたのである。

もちろんシナでも秀逸な政治問答集として尊敬はされたが、徹底的に実行されたのは日本、それも江戸時代であったと見るべきであろう。

つまり、武士階級は手前勝手にやろうと思えば何でもできる立場にありながら、それを敢えてやろうとはせず、むしろ抑えていた。

その思想の背景には、この『貞観政要』にある「民衆のほうが大事」という考え方があったと言える。


戦争もなく安定した世の中で、民衆はどんどんと豊かになっていき、相対的に武士は貧しくなっていく。

民衆とは士農工商の武士以外の農民であり、職人であり、商人である。

とくに商人は、豊かさにおいては秀でた財力を持つ者もあり、農民でもあまり貧しければ一揆を起こす。

一揆を起こされると、その起こされた殿様は、幕府からお取り潰しを受けるのだから、 それは必死に善政を尽くそうとする。

このように徳川時代には、「民衆に背かれる大名は大名たる資格はない」という「貞観政要」の思想に基づいた統治能力が、日本人のリーダーたちに仕込まれた時代であったといえよう。



徳川幕府が成立すると、隣の藩から攻められる懼(おそ)れは絶対にない。

戦国時代とは天地の差がある平和な世の中になったのである。

すると、どのような変化が世の中に生じたかといえば、結局各地とも物産に励むことで、 自分の藩を豊かにすることに力を入れ出した。

いわゆる地方に名物ができることになる。


これと対照的なのが韓国だ。

韓国は中央集権であるから地方に名産は一切なかった。

というのは、科挙の試験に合格して京城(今日のソウル)に行き、そこで出世して役人になり地方へ行く。

そして早く京城に戻りたいから、地方に名産があれば根こそぎ巻き上げて賄賂に使う。

庶民は一生懸命作っても、巻き上げられるだけなのでやる気がなくなる。

明治に国を開いたとき、朝鮮の地方には一切名産がなく、日本の地方には名産が豊富という違いがあったのはこの理由による。


しかも徳川時代には、参勤交代という歴史上珍しい制度を実施したが、その変な制度のお陰で日本中の旅行がしやすくなった。

道が整備され、宿場ができ、旅人はほぼ全国どこにでも行きやすくなったのである。

その意味で、庶民が自由に旅行できるようになった、世界で最初の国が日本であろう。

「お伊勢参り」などは女も行ったというが、この時代、他の国では、庶民の旅行はそれほど簡単なことではなかったのである。



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「権威主義国家」という言葉がある。

権威主義国家とは、政治的な権力が一部の指導者に集中することをいう。

国民の自由を抑制し、人権に配慮せず、法律も都合のいいように曲解し、市場経済もコントロールし、そして極めつけは、軍事独裁。

昨今、世界の少なからぬ国が、この体制を維持している。


江戸時代は、武士階級が武力、政治、裁判、行政、徴税のすべてに力を持っていたのにも関わらず、その力を行使しなかった。

そして、相対的に貧しくなっている。

まさに、「権威主義国家」とは真逆の方向にあったということだ。


欧米では、「ノブレス・オブリージュ」という言葉があるが、地位があればあるほど、社会の規範となるように振る舞うべきだという「社会的責任」をいう。

騎士道精神とも言われている。

「位高ければ、徳高きを要す」ということ。


権力を持っているにも関わらずそれを行使しない。

そして、ますます自らを律する。


リーダーに限らず、真の大人は…

「位高ければ、徳高きを要す」という言葉を胸に刻みたい。







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