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【し続けること】4940
茗荷村創設者、田村一二(いちじ)氏の心に響く言葉より…
私は六人の息子を持っているわけですが、 彼らがまだ小さいとき、どうしても履物をきちんとそろえられなかった。
叱っても、そのときはそろえるが、すぐに元通りに戻ってし まうのです。
それで、私が尊敬する糸賀一雄先生にお尋ねしました。
「しつけとはどういうことですか」と。
先生は、 「自覚者が、し続けることだ」とおっしゃる。
「自覚者といいますと?」と聞くと、「それは 君じゃないか。君がやる必要があると認めているんだろう? それなら君がし続けることだ」「息子は?」「放っておけばいい」というようなことで、家内も自覚者の一人に引っ張り込みまして、実行しました。
実際にやってみて、親が履物をそろえ直しているのを目の前で、息子がバンバン脱ぎ捨てて上がっていくのを見ると、「おのれ!」とも思いました。
しかし、糸賀先生が放っておけとおっしゃったのですから、仕方ありません。
私は叱ることもできず、腹の中で、「くそったれめ!」と思いながらも、自分の産んだ子供であることを忘れて、履物をそろえ続けました。
すると不思議なことに、ひたすらそろえ続けているうちに、だんだん息子のことも意識の中から消えていって、そのうちに履物を並べるのが面白くなってきたのです。
外出から帰ってきても、もう無意識のうちに、「さあ、きれいに並べてやるぞ」と楽しみにしている自分に気がつきました。
さらに続けていると、そのうちに、そういう心の動きさえも忘れてしまい、ただただ履物を並べるのが趣味というか、楽しみになってしまったのです。
それで、はっと気がつい たら、なんと息子どもがちゃんと履物を並べて脱ぐようになっておりました。
孔子の言葉に、「これを楽しむ者に如かず」 というのがありますが、私や家内が履物並べ を楽しみ始めたとき、息子はちゃんとついてきたわけです。
私事で恐縮ですが、ここに教育の大事なポイントの一つがあると思います。
口先だけで人に、「こら、やらんかい」とやいやいいうだけでは、誰もついてきません。
自分が楽しんでこそ、人もついてくるんだという人生観を、私は履物並べから学んだ次第です。
『1日1話、読めば心が熱くなる365人の 生き方の教科書』致知出版社
https://amzn.to/3DBhETl
イエローハットの創業者、鍵山秀三郎氏は「トイレ掃除」を、50年以上「し続けた」人です。
社内のトイレを創業者自らが素手で便器を磨く。
しかも、社員に掃除をしろと命令はしなかったといいます。
10年間掃除をしていても、手伝おうという社員は1人も現れなかった、と。
そして、10年を過ぎたあたりからようやく、1人、2人と手伝う社員があらわれ、20年過ぎたあたりから大方の社員が、トイレだけでなく近所の道路などの掃除をするようになったそうです。
何かを浸透させようとするなら、自覚者が自ら率先して行うことです。
自覚者という、「気がついた者」が責任者となって活動し、社会や会社、家庭を変えていくということです。
会社であるならトップが自覚者とならなければ、どんな小さな変革も一歩も前に進みません。
家庭なら、両親です。
「倦(う)むことなかれ」
という論語の中の言葉があります。
孔子の弟子の子路が、孔子に「政治を行う上で大事なことは何ですか」と聞きました。
孔子は、「何事も民の先頭に立ってやりなさい」と。
そして、「倦むことなかれ」
途中でいやになってはだめですよ、と。
つまり、「倦(う)まず、弛(た)ゆまず」。
飽(あ)きたり、怠けたりせず、励むこと。
「し続けること」…
倦むことなかれ、という言葉を胸に刻みたいと思います。
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茗荷村創設者、田村一二(いちじ)氏の心に響く言葉より…
私は六人の息子を持っているわけですが、 彼らがまだ小さいとき、どうしても履物をきちんとそろえられなかった。
叱っても、そのときはそろえるが、すぐに元通りに戻ってし まうのです。
それで、私が尊敬する糸賀一雄先生にお尋ねしました。
「しつけとはどういうことですか」と。
先生は、 「自覚者が、し続けることだ」とおっしゃる。
「自覚者といいますと?」と聞くと、「それは 君じゃないか。君がやる必要があると認めているんだろう? それなら君がし続けることだ」「息子は?」「放っておけばいい」というようなことで、家内も自覚者の一人に引っ張り込みまして、実行しました。
実際にやってみて、親が履物をそろえ直しているのを目の前で、息子がバンバン脱ぎ捨てて上がっていくのを見ると、「おのれ!」とも思いました。
しかし、糸賀先生が放っておけとおっしゃったのですから、仕方ありません。
私は叱ることもできず、腹の中で、「くそったれめ!」と思いながらも、自分の産んだ子供であることを忘れて、履物をそろえ続けました。
すると不思議なことに、ひたすらそろえ続けているうちに、だんだん息子のことも意識の中から消えていって、そのうちに履物を並べるのが面白くなってきたのです。
外出から帰ってきても、もう無意識のうちに、「さあ、きれいに並べてやるぞ」と楽しみにしている自分に気がつきました。
さらに続けていると、そのうちに、そういう心の動きさえも忘れてしまい、ただただ履物を並べるのが趣味というか、楽しみになってしまったのです。
それで、はっと気がつい たら、なんと息子どもがちゃんと履物を並べて脱ぐようになっておりました。
孔子の言葉に、「これを楽しむ者に如かず」 というのがありますが、私や家内が履物並べ を楽しみ始めたとき、息子はちゃんとついてきたわけです。
私事で恐縮ですが、ここに教育の大事なポイントの一つがあると思います。
口先だけで人に、「こら、やらんかい」とやいやいいうだけでは、誰もついてきません。
自分が楽しんでこそ、人もついてくるんだという人生観を、私は履物並べから学んだ次第です。
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イエローハットの創業者、鍵山秀三郎氏は「トイレ掃除」を、50年以上「し続けた」人です。
社内のトイレを創業者自らが素手で便器を磨く。
しかも、社員に掃除をしろと命令はしなかったといいます。
10年間掃除をしていても、手伝おうという社員は1人も現れなかった、と。
そして、10年を過ぎたあたりからようやく、1人、2人と手伝う社員があらわれ、20年過ぎたあたりから大方の社員が、トイレだけでなく近所の道路などの掃除をするようになったそうです。
何かを浸透させようとするなら、自覚者が自ら率先して行うことです。
自覚者という、「気がついた者」が責任者となって活動し、社会や会社、家庭を変えていくということです。
会社であるならトップが自覚者とならなければ、どんな小さな変革も一歩も前に進みません。
家庭なら、両親です。
「倦(う)むことなかれ」
という論語の中の言葉があります。
孔子の弟子の子路が、孔子に「政治を行う上で大事なことは何ですか」と聞きました。
孔子は、「何事も民の先頭に立ってやりなさい」と。
そして、「倦むことなかれ」
途中でいやになってはだめですよ、と。
つまり、「倦(う)まず、弛(た)ゆまず」。
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