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【人間一生、物見遊山】5037
西沢泰生(やすお)氏の心に響く言葉より…
《【さずかりもの】 神や仏の恩恵として与えられたもの。とくに子どもを指す。》
そうです。
言い方を変えれば、子どもは、「神様から一時的にお借りしているもの」。
基本的に「親のもの」ではない。
偉い人から借りているものは、キズなんかつけたらたいへんだから、丁寧に扱いますよね。
子どもは、神様から「さずかる」大切なものだから、授かったことを喜び、無償の愛で育てたのです。
そう考えると、そもそも、自分の命だって、「神様からの授かりもの」です。
だから、「(自分の)命を粗末にするんじゃない」という発想になる。
また、江戸の人たちは、「人間一生、物見遊山」と考えていたそうです。
物見遊山とは、気晴らしに見物して遊び歩くこと。
つまり、今でいう観光旅行。
「生まれてきたのは、この世をあちこち見物する観光旅行のため」だと考えていたから、食べられるくらい働いて、あとの時間は楽しんだ。
私、この言葉、大好きなんです。
せっかく、運よく、神様から授かった「命という時間」。
大切にして、好きなことをして、楽しまなければ、もったいない!
ちなみに、命を「授かりもの」というのに対して、お金のことは、「まわりもの」だと考えていました。
ほら、「金は天下のまわりもの」という言葉がありますよね。
お金は、貯め込むのではなく、使って、世の中に循環させるのがよいと。
現代の成功者がよく言う、「お金を増やしたければ、貯め込んでいないで使いましょう」というようなことを、江戸庶民は、知ってか知らずか、すでに実践していたのです。
なんだか、江戸の人たちは、現代人よりも、ものごとの本質をしっかりと、つかんでいたような気がします。
『「小さな幸せ」がたくさん見つかる50の物語』三笠書房
https://amzn.to/3OTFhLr
幕末や明治に来日した外国人たちの「子ども」に対するこんな記述があります。
『明治時代の日本を旅したイザベラ・バードは、「私は、これほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない」「(日本人は)子どもがいないといつもつまらなそうである」などと記しています。
また、明治初期にアメリカからやって来たグリフィスは、「日本ほど子供の喜ぶ物を売るおもちゃ屋や縁日の多い国はない」といいます。
さらに、「日本のどの町にも子どもを楽しませて暮しを立てている男女が、何十人もいる」とも述べています。
明治初期に日本を訪れたチャールズ・A・ロングフェローは「僕の見たところ、日本の子どもは十一、二歳になるまでは、世界でも最も幸福な子どもに違いない」と言っています。』(日本は外国人にどう見られていたか/三笠書房)より
日本ほど、子どもが大事に扱われている国はない、と言っているのです。
しかし、昨今は、子どもの虐待や閉じ込め、放置、など悲惨なニュースが飛び込んできます。
いずれも、「子どもは天からのさずかりもの」という、日本に昔から根付いていた価値観が薄れてきてしまっているのを感じます。
また、日本人の気質についてはこう書いてあります。
『幕末にフランスから来たリュドヴィック・ボーヴォワルは日本のことを「この民族は笑い上戸で心の底まで陽気である」と述べ、「日本人ほど愉快になりやすい人種は殆どあるまい。良いにせよ悪いにせよ、どんな冗談でも笑いこける」とも言っています。
「上機嫌な様子がゆきわたっている」と日本人が幸福そうでしかも陽気だったという記述は、枚挙にいとまがない。』
まさに、陽気で上機嫌という気質は、「人間一生、物見遊山」という価値観と一致します。
子どもを大事にし、仕事するときは勤勉に、そして遊ぶときは徹底的に遊ぶという価値観。
人生を、陽気に、上機嫌で生きてゆきたいと思います。
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西沢泰生(やすお)氏の心に響く言葉より…
《【さずかりもの】 神や仏の恩恵として与えられたもの。とくに子どもを指す。》
そうです。
言い方を変えれば、子どもは、「神様から一時的にお借りしているもの」。
基本的に「親のもの」ではない。
偉い人から借りているものは、キズなんかつけたらたいへんだから、丁寧に扱いますよね。
子どもは、神様から「さずかる」大切なものだから、授かったことを喜び、無償の愛で育てたのです。
そう考えると、そもそも、自分の命だって、「神様からの授かりもの」です。
だから、「(自分の)命を粗末にするんじゃない」という発想になる。
また、江戸の人たちは、「人間一生、物見遊山」と考えていたそうです。
物見遊山とは、気晴らしに見物して遊び歩くこと。
つまり、今でいう観光旅行。
「生まれてきたのは、この世をあちこち見物する観光旅行のため」だと考えていたから、食べられるくらい働いて、あとの時間は楽しんだ。
私、この言葉、大好きなんです。
せっかく、運よく、神様から授かった「命という時間」。
大切にして、好きなことをして、楽しまなければ、もったいない!
ちなみに、命を「授かりもの」というのに対して、お金のことは、「まわりもの」だと考えていました。
ほら、「金は天下のまわりもの」という言葉がありますよね。
お金は、貯め込むのではなく、使って、世の中に循環させるのがよいと。
現代の成功者がよく言う、「お金を増やしたければ、貯め込んでいないで使いましょう」というようなことを、江戸庶民は、知ってか知らずか、すでに実践していたのです。
なんだか、江戸の人たちは、現代人よりも、ものごとの本質をしっかりと、つかんでいたような気がします。
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幕末や明治に来日した外国人たちの「子ども」に対するこんな記述があります。
『明治時代の日本を旅したイザベラ・バードは、「私は、これほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない」「(日本人は)子どもがいないといつもつまらなそうである」などと記しています。
また、明治初期にアメリカからやって来たグリフィスは、「日本ほど子供の喜ぶ物を売るおもちゃ屋や縁日の多い国はない」といいます。
さらに、「日本のどの町にも子どもを楽しませて暮しを立てている男女が、何十人もいる」とも述べています。
明治初期に日本を訪れたチャールズ・A・ロングフェローは「僕の見たところ、日本の子どもは十一、二歳になるまでは、世界でも最も幸福な子どもに違いない」と言っています。』(日本は外国人にどう見られていたか/三笠書房)より
日本ほど、子どもが大事に扱われている国はない、と言っているのです。
しかし、昨今は、子どもの虐待や閉じ込め、放置、など悲惨なニュースが飛び込んできます。
いずれも、「子どもは天からのさずかりもの」という、日本に昔から根付いていた価値観が薄れてきてしまっているのを感じます。
また、日本人の気質についてはこう書いてあります。
『幕末にフランスから来たリュドヴィック・ボーヴォワルは日本のことを「この民族は笑い上戸で心の底まで陽気である」と述べ、「日本人ほど愉快になりやすい人種は殆どあるまい。良いにせよ悪いにせよ、どんな冗談でも笑いこける」とも言っています。
「上機嫌な様子がゆきわたっている」と日本人が幸福そうでしかも陽気だったという記述は、枚挙にいとまがない。』
まさに、陽気で上機嫌という気質は、「人間一生、物見遊山」という価値観と一致します。
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