〇小学館刊『国語大辞典』の「はばら」を調べると熊本・福岡県の事例で小石・砂利の意味で出てくる。福山藩『郷中覚書』ではこの「はばら」の語が福山藩起こし鍬下年季関係の史料の中で頻出。
「はばら(羽原)入之田畑」「砂入之田畑」「羽原捨所壱丁有之候」
勝矢倫生『福山藩地方書の研究』、清文堂、2015、313-316頁。
福山藩『郷中覚書』の慶応期の写本は鏡櫓文書館・鶴賓文庫蔵
羽原川の「羽原」だ⇒論文にまとめる時には『郷中覚書』中の語「羽原」を捉えて、簡単に羽原川の地名の語源に結び付けず、間に一段の証拠固め(中四国地方スケールでの徹底来な類例集め・・・角川・平凡社の巻末の小字地名編も含め地名辞書が使える)を挟むことが必要(A)。興味のある方には是非挑戦してみて欲しい。もっと研究水準をUPさせるには既刊の地名大辞典にある収録漏れを逐一補正したデータに基づき研究を進めていく(B)。

いまのところ未チェック『浜本鶴賓編『大正8年福山災害誌』』(芦田川洪水の記録で「はばら」関係の記述なし//確認済、付録部分(248頁以後)は浜本の穴海説だが、内容は普通にダメ)・『芦田川改修史』。
〇「アサ又はホノケ」・・・「観音寺」という寺跡ホノケ(『備後叢書』1,431頁)
防長地方では「穂木(ほのき)」、土佐では「ほのぎ」
川村博忠「羽山久男著『知行絵図と村落空間 徳島 佐賀 萩 尾張藩と河内国古市郡の比較研究』、古今書院、2015」の書評、49-52頁。小村絵図に関する記述で「防長全域の一村内の小村(こむら)単位の詳細な耕地絵図であって、屋敷・耕地一筆ごとに朱番はつけられ、田畑面積と石高及び最小単位である穂木(ほのき)数が端書にて集計されている」(52頁)とある。「小村」の下位単位として「小名(こな)」という小字風のものがある(要確認)。川村は田畑の一団地=「ほのき」と説明。
▼郷土史家のもの:『改訂 周防大島町地名(穂ノ木)考』、『改訂 周防大島町地名(穂ノ木)考 付図 穂ノ木分布図』(藤谷和彦 編 日良居タイムス社 2005-2006 Y231/N 5)
周防大島の穂ノ木(ほのぎ)とその読みを列記し、その由来についても考察したもの。別冊『穂ノ木分布図』には、穂ノ木(ほのぎ)を記入した周防大島の地図が収録されているのだと
〇土佐は『長宗我部地検帳』:
長宗我部地検帳のホノギをデータベース化
「長宗我部地検帳の内、四万十町分をデータベース化しました。大字毎に編集し、大字毎の解説に、検地の順にホノギ名のみを掲載しました。現在の小字の地番順とホノギの検地順を比較できるようにしています。現在の小字とホノギが一致、比定できたものについては、太字・青字にしました。順次訂正を加えますが、間違いに気づいた方は一報をお願いします。」(全文引用)
「ほのぎの神々へ」というタイトルも写真集だ。中身はこの地域の失われようとするふるさとの思い出の小さな断片を写真・詩・イラストと編者の文章で簡単に再構成したものだが、編者は元診療所医師(1945~2024、京都府立医科大学卒、診療所は2024年3月をもって廃止。52才時のもの)の方。ただし、平成3年46才時に大津市滋賀里病院(精神病院)を退職し、故郷の高知市郊外の無医村で開業した編者が正しいかどうかは別として、この方がどういうものを「ほのぎ」として認識していたかは十分汲み取れた(学術的には何の意味もないことだが・・・)。

〇愛媛県
「人の住む所には、おのずからその所有をはっきりするために、自分の持ち地を区画して、そこへ杭を立てて名をつけた。昔はこれをほのぎ(保乃木・穂乃木)といった。明治時代のはじめにほのぎを小字とし、小字を集めて村や町とした」(全文引用)
松山市伊台のほのぎ
▼福岡県の事例

「字の同義語として、山口県や福岡県では「ほのぎ」「ほのげ」ということばを使っている
〇服部英雄さんによる「しこ名(「生活地名」(しこ名))」調査報告@佐賀県

地名研究のあるべき姿は、下記の文献からヒントが得られよう。ちょっと難解な本だが、この辺が地名研究の目指すべき王道。
「はばら(羽原)入之田畑」「砂入之田畑」「羽原捨所壱丁有之候」
勝矢倫生『福山藩地方書の研究』、清文堂、2015、313-316頁。
福山藩『郷中覚書』の慶応期の写本は鏡櫓文書館・鶴賓文庫蔵
羽原川の「羽原」だ⇒論文にまとめる時には『郷中覚書』中の語「羽原」を捉えて、簡単に羽原川の地名の語源に結び付けず、間に一段の証拠固め(中四国地方スケールでの徹底来な類例集め・・・角川・平凡社の巻末の小字地名編も含め地名辞書が使える)を挟むことが必要(A)。興味のある方には是非挑戦してみて欲しい。もっと研究水準をUPさせるには既刊の地名大辞典にある収録漏れを逐一補正したデータに基づき研究を進めていく(B)。

いまのところ未チェック『浜本鶴賓編『大正8年福山災害誌』』(芦田川洪水の記録で「はばら」関係の記述なし//確認済、付録部分(248頁以後)は浜本の穴海説だが、内容は普通にダメ)・
〇「アサ又はホノケ」・・・「観音寺」という寺跡ホノケ(『備後叢書』1,431頁)
防長地方では「穂木(ほのき)」、土佐では「ほのぎ」
川村博忠「羽山久男著『知行絵図と村落空間 徳島 佐賀 萩 尾張藩と河内国古市郡の比較研究』、古今書院、2015」の書評、49-52頁。小村絵図に関する記述で「防長全域の一村内の小村(こむら)単位の詳細な耕地絵図であって、屋敷・耕地一筆ごとに朱番はつけられ、田畑面積と石高及び最小単位である穂木(ほのき)数が端書にて集計されている」(52頁)とある。「小村」の下位単位として「小名(こな)」という小字風のものがある(要確認)。川村は田畑の一団地=「ほのき」と説明。
周防大島の穂ノ木(ほのぎ)とその読みを列記し、その由来についても考察したもの。別冊『穂ノ木分布図』には、穂ノ木(ほのぎ)を記入した周防大島の地図が収録されているのだと
〇土佐は『長宗我部地検帳』:
長宗我部地検帳のホノギをデータベース化
「長宗我部地検帳の内、四万十町分をデータベース化しました。大字毎に編集し、大字毎の解説に、検地の順にホノギ名のみを掲載しました。現在の小字の地番順とホノギの検地順を比較できるようにしています。現在の小字とホノギが一致、比定できたものについては、太字・青字にしました。順次訂正を加えますが、間違いに気づいた方は一報をお願いします。」(全文引用)

〇愛媛県
「人の住む所には、おのずからその所有をはっきりするために、自分の持ち地を区画して、そこへ杭を立てて名をつけた。昔はこれをほのぎ(保乃木・穂乃木)といった。明治時代のはじめにほのぎを小字とし、小字を集めて村や町とした」(全文引用)
松山市伊台のほのぎ
▼福岡県の事例

〇服部英雄さんによる「しこ名(「生活地名」(しこ名))」調査報告@佐賀県

地名研究のあるべき姿は、下記の文献からヒントが得られよう。ちょっと難解な本だが、この辺が地名研究の目指すべき王道。
