- 松永史談会 -

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高島平三郎著作集

2013年08月27日 | 教養(Culture)
学術出版会の紹介記事をそのまま転載



•日本の心理学研究を創始し、また児童研究の草分けとして業績を遺した高島の初めての著作集。
•心理学や児童研究を基軸に、教育学、体育、女性と育児・家庭教育などの分野における代表著作を収録。高島の学問観を捉え、さらにその業績も合わせて鳥瞰できるよう編集。
•第6巻巻末に、大泉溥による「解説」と「年譜」を付す。収録文献それぞれの由来や内容の丁寧な解説は、高島の学的業績や、わが国の心理学および児童研究の史的考察に欠かせないもの。


底本および各巻内容】

第1巻

『師範学校教科用書 心理綱要』 明治26年、普及舎
高島の処女作で、日本の心理学の新時代を切り拓いた代表的著書。当時の欧米心理学会の最新動向を踏まえた上で独自の視点から、書きまとめている。
〈主要目次〉
総論/知性(覚性・観念ノ再生・悟性)/感性(感覚的感応・観念的感情)/意性

『心理漫筆』 明治31年、開発社
日常経験における心理学の応用を、教師や父母たちに向けて分かりやすく説いた啓蒙書。冒頭に掲載している「我国の心理学史」は、日本心理学の黎明期における史的記録としても記録。
〈主要目次〉
我国の心理学史/精神現象の区分/社会心理学/死/動物心理/戦争と発狂と/夢/心身の相関の例/仏/刺激と容貌との関係/女性の心理/途上の心理研究/板垣伯の三戒



第2巻

『新撰教育学講義』 明治34年、帝国通信講習会
小学校教員および教員を志す者を対象に、教育の原理や方法・目的を述べたもの。「人の教育に適する所以」や「被教育者の身体」など興味深いテーマが並ぶ。
〈主要目次〉
教育の定義/人の教育に適する所以/教育の限界/教育学は如何なる科学か/被教育者の身体/被教育者の精神/目的論/方法論(上)(下)

『女子新教育学』 明治37年、訂正再版、啓成社
中等教育を受ける女子および一般家庭の女性たちが、教育学における学説を得て、実地における児童の教育に役立てることを目的とした。
〈主要目次〉
緒論/心のさま(心・記憶及びその教育ほか)/家庭の教育(家庭の教育者・心育ほか)/幼稚園の教育/学校の教育



第3巻

『体育原理』 明治41年、第4版、育英舎
身体教育と精神教育の関係性を重視し、生理・解剖・衛生のみならず、倫理・心理・教育・社会・生物学等の基礎知識を踏まえた研究を提唱。体育に対する新しい認識を示したものとして高く評価された。
〈主要目次〉緒論(体育ノ必要・生活現象・身体ノ発育・心身相関論ほか)/本論(体育ノ範囲・運動教授論・学校衛生・性育論ほか)/体育史(体育ノ起源・ヤーンノ事業・我邦ニ於ケル体育ノ変遷ほか)


第4巻

『児童心理講話』 明治44年、第15版、広文堂書店
児童研究においてはじめて公にした書で、高島の名を全国津々浦々に広めた。児童研究の学術書としてよりはむしろ、親や教師が子どもを理解するための参考書として出版。
〈主要目次〉児童心理と教育との関係(上)(下)/胎児期及び嬰児期(胎児の心・嬰児の感覚ほか)/幼児前期(自発活動・愛情ほか)/幼児後期及び少年期(好奇心の発動・残忍性の発現ほか)/青年期(発情期的発達・青年指導の注意ほか)

第5巻

『婦人の為めに』〈大正名著文庫31〉 大正7年、再版、至誠堂書店
明治以降の女性たちの関心の広がりに応えるため、心理問題をはじめ社会・教育等に関する談話筆記をまとめた、いわば啓発の書。
〈主要目次〉婦人と心理(笑の話・姑の心理ほか)/婦人と社会(婦人十訓・家庭の趣味ほか)/婦人と教育(家庭教育の基礎・夢の教育ほか)


第6巻

『心理学綱要』 大正15年、再版、広文堂
旧著『教育的心理学』を大幅に改稿し、心理学の基礎から応用までの概念を得られるようまとめる。図解も豊富で、各章末には題目を掲げ、考察・まとめに役立つよう構成。
〈主要目次〉緒論(定義及び略史・精神作用の生理的基礎)/感覚階級(感覚・感情概説・意志概説)/表象階級(知覚・表象及び記憶・情緒)/思想階級(思想作用・情操)

解説・年譜(大泉 溥)

第6巻に大泉溥による高島平三郎の年譜・解説:1-11頁、高島平三郎著作集 解説:13-60頁が付されている。年譜は『高島先生教育報国60年』の年譜に若干手を加えたもの。解説は2009年段階における心理・教育分野の学会での高島理解を踏まえたもので参考になる。高島の著書を骨董趣味からではなく、学問(教育心理学)上の古典として取り上げたいという大泉の気持ちには敬意を表したいが、『高島先生教育報国60年』を起点とした高島の女子教育論はあくまでも天皇制国家主義とその下での良妻賢母型といった批判は、彼が西川文子『女性解放論』に寄せた序文や雑誌青鞜のメンバー(例えば平塚らいちょう)との交流を視野に入れたときにちょっと・・・・な感じがしてくるし、大泉が引き合いに出した波多野完治による高島の児童観(=小さい大人の児童観)批判は再検討の必要がありそうだ。
ま、わたしは教育学や心理学に関しては門外漢なので、大泉の指摘は指摘として拝聴するが、私的には社会史・思想史の文脈の中でまだまだ掘り下げた分析が必要だな~と感じる。


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