- 松永史談会 -

   こんにちは。ご機嫌如何ですか。

九十九巳之吉

2016年12月19日 | ローカルな歴史(郷土史)情報
九十九巳之吉さんの子孫を訪ねたが・・・・
子供時代は広島で生活し、後年は新聞記者で外にいたため、むかし醸造業をしていたことは知っていた。それ以外は不知。微かな記憶の中から九十九氏答えていわく、屋号は東(東)・・・●●、おいおい東屋は小川喜三次家の屋号だ。
九十九家は草戸・神島当たりにルーツを有するようだが、すべては不確か(再度確認予定)。


高須屋の居宅の場所が知りたいのだが・・・・・。九十九さんは私の従兄弟の幼友達ということで話が早かった。

麻生家墓地には新しい榊が立てられており、子孫は健在のよう。小川家墓地の雑草の刈り払いを行ったが、3年前に買った高性能のこりぎ紛失。やれやれ。


北隣の宅地の建築現場


巳之助さんが伊勢宮さん境内に桜を植えたことを話すと87才の九十九さんは喜んでおられた。

わたしは承天寺墓地で行ってきたことは松永村の富裕層の人たちの話。これでは零れ落ちるものが相当に出てくる。方法論的に問題ありだ。
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麻生吉兵衛親盈墓

2016年12月19日 | ローカルな歴史(郷土史)情報

村田露月『松永町誌』に導かれつつ承天寺墓地で撮った写真の整理中に偶然麻生吉兵衛親盈墓をとった一カットを見つけた。親盈(ちかみつ)という大名級の名前には誠に恐れ入る
松永潮崎さんに玉垣を奉納した松永・麻生吉兵衛親盈と尾道高橋七郎右衛門治信。両者は姻戚関係にあったようだ(『松永町誌』、450頁)。弘化3年の月代所規定書(今津・若木屋矢野梅哉旧蔵)に麻生吉兵衛は松永浜並びに柳津歌浜持主とある。

承天寺の麻生家墓地



夫人は桑田祖矩の妹とある。桑田祖矩を山南・桑田氏系図の中に探してみたが・・・・・・
祖の文字を通字とした系統もあったが、祖矩の名はなかった。


なお、高須屋麻生吉兵衛家の古いお墓は神村・万福寺の本堂裏にもある。この麻生連蔵家は松永駅裏(西川國臣家の隣家、旧西川國臣家住宅自体、松永高等小学校に隣接するということで、明治30年頃高須屋麻生氏から買得した物)

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