- 松永史談会 -

   こんにちは。ご機嫌如何ですか。

名方平二さんのご先祖の墓地(=名方家墓地)

2018年11月17日 | 断想および雑談

名方さんのご子孫の方からご連絡を頂いたので、むかし調べた手持ちの情報のrepostをしておきたい。
屋敷は半世紀前までは旧西国街道=国道2号線沿いに残っていたが今は松永道路の道路敷として取り込まれ消滅。ただし、その痕跡は国土地理院の空中写真の中で追認出来る
名方(本姓は寺岡)氏の墓地(神村町4724番地の130㍍ほど西方の茂みの中)・・・福山市神村町・伊勢宮さんの神官家系.
名方という呼称は馬屋原重帯の『西備名区』が偽書の可能性がある中世神話の書『倭姫命世記』に登場する「吉備名方浜宮」を何の根拠も無く沼隈郡神村の伊勢宮に比定し、かつそこを流れる鍋田川が松永湾に注ぐ河口部一帯を「名方浜」に比定したことが契機となって伊勢宮神主寺岡氏が幕末明治期に苗字を名方(ながた)と改名したもので、名方氏の本姓は寺岡。名方平二さんの家系は寺岡一族の本家筋に当たる。



名方家墓地の全景。現在は親戚の人が墓守をしている。この寺岡氏は戦国時代以前までさかのぼれるこの地方ではとても古い家系の一つだ(寺岡という苗字は日本的に云ってもこの地方独特の珍しいもので、沼隈郡の能登原・西村の馬場向・神村の伊勢に分布)。系図にはどのように記載されているのか不知ながら、毛利氏の家臣、尾道の渋谷家文書には「寺岡」の四郎左衛門という有力百姓の名前が登場し、この人物は伊勢宮関係の田圃の名請人なので、当時から神主系一族だったのだろう。現在この一族の分家筋には、ロイヤル自動車学校・寺岡有機など各種の企業体(ロイヤル・コーポレーション)を経営する寺岡氏がいる。


名方平二さんの兄弟のお墓。担一さんは潔比古の長男。庸さんは潔比古の5男。担一兄弟の時代に墓地をテラス状に整備したようだ。担一さんのお墓のすぐ上の段に弟庸夫婦墓がある。親類の人が常時清掃している感じで小ぎれいだ。


名方平二さんの父祖たちの墓石(神官墓)


我が国のコーヒー文化・喫茶店の先駆け”カフェ・ブラジル”の経営者として有名だった名方担一氏の墓石(手前下)


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松永史談会11月例会のご案内

2018年11月17日 | 松永史談会関係 告知板
松永史談会11月例会のご案内

日時:11月23日(勤労感謝の日)、午後1-3時(雨天決行)
集合場所:高諸神社境内北端=鳥居内の駐車場。
話題「地域史情報を総括ー今津編ー」
町内を2時間ほど巡検する(雨天の時は野外巡検は中止し、適当な室内での談話形式に変更)。



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