日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

共に生きる喜び

2010-11-01 | Weblog
第1コリントの手紙第12章
 
  26節「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです」(新共同訳)

  1~11節 霊的な賜物
  「…聖霊によらなければ誰も『イエスは主である』とは言えないのです」(2節)。イエスのパンと杯によって一つの共同体(コイノニア)に結ばれた者は『イエスは主』と告白し『イエスはアナセマ』(神から見捨てられよ)とは言わない(3節)。これは霊の賜物である(使徒言行録2章4、38節)。
 霊の賜物(カリスマ)は主から与えられるもので、色々あり、その働きも色々ある(4~6節)。ある人には知恵の言葉、知識の言葉、信仰、癒し、奇跡を行う力、預言、霊を見分ける力、異言、異言の解釈などである(8~10節)。「信仰」とは一般とは異なるもの(13章2節see)である。これらはすべて唯一の神から一人一人に現われ、全体の「益となる」(7節)。「スムフェロー」は共に助け合うということで、12節以下で展開される。
11節「これらすべてのことは、同じ唯一の霊の働きであって…一人一人に分け与えて下さる」。ここで厳密に区別しなければならない事は、当時の諸宗教に見られた諸霊信仰(アニミズム)である。

  12~31節 一つの体、多くの部分
   12節「体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である」。すでに7、11節で述べている通り、それぞれの賜物を「多くの部分」の働きとして持つ「一つの体」であると説く。「一つの体」という場合、ユダヤ人ギリシャの区別はなく、奴隷と自由人という身分の差もなく、結ばれている(13節)。
 体の部分はその働きを共有し、排除することが出来ない賜物として連なっている(14~21節)。つまり多様性の一致である。
 特に体の弱い部分、見劣りのする部分に対してはそれをカバーし、また引き立てることをする(23~24節)。うるわしいキリストの共同体が形成されるのである。互いに配慮し合い、苦しみも喜びも共有するのである(25~26節)。ローマ12章15~16節にある。
 27節から、7~10節に述べている賜物の働きを、順序を変えて語る。
28節「神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました。第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に奇跡を行う者、その次に病気をいやす賜物を持つ者、援助する者、管理する者、異言を語る者などです」。
 最初の三つはキリストの共同体(コイノニア)の中核となる賜物で、一致と連帯の鍵を持つ。何故ならその賜物は、聖霊が語らせることば「ケリグマー・宣教」(1章21、ローマ16章25節etc)だからである。
 ここで最後に置かれている「異言を語る」賜物と、その解釈する賜物(10節)とが大きなものと考えるな、「もっと大きな賜物を受けるように熱心に求めよ」(31節)とある。それは祈りによってである(14章12~15節)。