第Ⅱコリントへの手紙第12章
9節「言ひたまふ『わが恩恵(めぐみ)なんじに足(た)れり、わが能力(ちから)は弱きうちに全うせらるればなり』さればキリストの能力(ちから)の我を庇(おう)はんために、寧(むし)ろ大に喜びて我が微弱(よわき)を誇らん」(文語訳)
11章16節以下でパウロは「愚かになって誇る」として、彼を批判する偽使徒たちの誇り(22節)だけでなく、キリストに仕える者として想像を絶するような数々の苦難と艱難と危機体験を述べたが(23~33節)、これらはすべて肉の弱さに関わる誇りであった。
1節「わたしは誇らずにいられません。誇っても無益ですが、主が見せてくださった事と啓示してくださった事について語りましょう」。そこで最後に霊的な神からの啓示について誇りを語る。
この場合彼は「ある人」の経験として三人称で、14年前に第三の天にまで引き上げられたことを語る(2~4節)。14年前は回心経験からダマスコ、アラビヤ宣教の時代で、11章の様々な体験と重なっている。「第三の天」とは4節「楽園」(パラダイス)を指す。「パラダイス」はペルシャ語で壁に囲まれた庭園、王が賓客に名誉を与る時、その人を招待し、王との散歩を許したという由来がある。彼はこの幻の内容や状況について詳しく語らない。様々な疑問や質問を避けるためだった。
5節「このような人のことをわたしは誇りましょう。しかし、自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません」と言った。この幻を見たり聞いたりしたことで論敵と張り合うことをしないとパウロは告げる(6節)。
そして、この素晴らしい幻体験で思い上がらせないために、わたしの身を痛みつける一つのとげが与えられた。それはサタンからの使いである(7節)。この「とげ」(スコロプス)は先の尖った木の棒で、「痛みつける」とは打ち叩くことである。
実際に彼の「とげ」が何であったか諸説がある。第一伝道旅行の時東地中海海岸地帯を襲ったマラリヤ熱にかかり、周期的な激しい頭痛があったという説、ガラテヤ4章13~14節に使徒的な働きを妨げるような疾患(眼病)があったという説もある。そして三度(繰り返し)主に取り去って下さるようにと願った(8節)。
9節「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました…」。だからキリストの力が宿るよう…大いに喜んで自分の弱さを誇るといった。
弱さの中でとは、「侮辱、危機、迫害、行き詰りの状態」である。土の器で言えば、ひび割れ、壊されるような目に出合う経験である。しかし「キリストの力がわたしに宿る」ので、わたし達はこの弱さの中で強いのである(9~10節)。
11節からパウロに向けられた非難の弁明が語られる。わたしが愚かになって弱さを誇ったのは、大使徒たちに決して劣らないことを、様々なしるしや奇蹟を忍耐してあなた方の間に表わしたからだ(12節)。報酬を貰わなかったことが不当な振る舞いなら赦して欲しい(13節)。これは皮肉である。
三度目の訪問を準備しているが負担をかけるつもりはない(14節)。募金のことでは悪質な批判を受けたくない(16~17節)。あなた方と再会した時、罪の悔改めをしない為面目を失わせるようなことを神はされないだろうと告げる(19~21節)。
9節「言ひたまふ『わが恩恵(めぐみ)なんじに足(た)れり、わが能力(ちから)は弱きうちに全うせらるればなり』さればキリストの能力(ちから)の我を庇(おう)はんために、寧(むし)ろ大に喜びて我が微弱(よわき)を誇らん」(文語訳)
11章16節以下でパウロは「愚かになって誇る」として、彼を批判する偽使徒たちの誇り(22節)だけでなく、キリストに仕える者として想像を絶するような数々の苦難と艱難と危機体験を述べたが(23~33節)、これらはすべて肉の弱さに関わる誇りであった。
1節「わたしは誇らずにいられません。誇っても無益ですが、主が見せてくださった事と啓示してくださった事について語りましょう」。そこで最後に霊的な神からの啓示について誇りを語る。
この場合彼は「ある人」の経験として三人称で、14年前に第三の天にまで引き上げられたことを語る(2~4節)。14年前は回心経験からダマスコ、アラビヤ宣教の時代で、11章の様々な体験と重なっている。「第三の天」とは4節「楽園」(パラダイス)を指す。「パラダイス」はペルシャ語で壁に囲まれた庭園、王が賓客に名誉を与る時、その人を招待し、王との散歩を許したという由来がある。彼はこの幻の内容や状況について詳しく語らない。様々な疑問や質問を避けるためだった。
5節「このような人のことをわたしは誇りましょう。しかし、自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません」と言った。この幻を見たり聞いたりしたことで論敵と張り合うことをしないとパウロは告げる(6節)。
そして、この素晴らしい幻体験で思い上がらせないために、わたしの身を痛みつける一つのとげが与えられた。それはサタンからの使いである(7節)。この「とげ」(スコロプス)は先の尖った木の棒で、「痛みつける」とは打ち叩くことである。
実際に彼の「とげ」が何であったか諸説がある。第一伝道旅行の時東地中海海岸地帯を襲ったマラリヤ熱にかかり、周期的な激しい頭痛があったという説、ガラテヤ4章13~14節に使徒的な働きを妨げるような疾患(眼病)があったという説もある。そして三度(繰り返し)主に取り去って下さるようにと願った(8節)。
9節「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました…」。だからキリストの力が宿るよう…大いに喜んで自分の弱さを誇るといった。
弱さの中でとは、「侮辱、危機、迫害、行き詰りの状態」である。土の器で言えば、ひび割れ、壊されるような目に出合う経験である。しかし「キリストの力がわたしに宿る」ので、わたし達はこの弱さの中で強いのである(9~10節)。
11節からパウロに向けられた非難の弁明が語られる。わたしが愚かになって弱さを誇ったのは、大使徒たちに決して劣らないことを、様々なしるしや奇蹟を忍耐してあなた方の間に表わしたからだ(12節)。報酬を貰わなかったことが不当な振る舞いなら赦して欲しい(13節)。これは皮肉である。
三度目の訪問を準備しているが負担をかけるつもりはない(14節)。募金のことでは悪質な批判を受けたくない(16~17節)。あなた方と再会した時、罪の悔改めをしない為面目を失わせるようなことを神はされないだろうと告げる(19~21節)。